あらかわ遊園内に静態保存されている都電6000形は“一球さん号”としても親しまれた
「大工をしていた父は、手先が器用でした。そのため、鉄道模型やレイアウトをつくるのを楽しんでいたようです。私が子供のとき、よく現場に連れていかれました。現場では、父が簡易な鉄道のおもちゃを組み立てて、仕事が終わるまで鉄道のオモチャで遊んでいるなんてこともありました」と回顧するのは、息子の伊藤朋行さんだ。
のぞみ会の活動は、年を経るごとに規模を拡大。会員が増えたことで、イベントといった不定期活動だけではなく、拠点を定めて日常的な活動を始めた。活動拠点になったのは、都電荒川線の停留場から近い商店街の一画にあった空き家だった。その空き家を借りて、常設のレイアウトを設置。
商店街の中にあった最初の拠点では、約10年間活動。その後、使われなくなっていた延べ床面積80坪2階建ての作業場を貸してもらえることになり、そこへ移転した。
その頃には、伊藤さんとのぞみ会は全国でも知られる存在になっていた。各地から、のぞみ会を訪れるファンも出てくるようになる。しかし、のぞみ会の活動拠点だった作業場は、老朽化などを理由に解体された。
活動拠点を失いかけたのぞみ会だったが、荒川区は伊藤さんの活動を惜しんで活動拠点を提供。新たな活動拠点は、あらかわ遊園内のふれあいハウスだった。
こうして、ふれあいハウスの1階は新たに下町都電ミニ資料館となる。伊藤さんは、館長に就任。以降、館長として下町都電ミニ資料館内に設置されたレイアウトの管理などに尽力する。
伊藤さんの活動は、レイアウト制作といった鉄道ファンの趣味にとどまらない。伊藤さんはGゲージと呼ばれる巨大な鉄道模型を自作しており、都電のGゲージは沿線の保育園や小学校、公共施設、そして都電とゆかりの深い商店に寄贈した。
「都電車両の制作は、一両あたり約2か月を要していました。特殊な材料を用いずに、ダンボールやベニヤ板という一般的な材料を使うことをモットーにしていたようです。だから、100円ショップで見つけてきた部品を使うこともありました。Gゲージづくりを始めた頃は、都電の9000形がデビューしたばかりの時期でした。そのため、9000形をたくさん制作していた印象が強く残っています。また、都電は角ばった外観の車両が多いのですが、8500形は丸みがあって制作が難しいとも言っていました」(伊藤朋行さん)