4月15日に呉へ帰ると、「『大和』のことはしゃべるな」と厳命される。しかし下宿に戻ると「あんたは本物の疇地さんか?『大和』が沈んで全員戦死って聞いた」と言われた。
砲術学校を首席卒業して学校長から拝領した時計は、今も2時23分を指している。70年以上たっても忘れられず、4月7日その時刻に南西の方角へ向かって手を合わせている。海底の「大和」が発見されて引き揚げようという話になった時は、東海地区大和会もみんな反対だった。戦友がたくさん死んだ身としては「大和」を枕に安らかに休んでほしい、そっとしておいてほしいという思いである。
■聞き手・構成/久野潤(大阪観光大学専任講師)
●あぜち・さとし/1926年三重県相賀町(現・紀北町相賀)生まれ。尋常高等小学校卒業後、大竹海兵団卒業後に入院と療養を経て、昭和19年3月に横須賀の海軍砲術学校普通科を首席で卒業。「大和」に乗り組む。
●くの・じゅん/1980年大阪府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。京都大学大学院法学研究科国際公共政策専攻修了。著書に『帝国海軍と艦内神社』(祥伝社刊)、『帝国海軍の航跡』(青林堂刊)など。
※SAPIO2018年7・8月号