小澤:りんごで股間を隠した「りんごヌード」で有名になった彼女は、ヌードグラビアの先駆者で、童顔巨乳のハシリです。
伴田:彼女は逸材ですよね。あの「りんごヌード」は彼女だから成り立った。
亀和田:顔も体も健康的だな。
小澤:篠山さんもあの写真は意識したし、影響を受けたと思います。一時期よく、ヌードを撮るときに望遠レンズを使っていました。肉体で画面を埋め、肉感を強調した写真を撮るためです。この写真集は技術的には大したことはないけど、彼女の存在感が凄くて、エポックメイキングな写真でした。日本のヌードグラビア史の金字塔ですね。
亀和田:逆にそれ以前、1960年代、70年代、日本のヌード写真集の状況は──。
伴田:1960年代はヌード写真集と言えるものはほとんどなかったですね。ヌードを撮る有名カメラマンも秋山庄太郎、大竹省二ら数人しかいませんでした。
亀和田:「婦人科カメラマン」と呼ばれていた人たちですね。
伴田:1960年代によく見られていたのは『100万人のよる』という雑誌のグラビアで、ストリップダンサーやヌードダンサーを起用した明るいヌードを載せていました。あれがヌードグラビアのハシリじゃないですか。
亀和田:1965年に『話の特集』が創刊され、やがて篠山さん、立木義浩さんたちがヌードグラビアを撮り始めるんですよ。