■フィギュアとは何か、ということを教えてくれる
そして10月6日、最後の演目として選んだプログラムは『人間の条件』だった。会場となったさいたまスーパーアリーナは、実演家・町田樹のラストダンスを見届けるファン、1万3000人で埋まった。
『人間の条件』の音楽はマーラーの「アダージェット」だが、このプログラムに寄せる言葉として、町田さんは、小説家・開高健の言葉を紹介している。
<明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える>
9分30秒という大作『人間の条件』で町田さんが表現したのは、運命に抗って生きる人間の苦悩、そして意志や勇気だった。世界が滅びるとわかっていても、“それでも”希望の苗を植えようとする人間の健気で気高い姿を、町田さんのフィギュアスケートを通じて、しっかりと感じることができた。
惜しまれながらも引退をした町田さんの功績について、フィギュアスケートに詳しいスポーツライターはこう語る。
「町田さんほど、発言に注目が集まるフィギュアスケーターはいなかったと思います。やはりスケーターは、滑りで魅せる、演技で魅せる、というタイプが多いですからね。そんななかで、“語録”が話題になる町田さんは異色の存在で、競技としてのフィギュアスケートに興味のない人までをも惹きつけました。
とはいえ、発言の機会が多かったわけではありません。大学院に進んでからは、メディアに出ることは解説の仕事を除いてほとんどなく、アイスショーで渾身の演技を披露するのみでした。それでも町田さんが何を言うかは、広く注目を集めました。それは町田さんの言葉が、町田さん自身を表現するだけでなく、フィギュアスケートの楽しみや理解を深め、フィギュアスケートとは何か、ということを、教えてくれるものだったからだと思います。
町田さんは引退セレモニーで、自分の理想とするのは『総合芸術としてフィギュアスケート』と言いました。ああ、そうか、フィギュアスケートとは総合芸術なんだなと、納得しましたよね。残念ながら実演家ではなくなるけれど、今後は別の形で、フィギュアスケートに関わっていくということですから、期待したいです」
今は、25年間お疲れさまでしたと伝えるとともに、町田さんの今後の活躍、そして今後放たれる言葉を楽しみに待ちたい。