過去の貿易摩擦では「日本叩き」の嵐も AP/AFLO
しかし、日本はアメリカの対応に一喜一憂する必要はない。なぜなら、歴史を振り返ると、過去の「日米貿易交渉」で日本は“全敗”しているが、結果的・実質的には負けたことがないからだ。手短に説明しよう。
日米貿易摩擦は1965年以降、アメリカの対日貿易収支が恒常的に赤字化したことによって始まり、1969年の繊維を皮切りに1970年代は鉄鋼やカラーテレビ、1980年代は自動車、農産物(コメ・牛肉・オレンジ)、半導体、コンピューターなどがアメリカ政府の標的となった。そして日本はことごとくアメリカの圧力に屈し、自主規制や現地生産の拡大などを受け入れてきたのである。今の中国と違い、日本は報復追加関税などで応酬することはなかった。
しかし、そうやってアメリカに散々いじめられたおかげで日本は強くなった。
たとえば、今や日本の自動車メーカーはアメリカで400万台を現地生産し、日本、カナダ、メキシコからの輸出分と合わせてアメリカ市場で670万台を販売している。今やアメリカの新車販売台数(1720万台)の4割近くを日本車が占めているのだ。
農産物もしかり。日本でアメリカ産のコメは影も形もない。日本のミカンは品種改良を重ねて美味しくなり、国内市場でアメリカのオレンジを圧倒している。アメリカンチェリーは安価にもかかわらず、山形のサクランボ(佐藤錦)に太刀打ちできなかった。カーター元大統領が家業としていたピーナッツも、市場開放したらアメリカ産ではなく中国産が入ってきて、むしろ千葉産の旨さが広く認識されることになった。牛肉はアメリカ産よりオーストラリア産に軍配が上がり、国内生産量も減らなかった。
唯一の例外は半導体である。日米貿易摩擦で日本は半導体の2割を輸入することになった。ところが、アメリカが作っている半導体は軍事用で、日本が必要とする民生用は作っていなかった。
そこで日本企業は窮余の一策として、韓国企業にノウハウを伝授し、韓国から輸入することにした。アメリカとの約束は「日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上に引き上げる」ということだけで、「アメリカから」とはなっていなかったからだ。その結果、日本企業は製造方法を教えて生産委託したつもりの韓国企業に寝首をかかれ、半導体で韓国に惨敗する羽目になってしまったのである。