じゃあ、普通から外れた人生ってそんなにみじめかっていうと、決してそんなことはない。それでも人って生きていかなければいけない。最初に思い描いた青写真からずれていっても、それは、その子にとっての人生だし、親から見たら子どもはかわいいんですよね。
いろんなパターンがあって、“受容”に至るまでの道筋って人によってバラバラなんですよね。病気は受容できないけど、子どもはかわいいという相矛盾した思いをするパターンの人も結構多くて。奥山さんもそうかもしれません。
奥山:そうですね。
松永:美良生くんは美良生くんでかわいい。だけどダウン症という病気はよくわからなくて…ダウン症という病気をモンスターみたいに思ってしまう。ダウン症のお子さんを授かった人の中には、ダウン症という病気を認めないし、わが子に愛情を持てない人もいるんですね。
だけど人間って結局、時間をかけて、一歩一歩ステップを踏んでいって、たぶんどこかでいい意味であきらめる時がくるんですね。
そのあきらめというのは、投げやりになったり、自暴自棄になることとは別なんですね。質のいいあきらめの時がくるんです。それを乗り越えていくと、たぶん、お母様がたというのは、自分の中で持っていた、それまで過去に自分が築いてきた価値観を1回壊して、新しい価値基準を作り直す。で、自分の子どもに対して「あなたはあなたでいいんですよ」と認める、自分の子どもを。
それは、認めるというレベルよりも一段階高くて、承認を与えるような。あなたでよかったんだよ、とステージが上がっていくのかなというのが、多くのご家族を見てきた、ぼくの印象ですね。
奥山:個人的に思うのは、生きてる限り、人間には自己治癒力があるなということです。わが子の障害を知った時、心にけがをしたような状態だと思うんですけど、そのけがもやがてかさぶたができて、砕けた骨もいずれくっついて…。生きてる限り、けがというものは治癒されていくものだなぁと実感しました。時間がかかるけれども親になっていけるんだなぁって思いました。
松永:どうしてもわれわれって、普通でありたいという欲があるし、社会にも同調圧力みたいなものがあって、そういう生き方をしなきゃいけないところがある。特に日本の文化は横並びで、出る杭は打たれ、目立つと足をひっぱられる。そういう社会に住んでいますから、“普通”に対するプレッシャーって強くあると思うんですね。
だけど、そこから外れたからって、それは失敗であるとかみじめなことではなく、そこにもちゃんとした人生はあるんです、実はね。あまりにもぼくらの社会は、普通であることに縛りつけられてて、そこからがんじがらめになっているけど、実はそれは単なる幻で、本当は普通なんて基準はどこにもないのかもしれないですね。
【プロフィール】
奥山佳恵さん
1974年、東京生まれ。2001年に結婚。2002年に長男・空良(そら)くんを、2011年に次男・美良生(みらい)くんを出産。美良生くんが生後1か月半の時、ダウン症と告げられる。著書に、美良生くんの育児日記を公開した、ドキュメンタリーエッセイ『生きてるだけで100点満点!』(ワニブックス刊)がある。
松永正訓さん
1961年、東京生まれ。「松永クリニック小児科・小児外科」(千葉県千葉市)院長。2013年に『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館刊)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。読売新聞の医療・介護・健康情報サイト「yomiDr.(ヨミドクター)」で連載を持つなど、命の尊厳をテーマとした記事や作品が各所で好評。
※女性セブン2018年12月13日号