妻への愛を語る野村克也氏
──野村さんは突然の、田原さんは5年10か月の看病の末の別れ。男としてはどっちが幸せでしょうか。
田原:僕でしょう。
野村:俺でしょう。(二人同時に)
野村:苦しまずに逝きたいっていうのは、みんな思うことだよね。もちろん、残される側は心の準備ができないままだったけど、サッチーは苦しまず、眠るように逝けて良かったなって。
田原:それが野村的ね。僕は女房を看病している間に、一緒にいろんなことをしたから。四国や沖縄に旅行もしたし、韓国にも行った。車椅子を押すだけじゃなくって、着替えを手伝ったり風呂に入れたり。入浴の時は、ボクも素っ裸になって奥さんを抱っこして、洗ってあげるんです。何か、若い頃に戻ったような気がして楽しいんですよ。「こんなに楽しいことが、老後にあるとはねえ」って、奥さんと笑い合っていました。介護という老後の新しい愛の形があると思いました。
僕が仕事で北朝鮮に行っている間に亡くなったから死に目に会えなかったんだけど、「やるべきことは全部やれた」と満足している。
【PROFILE】
のむら・かつや/1935年、京都府生まれ。1954年に南海に入団し、強打の捕手として活躍した。1965年に三冠王。南海ではプレーイングマネジャーを務め、現役引退後はヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任した
たはら・そういちろう/1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学を卒業後、映画制作会社勤務を経て、1964年に東京12チャンネル(テレビ東京)入社。ドキュメンタリー番組を手がけ、1977年の退社後はフリージャーナリストとして活動している
※週刊ポスト2019年1月1・4日号