野村克也一覧

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6月マジック点灯も!独走ヤクルトに伝えたい「1965年の南海」はなぜ日本一を逃したか
6月マジック点灯も!独走ヤクルトに伝えたい「1965年の南海」はなぜ日本一を逃したか
 ヤクルトの快進撃が止まらない。交流戦を優勝した後もチームは好調を維持し、2位の巨人に11ゲーム差をつける独走態勢を築いている。ついには、史上初めてとなる6月中のマジック点灯の可能性も見えてきた。2連覇に向けて非常に順調な道のりだが、プロ野球の歴史を振り返ると、早いタイミングでのマジック点灯でチームに“息切れ”が生じたように見える例もある。今季のヤクルトはどうなるか。 6月26日、ヤクルトが巨人との3連戦を2勝1敗と勝ち越したことで、5月の広島戦から交流戦を挟んで12カード連続で勝ち越しを決めた。12カード連続の勝ち越しは1965年の南海が6~7月に記録して以来となる。交流戦を挟む期間だったこともあり、両リーグ11球団からの連続勝ち越しという史上初めての記録も打ち立てた。 絶好調のチームにあっては、やはり史上初となる6月中のマジック点灯の可能性もある。ヤクルトが6月28、29日に広島に連勝し、DeNAが阪神に連敗した場合、6月29日にマジックが点灯することになるのだ。過去の最も早いタイミングでのマジック点灯は1965年の南海の7月6日である。 ただし、今年のヤクルトと1965年の南海とでは、消化試合数が異なる。ヤクルトは6月29日時点でマジック点灯となれば73試合時点となるが、4月10日開幕だった1965年の南海は、58試合での点灯だった。当時、マジックが点灯した7月6日時点での南海の成績は49勝9敗、勝率.845という圧倒的な数字。17連勝や10連勝、8連勝を記録し、連敗は2度しかなかった。本拠地(大阪球場)19連勝の日本記録も作っている。 この年、南海は88勝49敗3分で、2位の東映に12ゲームの差をつけてリーグ優勝を果たした。しかし、2位に20.5ゲーム差をつけて7月6日にマジックが出たにもかかわらず、優勝したのは9月26日(121試合目=当時は140試合)のことである。マジックが出た後の成績は39勝40敗3分だった。「油断をしたわけじゃないが、シーズンを通じて勝ち続けるというのは難しいということだと思いますよ」 当時、南海の2番バッターとしてセンターを守っていた広瀬叔功氏はそう振り返る。1965年シーズンの広瀬氏は39個の盗塁を記録し、5年連続となる盗塁王に輝いている。4番に座っていたのは正捕手の野村克也で、この年は打率.320、本塁打42本、打点110で戦後初の三冠王を達成した。広瀬氏が続ける。「あの頃は毎年のように西鉄と南海が優勝争いをするという展開で、南海は前年の1964年に日本一となっている。ノムやん(野村克也)は本塁打を5年連続、打点王を4年連続で獲得し、私も盗塁王は当たり前と思ってプレーしていた。ファンも勝つのが当たり前だったが、このシーズンはあまりの強さにファンが球場に来てくれなかった(笑)」勝って兜の緒を締めよ チーム防御率2.80、打率.255でともにリーグ1位で、南海の投手陣の踏ん張りが際立ったシーズンでもあった。開幕12連勝のパ・リーグ記録(当時)の林俊彦、10連勝の新山彰忠、8連勝の杉浦忠が先発の柱となり、皆川睦男、三浦清弘、スタンカ、森中千香良が好調だった。広瀬氏は打撃陣については、「ノムやんを挟んで3番ブルーム(打率.302、本塁打9本)、5番ハドリ(打率.238、本塁打29本)という外国人選手がよく打った。この両外国人は性格もよく、チームの中に溶け込んでやっていた」とも明かす。 南海は前半の貯金で優勝。日本シリーズでは2位の中日に13ゲーム差をつけてセ・リーグを制した巨人と対戦することになった。巨人は前年オフに国鉄から金田正一を獲得しており、三冠王の野村克也との対戦も話題になった。 結局、南海はこのシリーズを1勝4敗で落とし、日本一を逃す。城之内邦雄(21勝)、中村稔(20勝)、宮田征典(20勝)という巨人の右腕20勝トリオを攻略するために左打者を並べる作戦に出たが、6失策と守りからチームは崩壊した。巨人のV9(9年連続日本一)が始まったシーズンでもあった。広瀬氏は1965年のシーズンを振り返って、こう総括する。「どうしても息切れをするというか、南海はカネがなかったからな。巨人みたいに人参をぶらさげることもできなかった(笑)。それでも私も含め、自分のベスト尽くして精一杯やろうという気持ちでやっていた。南海の連中はタイトルや記録には無頓着というか、記録がかかっているからとプレッシャーはなかったように記憶しとる。 勝ったと大喜びもしなかったし、普通に淡々とやっていたかな。とにかく勝って兜の緒を締めよということで、偉ぶることもなく、油断だけはしなかった。だからこのシーズンが特に記憶に残っているということもないね。それでもシーズンを通して勝ち続けるのは大変だったし、日本シリーズでは力が出せなかった。今年のヤクルトのリーグ優勝は堅いだろうが、最後まで油断しないで戦ってほしいね」 ヤクルトの主砲・村上宗隆は、打率こそ.315で2位だが、本塁打26本、打点71は2位以下を大きく引き離してトップに立ち、三冠王も夢ではない。盗塁も塩見奏隆が17個と1位を走っている。1965年の南海に似ている好調ヤクルト。広瀬氏の“勝って兜の緒を締めよ”の言葉はどう響くか。
2022.06.28 16:00
NEWSポストセブン
予告先発で野球の楽しみ方はどう変わったか(写真は2011年。田中将大と斎藤佑樹のプロ入り初の直接対決。時事通信フォト)
プロ野球「予告先発」導入から10年 かつて野村克也・落合博満らが反対した理由
 先発投手が前日に判明する『予告先発制度』が両リーグで採用されてから、丸10年が経つ。パ・リーグは1994年から全試合で導入。当初、セ・リーグは採用を見送っていたが、2012年から導入し、同年から交流戦も含めてレギュラーシーズンの全試合が『予告先発』になった。野球担当記者が解説する。「もともと、観客動員に悩んでいたパ・リーグが1983年の開幕戦で初めて採用しました。その後、開幕戦や日曜日に『予告先発』をする年があって、1994年から全試合で行なうようになり、今に至ります。セ・リーグは“反対派”だった中日・落合博満監督が退任した翌年から導入されました」(以下同) 予告先発は誰が投げるか事前にわかることで、ファンを球場に呼びやすくなる。また、チームとしては、試合前のミーティングで1投手の対策に絞ればいいため、無駄がなくなるという利点がある。「『観客動員アップのため』は建前でしょう。セ・リーグは導入前の2011年と比べ、2012年の入場者数が減っています。だからといって、予告先発廃止の議論にはなりませんでした。もちろん、各チームのエース級投手が投げる日には、『ぜひ観に行こう』というファンも多くいるでしょうが、それ以外の予告先発はほぼ観客動員に影響しないのが現実。各球団の本音としては、余計な時間を使いたくないのでしょう。 先発を発表していない時代は、2~3投手への対策を立てながらも、予想外の違う投手が出てくることもあった。それが予告先発なら、余計な神経を使う必要もなくなる。その分、練習に集中できるし、正々堂々とした真っ向勝負になっていいという見方もある。一方で、予告先発は『強者がより強者になる』制度です。正攻法で戦えば、戦力のあるチームが有利になりますからね」新庄ビッグボスが指名する開幕投手も前日までに判明 2006年には、楽天の指揮官1年目の野村克也監督が12球団監督会議で、予告先発の廃止を主張。「相手の先発を教えてもらうと監督が楽。そういうことだから、後継者が育たない」「戦いは90%が読み。騙された、当たったという快感もある」「弱い球団には不利。奇策、奇襲が使えない」などと持論を展開した。だが、現在に至るまで同制度はなくなっておらず、“先発の読み合い”は消滅した。「予告先発がファンの楽しみを奪ってしまっている面もあると思いますよ。日本ハムの新庄剛志ビッグボスは開幕投手候補について『13人くらいいる』と発言しており、本当に誰が来るのかわからない。それでも、予告先発制度なので、前日までにはわかってしまう。サプライズ度やドキドキ感は半減どころか、8割くらい少なくなりますよね。 予告先発がセ・リーグになかった2004年、就任1年目の中日・落合博満監督が開幕投手に3年間一軍での登板がなかった川崎憲次郎を抜擢した時、ナゴヤドームが驚きの声で溢れ返りました。予告先発は“筋書きのないドラマ”と言われるプロ野球の筋書きを作ってしまっている点も忘れてはいけない」 名将・野村克也監督が「弱い球団には不利」と指摘した予告先発。3年連続でパ・リーグ5位に沈んでいる日本ハムにとっても不利に働く可能性があるが、新庄ビッグボスはどう対応するのだろうか。「新庄ビッグボスのことですから、予告先発制もうまく利用するとは思います。例えば、右投手を先発させ、打者1人に投げ終えたところで、左投手に変えるなんてこともあると思います。意外な采配でファンを楽しませてくれるのではないでしょうか」金田監督は奇襲失敗、野村監督は成功 パ・リーグが4月から8月までの日曜日を予告先発としていた1990年、ロッテの金田正一監督が奇襲を敢行している。8月5日のオリックス戦(西宮球場)で、左の中継ぎである今野隆裕を今季初先発させたものの、わずか2打者4球で右腕の小川博にスイッチした。この時は、小川は打ちこまれ、ロッテは3対12と大敗を喫した。 同じ年、予告先発制度のないセ・リーグではヤクルトの野村克也監督が10月1日の広島戦(広島市民球場)で、右投手の郭建成を先発させた。『3番・ライト』に偵察要員を入れていた広島の山本浩二監督はそれを見て、左打者の長内孝に代えた。野村監督は郭が先頭の野村謙二郎を1球で打ち取ると、左投手の加藤博人に交代させた。加藤は6回まで1失点に抑え、後を継いだ内藤尚行が3イニングを締めて、3対1で勝利している。「ロッテ金田監督の奇襲の時は、当時のオリックスがスイッチヒッターの松永浩美から始まり、門田博光、石嶺和彦、ブーマー、藤井康雄など打線はほとんど固定されていたので、あまり効果がなかったのでしょう。一方、広島は先発が右か左かで、打線が変わっていた。野村監督がそこに目をつけて、奇襲でうっちゃった。 今年も予告先発制で行われますが、両リーグで採用されて丸10年が経ったわけですし、本当に必要なのか、野球の楽しみを奪っていないかという議論は、常に続けていったほうがいいと思います」 予告先発がドラマを奪っているのか、あるいは新たなドラマを生むのか──。
2022.03.15 07:00
NEWSポストセブン
矢野監督は続投
阪神・矢野監督の「今季で退任」発言で元球団社長が抱く“大きな心配”
 キャンプイン前日という異例のタイミングで「今季限りで退任する」とナインに公表した阪神・矢野燿大監督(53)。この発言は今季のチームのあり方にも大きな影響を及ぼすことになりそうだ。発言翌日、キャンプを視察した百北幸司・球団社長は「(退任の公表は)事前に聞いていた」とコメントしたが、「私なら全力で発言を止めていたでしょうね」と語るのは、2001~2004年まで阪神の球団社長を務めた野崎勝義氏(80)だ。 野村克也氏、星野仙一氏、岡田彰布氏の3監督を支えた野崎氏は、今回の退任公表について、「昨年のシーズン終了後に辞任を申し出た矢野監督を全力で慰留した藤原崇起・球団社長と谷本修・球団副社長が揃ってその職を退任したことで、責任感の強い矢野監督が自身の今季限りの退任公表を決意したのでしょう」と、その心情を察しながらも、「キャンプ直前の発言となったことで、チームの戦意が高まるどころか逆効果になるのではないか」と心配する。 それというのも、野崎氏には苦い記憶があるからだ。野村克也監督の3年契約最終年だった2001年3月に、妻・野村沙知代さんの脱税疑惑が発覚した。週刊誌が大きく報道するなか、在阪のスポーツ紙が「野村監督、今シーズン限り」と見出しを打ったのだ。「阪神の“機関紙”とも言われる在阪スポーツ紙が書いたことを重く見て、業務妨害であるとして即出禁にしました。これから1年間、戦おうとしているのに、選手やコーチが動揺しますよ。実際、開幕戦で巨人に大敗すると、連敗が続いて6月には最下位の指定席に。士気が上がらないまま3年連続で最下位になった。本来、監督が1年契約なのか3年契約なのかといったことも口にしてはいけない。それぐらい選手は監督の顔色を見ている」(野崎氏) 野崎氏によれば「矢野監督は星野監督を尊敬し、星野監督も一番弟子として認めていた」という。その星野監督は、阪神の監督就任2年目の2003年にリーグ優勝したが、シーズン終了後に健康問題を理由に勇退している。「試合中に高血圧で4回も倒れており、星野監督はオフに辞任することを早くから決めていた。しかし、それを我々の耳に入れたのはリーグ優勝後のことでした。星野監督が球団幹部にさえ辞意を伝えなかったのは、選手が動揺することを心配してのこと。我々もその意を汲んで日本シリーズが終わるまで公表しないことに決めていました」(野崎氏) しかし、実際には星野監督はソフトバンクとの日本シリーズ開幕前日(10月17日)にシーズン後の退任を公表。阪神は3勝4敗で日本一を逃した。この経緯について、野崎氏は「当時の正捕手だった矢野・現監督が、“星野監督は選手の奮起を期待してシリーズ直前に退任を公表した”のだと思っているのだとすれば、それは間違い」と指摘する。「実は久万俊二郎オーナー(当時)が親しい記者に星野監督退任を漏らしてしまい、それを1社だけがスクープ記事として書こうとしていることがわかったのです。星野監督はなんとか止めようとしたが、止められそうになかった。そのため、各社の番記者たちと公平に接してきた星野監督は自ら公表して“スクープ潰し”をしたというのが真相です」 それほどまでにシーズン中の退任公表は避けるべきものと考えられていたわけだ。ましてやシーズン前の「今季限りの退任」発言だけに、野崎氏が心配するのも当然かもしれない。今後、球団フロントはどのように矢野監督をフォローすればいいのか。野崎氏は言う。「“来年以降も続けてほしい”と言って、成績については“私たちも一蓮托生です”と発言するしかないでしょうね。いずれにしてもかなり早い段階から後任監督について取り沙汰されることになる。前半戦で躓いた時が本当に心配ですね」 阪神にとって試練の1年がスタートした。
2022.02.03 16:00
NEWSポストセブン
「新庄フィーバー」が止まらない(時事通信フォト)
日本ハム監督就任の新庄剛志 個性あふれる名場面をプレイバック
 古巣・北海道日本ハムファイターズの監督に電撃就任して以降、毎日話題をかっさらっている球界のスーパースター・新庄剛志(49才)。キャンプ初日から連日、個性的なファッションが話題となり、早くも新庄ワールド全開でファンからの期待も増すばかり! そんな“記録にも記憶にも残る男”新庄の現役時代を思い出の名場面とファッションで振り返ります。●1998年11月 秋季キャンプ 新庄のことを“宇宙人”と評した名将・野村克也氏(享年84)とは大学卒業後に入団した阪神で師弟関係に。阪神時代の名場面である、敬遠球を打ってサヨナラヒットにしたのも、野村氏が敬遠球を打つことを許可したことからであった。●2002年4月10日 ニューヨークメッツ入団会見 阪神を退団し、FA(フリーエージェント)でニューヨークメッツに入団。退団前には阪神から5年12億円の契約を提示されていたが、メッツと年俸2200万円という低年俸で契約を結んだ。●2004年7月11日 プロ野球オールスター第2戦 全プロ野球ファンが注目する場面で、やはり話題はこの男がかっさらった。三回裏に三塁ランナーだった新庄が取った行動はまさかのホームスチール。見事生還し、会場は大盛り上がり。●2005年5月6日 プロ野球交流戦日本ハム×阪神『スター・ウォーズ』のキャラクター・ダースベイダーに扮して登場。これ以降も度々かぶり物やコスプレでファンを沸かし続けた。●2005年5月31日 プロ野球交流戦日本ハム×巨人 この日は顔、顔、顔と並んだマスクで選手を驚かせた。ファンだけでなくチームメイトからも愛されるムードメーカーっぷりはさすがの一言。●2006年9月27日 引退セレモニー 試合後に行われた引退セレモニーでは、大勢のファンに見守られながらユニフォームを脱ぎグラウンドに置く“山口百恵”演出で幕を閉じた。撮影/『女性セブン』写真部  写真/時事通信社※女性セブン2021年12月2日号
2021.11.20 07:00
女性セブン
高津臣吾監督が師・野村克也氏から何を受け継いだ?(写真/共同通信社)
ヤクルト高津監督 野村克也氏から受け継いだ「勝ちにこだわる姿勢」
 10月26日に6年ぶり8度目となるセ・リーグ制覇を果たしたヤクルトスワローズ。投打がガッチリかみ合い、ベンチでは若手もベテランも声を張り上げる。今年のヤクルトには1990年代の黄金期が再来したような熱気があった。チームを率いる高津臣吾監督(52)は、名将・野村克也氏から「ID野球」の薫陶を受けた“野村チルドレン”。快進撃に導いた「師の教え」とは──。(前後編の前編)1点を守り切る 昨年までの低迷が嘘のようだった今シーズンのヤクルトスワローズ。開幕前に多くの評論家が「最下位」を予想したが、フタを開ければ堂々の戦いぶりだった。特に9月後半から10月にかけては連勝街道を猛進し、巨人、阪神を抜き去って、いち早くマジックを点灯させた。 ベテラン青木宣親(39)から山田哲人(29)、そして主砲の村上宗隆(21)につなぐ流れに加えて、1番センターには塩見泰隆(28)が定着。投手陣も2年目の奥川恭伸(20)がエース格に急成長し、先発から中継ぎ、抑えの必勝リレーも確立した。 個性的な面々を束ね、チームを勝利に導いたのが就任2年目となる高津臣吾監督だ。戦前の予想を覆す躍進の原動力として、スポーツ紙デスクは「高津イズムの浸透」を挙げる。「高津イズムの神髄は、“1点を守る野球”です。高津監督は5月の巨人戦では、同点の場面で2死一、二塁から村上とオスナ(28)にダブルスチールさせ、その後の内野安打で1点をもぎ取り、逃げ切った。こうした1点を守る高津野球をシーズン序盤からチームに浸透させたことが、後半の快進撃につながりました」 この高津イズムの原点といえるのが、昨年亡くなった師匠・野村克也の存在である。高津氏は2019年10月の監督就任会見で「野村監督から野球の難しさ、奥深さを学んだ」と語っている。高津・野村両氏、そして「29年前のヤクルト優勝」をよく知るかつてのチームメイトの証言をもとに、深い絆で結ばれた高津氏と野村氏の関係を紐解いていく。「野球はピッチャーだ」 万年Bクラスにあえいでいたヤクルトの監督に野村氏が就任したのは1990年。現役時代に史上2位の657本塁打を放ち、南海で選手兼監督も務めた野村氏は果断なチーム改革を進め、就任2年目にヤクルトを11年ぶりのAクラスに導いた。 迎えた勝負の3年目。シーズン終盤に荒木大輔の約4年ぶりの復活登板で上昇気流に乗ったチームは、奇しくも今季と同じ阪神、巨人とのデッドヒートを制して14年ぶりのリーグ優勝に輝いた。 チームを見事に再建した野村氏が旗印に掲げたのが、データを重視する「ID野球」だ。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 この信条を胸に、1球1球を大切にする緻密な野村理論を叩き込み、古田敦也、池山隆寛、岡林洋一、石井一久ら、常勝軍団の主力を育てた。そんなカリスマ監督の就任2年目に、ドラフト3位で入団したのが高津氏だった。 当初は先発要員だったが、野村氏から「球界を代表する抑えになれ」と遅いシンカーの習得を命じられ、つきっきりで指導を受けた。野村氏の慧眼で才能を開花させた高津氏は、3年目の1993年シーズンに20セーブを挙げて、リーグV2と15年ぶりとなる日本一に貢献した。 その後、日本球界を代表するクローザーとして大リーグにも挑戦した高津氏の礎となったのが、野村イズムに他ならない。「僕らもそうですが、高津監督は野村野球を継承するひとりだと思う」 こう語るのは、1992年の優勝メンバーである飯田哲也氏。野村ヤクルトで不動のリードオフマンを務めた名外野手である。飯田氏は、高津氏の「勝ちにこだわる姿勢」に野村氏の背中を見る。「野村監督がよく口にしていたのは『点を取られなければ負けない』という言葉で、点を奪って勝つ野球よりも、点を与えず負けない野球を目指していました。 今季の高津監督も、“ここは落とせない”という試合でピッチャーをどんどんつぎ込みました。勝つチャンスがあれば、投手に無理をさせてでも勝ちにいく姿は野村監督を彷彿させます。高津監督は自分なりの考えを持ちつつ、根底の部分で勝ちに徹した野村野球を継承しています」 攻撃時の采配からも、野村イズムが垣間見える。「野村監督は送りバントやスクイズ、ダブルスチールなど“細かい野球”で1点を奪いました。今季の高津監督のチームも、盗塁数、犠打数はともにリーグ2位です。野村野球が染み込んだ僕らからすれば、勝ちにこだわり、1点を大切にする野球を高津監督が心掛けていることがわかります」(飯田氏) 野村氏は観察、洞察、分析、判断、決断を重ねる捕手というポジションを最も重視して、常勝ヤクルトでは愛弟子の古田がID野球の扇の要となった。「古田さんには及ばないが、今季は中村悠平(31)の成長が大きい」 そう指摘するのは、野村ヤクルトで「ギャオス内藤」としてブレイクし、リーグ優勝や日本一に貢献した内藤尚行氏だ。「野村ヤクルトがリーグ優勝した時は古田さんがチームの屋台骨となり、『グラウンドに監督がいると強い』と言われました。今季のヤクルトは正捕手の中村がチームに貢献しています。特に攻撃面はオスナとサンタナ(29)の両外国人の間で勝負強い6番打者として力を発揮しています。その潜在能力を引き出したのは高津監督の大きな功績で、今の中村は野球をするのが楽しそうです」 野村ヤクルトで代打の切り札として活躍し、2007年からは楽天の監督となった野村氏のもとでヘッドコーチを務めた橋上秀樹氏は、高津氏の「投手陣の整備」に野村イズムを見たと指摘する。「野村監督には『何があっても投手力が第一。野球はピッチャーだ』との信念があり、バッテリーを中心にした守りの野球を貫きました。そのポリシーを高津監督が受け継ぎ、投手力を整備したことが昨年から順位を大きく上げた要因でしょう。長いイニングを任せられる先発投手がおらず、小刻みな継投をせざるを得ないチーム事情の中で、清水昇(25)、今野龍太(26)の中継ぎ陣を大きく成長させました」 内藤氏も「後ろ(7・8・9回)を固めたことが大きい」と語る。「野村監督は試合終盤の投手采配を重要視しました。高津監督も同様に、当初は抑えの切り札としていた石山泰稚(33)の調子を見極め、マクガフ(31)をストッパーに回した。非常に勇気がいる采配ですが、見事に成功させました。 高津監督は投手出身だけにピッチャーの心理をよく分かっていて、今季は今野や清水をうまく起用しました。選手の心を巧みに再生させる手腕も、野村野球を想起させます。あと私が聞いた話では、高津監督は仰々しい素振りは見せませんが、実はベンチ内では選手たちに戦術やサインなどについてかなり緻密に指示を出しているのだそうです」(後編〈ヤクルト高津監督 野村克也氏の教えに自分流のアレンジを加えて大成功〉へつづく)※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.27 16:00
週刊ポスト
二人三脚で習得した「遅いシンカー」は代名詞に(1995年2月撮影/時事通信フォト)
ヤクルト高津監督 野村克也氏の教えに自分流のアレンジを加えて大成功
 10月26日に6年ぶり8度目となるセ・リーグ制覇を果たしたヤクルトスワローズ。投打がガッチリかみ合い、ベンチでは若手もベテランも声を張り上げる。今年のヤクルトには1990年代の黄金期が再来したような熱気があった。チームを率いる高津臣吾監督(52)は、名将・野村克也氏から「ID野球」の薫陶を受けた“野村チルドレン”。快進撃に導いた「師の教え」とは──。(前編〈ヤクルト高津監督 野村克也氏から受け継いだ「勝ちにこだわる姿勢」〉から続く)ボヤく野村、叱らぬ高津 高津氏と野村氏には、関係者が「正反対」と口を揃える一面もある。それが「選手との接し方」である。野村氏の育て方は、「三流は無視、二流は称賛、一流は非難する」 というもの。それは、二流までは褒めれば伸びるが、一流は褒めても図に乗るだけだから、的確な批判や非難をして発奮させなくてはならないということだ。一方の高津氏はヤクルトの二軍監督だった2019年2月、『週刊ポスト』の取材(2月8日号)にこう断言している。〈一番気をつけているのは「野球に関しては叱らない」ということです。叱って学んでくれればいいと思いがちですが、失敗から成功へ導くためには、何がダメだったのかを説明して、選手からも意見を聞くことで、本人が納得して次のプレーに準備できるほうがいい〉 押しも押されもせぬ主力投手として、野村ヤクルトを支えた川崎憲次郎氏が指摘する。「ノムさんは理詰めできましたが、ボヤきも多かった。一方の高津監督は選手時代からフレンドリーで、ガミガミ怒ることはしません。元々性格が明るい人だし、ベテランと若手を差別しないタイプなので、選手の輪の中に入ってみんなと同等に接しているはずです。 一方、グラウンドで理不尽なことが起きれば、選手を守るために激高します。その姿を見た選手たちは、監督は自分たちの味方だと発奮するはずです。特にいまの若い選手にとって、理想の監督ではないでしょうか」 野村監督時代にヤクルトで活躍した「ギャオス内藤」こと内藤尚行氏も「高津監督は選手の懐に入るのがうまい」と語る。「ノムさんは選手との間に一線を引いたけど、高津監督は選手の兄貴分のような存在で、選手と一緒に騒いでバカになれるし、相手をうまくイジることができます。盛り上がる雰囲気を上手に作れることが、いまのチーム作りにも生きています。12球団で最も“監督ヅラ”をしない監督だから、選手もそんな指揮官のために頑張れるんじゃないかな。その点はカリスマ性のあった野村監督とは正反対です」(内藤氏) 企業社会でも上司が若手社員に厳しく接することが御法度となるなか、かつて鉄拳指導が当たり前だったプロ野球の世界でも、令和流の指導が求められている。現に高津氏は二軍監督時代、「叱らずに伸ばす」方針を実践し、村上宗隆や奥川恭伸など有望な若手を入団後すぐに一軍で活躍できる選手に育てあげた。真価が問われる「短期決戦」 その「人間力」は、辛口の野村氏も認めていたほどだ。高津氏の二軍監督就任が決まったのち、野村氏は本誌インタビュー(20年1月17・24日号)でこう語っている。〈高津は選手から人気がある。私の教え子では珍しく(笑)、人間性がいいのだろう。野球を熟知しているかは疑問符がつくものの、二軍監督からスタートしたという経歴は非常にいいと思う。大いに期待できる〉 選手との接し方は異なるものの、2人は深いところでつながっているとの指摘もある。「高津監督は野村監督と同じように、言葉を大切にしています」 と指摘するのは、のむらヤクルトで代打の切り札として活躍し、2007年から楽天の監督となった野村氏のもとでヘッドコーチを務めた橋上秀樹氏だ。「野村さんはID野球を浸透させるためミーティングに多くの時間を割き、選手に滔々と語りかけました。報道で見る限りは、高津監督も言葉で選手を奮い立たせ、チームの結束力を高めているようです。質や量の違いはあれども、言葉の力で選手を鼓舞することは2人の監督に共通します。 今季のペナント終盤のヤクルトと巨人を見ると、選手のモチベーションがいかにチームの成績に影響するか一目瞭然です。指揮官の発言がどれほど大事か、この数週間の戦いでよくわかりました」 今回、取材したメンバーは高津氏について、「野村監督のいいところを受け継いで、自分流のアレンジを加えた」と口を揃えた。 2019年の『週刊ポスト』の取材で、高津氏は「言葉の力」についてこう語った。〈ケガで調整中だったり、リハビリ中で野球ができない選手を見ると、若い選手と同じ態度で接してはいけないと感じます。例えば、「頑張れ」という言葉ひとつでも、18歳とベテランでは受け取り方が違います。リハビリ中の選手には重い言葉になるかもしれない。そういった一つの言葉を使い分けるようになりました〉 言葉を大切にする野村氏の教えをもとに、高津流の心遣いを加えた「言葉の使い分け」が選手の心を掴み、チームを飛躍させたのだろう。 しかし、野村ヤクルトで4番打者として活躍した広澤克実氏は、「まだ今の段階で高津が野村野球を継承したとは言えない」と語る。「野村監督の最大の凄みは短期決戦の強さです。野村監督は徹底的に相手を分析して対策を練り、時には奇策をひねり出したので、“監督同士の手腕はウチの監督が1枚も2枚も上だ”という安心感がチームにありました。 短期決戦の勝敗を分けるのは監督の手腕です。高津監督が野村チルドレンとしてどんなマジックを見せてくれるのか、この先のクライマックスシリーズや日本シリーズで真価が問われます」 かつて野村氏は、「名将の唯一の条件は選手やコーチからの信頼」と語った。高津氏はこの先の短期決戦でチームから真の信頼を得られるのか──その答えが出るのは間もなくだ。※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.27 16:00
週刊ポスト
「週刊ポスト」本日発売! 岸田首相が土下座する相手ほか
「週刊ポスト」本日発売! 岸田首相が土下座する相手ほか
 10月25日発売の「週刊ポスト」は、大西結花のお宝袋とじグラビアも付いた秋麗プレミアム号。秋篠宮家の眞子さまご成婚、そして週末には総選挙と、コロナが収まった日本は再び激動の時代に突入した。日本の行く末を見定める重大ニュースと、政治に代わって読者の健康・財産を守る特集が満載です。今週の見どころ読みどころ◆選挙翌日、岸田首相は菅と二階に土下座するきたる総選挙では、自民党は単独過半数(233議席)を守れるかどうかの厳しい戦い。岸田首相は早速、敗戦処理という難しい仕事に直面する。安倍、菅両政権を支えたのは、公明党と維新の会という党外勢力の協力だった。しかし、その両党とのパイプをつないでいたのは、先の総裁選で駆逐された菅前首相と二階幹事長。もし自民党が過半数割れに陥り、両党の助けが必要になった時には、菅氏は党内非主流派に追いやった2人の協力が必須になる。◆<好評企画>老人党座談会「岸田はケンカが弱すぎる」自民党の歴史と岸田首相の父、祖父らを知り尽くした亀井静香、山崎拓、藤井裕久の3氏が選挙後の政局を大胆に予言する。岸田氏について、3氏は政策通であることは評価しつつ、国難や党の危機に対処する「ケンカ力」に疑問あり、と評した。◆<カラーグラビア>眞子さまと秋篠宮「父娘で歩んだ30年」本誌の皇室カメラマンが採り続けてきた眞子さまと秋篠宮殿下の30年をまとめた。眞子さま生誕直後の親子スリーショットから幼少期のあどけない姿、最近の佳子さまとの微笑ましいツーショットまで、内親王として過ごした30年間が凝縮されたフォトアルバム。◆コロナは消えたのか? これが専門家17人の「最終回答」経済の再稼働が加速している。このままコロナが収束し、景気が上向くなら万々歳だが、果たしてコロナは本当に「消えた」のか。諸外国に比べても目を見張るような急速な感染者減少の理由は何か? 第6波は来るのか来ないのか? 専門家の見解を一斉取材した。◆『日本沈没』で注目度ナンバーワンの國村隼が「世界から求められる」ワケドラマに映画に活躍し、海外でも名だたるプロデューサー、監督から「指名買い」され続ける國村隼。共演者や制作者たちが、その魅力を余すところなく語る。國村が女優としての“ファースト・キス”の相手だったという有村架純も登場。◆眞子さま「新婚いきなり単身赴任」で姑・佳代さんと二人暮らし?ついに結婚する眞子さまと小室圭氏。4年も待たされた結婚に2人は幸せの絶頂かと思いきや、新婚早々、小室氏は「単身赴任」になりそうだという。就職したニューヨークの弁護士事務所からは「早く帰って来い」と要請され、いったん眞子さまを置いて渡米する可能性が高まっている。夫を追いかけて海を渡るまでの間、秋篠宮邸を出る眞子さまは小室佳代さんと二人暮らしになる!?◆五木ひろし「紅白卒業」宣言の11日前に語っていた「まだまだ出る」突然、紅白卒業を宣言した五木ひろし。ところが、実はその直前まで、新聞の連載で卒業は「僕には理解できません」と語っていた。実は、五木を卒業させたい制作サイドと、なんとしても北島三郎を抜いて「歴代最多出場」の称号を手に入れたい五木との間で水面下の駆け引きがあったという……◆ヤクルト・高津監督が師匠・野村克也から引き継いだID野球評論家の多くが今年も最下位と予想したヤクルトの躍進は、高津臣吾・監督の手腕なのか。1990年代のヤクルト全盛期に不動のクローザーとして活躍した高津氏は、当時のスワローズを率いた野村克也・監督からID野球を吸収していた。当の野村氏は高津氏について、「私の弟子にしては珍しく選手から人気がある」と語っていた。◆ED治療はここまで進化した!「幹細胞治療」で87歳が「復活」していた40代以上の男性の3人の1人がEDに悩んでいるという。薬に頼る人も多いなか、医療の世界ではED治療が新しいステージに進んでいる。本誌50代記者も体験して効果に仰天した「幹細胞治療」の驚くべき実績を紹介する。アメリカの判定基準では、「無反応、こんにゃく、みかん、グレープフルーツ、りんご」のうち、「グレープフルーツ」以下の硬さであれば治療すべきとされる。◆<すぐにできるマネー革命2連発>簡単ポイント生活&家に眠る「お宝」発掘普通預金の金利は100万円を一年間預けても数円。それに比べて各種ポイントカードは1%以上の還元率だ。ポイントカードもスマホに入れられる時代になり、買い物時に「ピッ」でその恩恵を受けられる。これを利用しない手はない。さらに、自宅の物置や押し入れにしまい込まれていた“ガラクタ”がお金に化ける事例も紹介。ある調査では、家庭に眠る「お宝」は平均70万円もの価値があるという。◆高齢男性を食い物にする「マッチングアプリ詐欺」の見分け方高齢者でもスマホ利用が当たり前になり、これまでなかった犯罪や被害も増えている。マッチングアプリで知り合った高齢男性に交際を持ち掛け、その後にお金を騙し取っていた「元看護師」が逮捕されたが、同じような被害は枚挙にいとまがない。どのようなケースは避けるべきなのか、危ない誘い文句は何か。マッチングアプリ詐欺に詳しい専門家が「7つの危険サイン」を挙げた。◆<グラビア特集>UFOは実在する!古今東西、人類の宇宙への憧れと怖れを掻き立ててきたUFOの伝説。オカルトだと笑い飛ばすのは簡単だが、現に米軍や世界の研究機関がその痕跡を追っているように、人類にとっての重大事であることも事実だ。数々の伝説や仮説、さらに三島由紀夫や石原慎太郎など、名だたる著名人が語っていた「UFOのこと」も一挙公開する。◆<ノンフィクション連載第1回>「バブルの王様」マムシと呼ばれた男バブル時代、「街金の帝王」「マムシ」と呼ばれた「アイチ」の森下安道。その破天荒な人生をノンフィクション作家・森功氏がリポートする。その絶頂期、森下はあのトランプタワーを1フロア買い占め、そこを拠点に世界的名画を買い漁った。トランプ前大統領、そしてマイク・タイソンと同席したステーキ・ランチの顛末とは……◆昭和の偉人たちのゴルフには「男の美学」があったコロナ禍で再びゴルフ・ブームが起きている。ゴルフは昭和の時代には「紳士のたしなみ」だった。偉人たちのゴルフ場での姿は、よく知られる伝記とは少し違っていたという。いずれ劣らぬゴルフ好きだった田中角栄、川上哲治、渡哲也、本田宗一郎、城山三郎、笑福亭仁鶴の素顔を、当時のゴルフ仲間たちが明かす。◆最新研究でわかった「薬とサプリ」やってはいけない飲み合わせリスト薬の多剤併用で深刻な健康被害が起きるケースは多い。それに加えて、見逃されがちなのがサプリの影響だ。サプリのなかには薬剤と同じ成分が含まれていたり、むしろ薬より多い成分だったりするものも少なくない。本誌取材で、高齢者が好む「イワシのサプリEPA」と「アスピリン」を摂取したことで、胃カメラ検査で出血が止まらなくなった恐ろしいケースも発覚した!◆有名病院の病院長が激白「うちでジェネリックを処方しない本当の理由」ジェネリックは先発薬と「同じ主成分」ではあっても「同じ薬」ではない。慶応病院や順天堂医院など、有名病院ではジェネリック使用率が低いことが判明した。なぜジェネリックを使わないのか? 川崎医科大学病院病院長が本誌取材に答え、「ジェネリックの問題点」を明かした。※全国の書店、コンビニで絶賛発売中!
2021.10.25 07:00
NEWSポストセブン
ノムさんのもとで投手として開花した高津(時事)
名将・野村克也が見抜いていた「高津にあって矢野にないもの」
 プロ野球セ・リーグは、シーズン前半から阪神が独走し、それを巨人が追う展開だったが、五輪後は阪神が失速、ようやく盛り返してきたら今度は巨人が失速し、その間隙をついてヤクルトがスルスルと首位に躍り出るという波乱のペナント争いだった。最後の最後に2強をまくったヤクルトは、若手とベテラン、投手と野手の歯車がガッチリと噛み合い、1990年代に名将・野村克也のもとで日本一を達成した黄金期を彷彿とさせる雄姿を見せた。 奇しくも、最後に優勝を争ったヤクルトの高津臣吾・監督と阪神の矢野燿大・監督は、ともに野村氏の教え子だった。高津氏は黄金期のヤクルトで、野村氏の指導で身につけた伝家の宝刀「遅いシンカー」を操って不動のクローザーとして活躍し、矢野氏は阪神監督となった野村氏から、キャッチャーとして試合全体を見る目を教え込まれた。 2019年のオフ、高津氏がヤクルト監督に就任した時、矢野氏はすでに監督1年目を終えていたが、それから2年後に2人が優勝を争っている姿を予想する関係者は多くなかった。しかし当時、2人の師匠である野村氏は2人の成功を予測し、同時にそれぞれの良さと欠点を見抜いていた。週刊ポストの取材で語った秘蔵の「ノムさん節」を公開しよう。 * * * 野村チルドレンと呼ばれる監督たちがペナントを戦う。悪い気はしないね。教え子たちが出世してくれることはうれしいよ。高津は就任会見で私について、「野球の難しさ、奥深さを学んだ」とコメントしてくれた。ただ、この世界はすべて結果。結果よければすべて良し。結果を出せば評価されるが、負ければ「野村のモノマネ」と批判されるだろう。その一方で、名将の条件は勝つことではない。結果が出るまでのプロセスが大事なんです。 信は万物の元をなすというが、名将になる唯一の条件は選手やコーチから信頼されること。監督が信頼されなければチームづくりはできません。そして、一度できた信頼はなかなか崩れない。監督が選手より一歩も二歩も前を歩いている、それが真のリーダーの姿です。 高津は投手出身だから、投手交代のタイミングがわかるという利点はあるが、基本的には投手出身の監督は視野が狭い傾向がある。現役の時には打者と捕手しか見ていないから、野球をいろいろな角度から見るという習慣がない。人気者だったから監督になったカネやん(故・金田正一氏)がいい例でしょうが(笑)、細事小事に目が届かない。 しかし、高津は選手から人気がある。私の教え子では珍しく人間性が良いのではないかな(笑)。野球を知っているかは疑問だが、二軍監督からスタートしたのはいい。大いに期待しています。ヤクルトの監督は宮本慎也がやるものだと思っていたが、宮本は野球はよく知っていて、言うこともすべて正しいが、歯に衣着せぬ言い方だから誤解されやすいのではないかな。今の世の中では、相手が傷つくようなことはあまり言わんほうがいい。 阪神の矢野には捕手出身という大きな武器がある。日本一になった監督には捕手出身が多いでしょう。上田利治、森祇晶、野村克也……、まあ田淵幸一と大矢明彦がぶち壊してしまったが(笑)、矢野はいい監督になる要素があるね。 捕手は試合で監督以上のことをやっている。筋書きがないドラマと言われる野球の筋を書いているのが捕手。データを駆使し、打者の見逃し方やスイングを観察し、洞察し、判断し、決断するという作業を1球ごとにやっています。だから監督になると、その経験がベースとなって采配を振るう。あとは人間的な部分で選手からどれだけ慕われるかです。 ただ、矢野には気になるところもある。天才的な選手だった監督によくある欠点は、自分が天才だから野球に哲学がなく、監督になっても目の前の試合に一喜一憂してしまうこと。味方がホームランを打つと真っ先にベンチを飛び出してくるとかね。それと同じことをやっているのが矢野だ。試合中に白い歯を見せ、選手と一緒になってバンザイする。そんなところで選手と一体感を持ったところで、本当の信頼は得られません。 逆転すれば監督として「よし」とは思うが、むしろ「このあとどう守るか」と先のことが気になるはず。喜ぶのはゲームセットの声を聞いた時で、それまでは喜んでなんかおれないのが監督というものなんです。 * * * 野村氏は今年のペナントレースを観ることなく、昨年2月にこの世を去った。改めて2年前の予言を見ると、草葉の陰で「見てみい、ワシの言ったとおりやったろう」と、ニヤリとしている顔が浮かんでくる。
2021.10.22 07:00
NEWSポストセブン
野村監督との思い出を門田博光氏が振り返る
門田博光氏が振り返る野村監督「タバコ吸いながらの説教に鍛えられた」
 多くの公共の場所が禁煙となっている今の時代。一方、昭和という時代を語るのにタバコの煙は欠かせない。スポーツ選手といえども喫煙者が多かったあの頃、昭和のスター選手は紫煙をくゆらせながらどんな表情を浮かべ、どんな言葉を交わしていたのか──。元プロ野球選手の門田博光氏が野村克也さんとのタバコにまつわる思い出を振り返る。 * * * ノムさん(野村克也監督)はヘビースモーカーで、いつもタバコを2箱持ち歩いていました。1日3箱くらいは吸っていたんじゃないかな。いつでもタバコを吸っていて、ミーティング中もタバコを手放さなかった。〈1969年11月、34歳の若さで南海ホークスの選手兼任監督となった野村は、入団1年目の門田博光をスタメンで起用。その後も起用し続ける一方で、自分の指示に素直に従わない門田、江夏豊、江本孟紀を「南海の三悪人」と称した。 だが、この言葉には3人への高い評価と親しみが込められており、後に野村は「この3人に鍛えられた」と明かしている。「名将・野村克也」への修業時代を過ごしたこの時期、彼の口元には必ずタバコがあった〉 監督兼任のストレスは相当なものだったと思います。監督室には秘密がいっぱいで選手は入れてもらえなかったけど、灰皿は吸殻で山盛りになっていたでしょうね。食堂でノムさんがタバコを吸っているときは、緊張から解放されて安心した顔をしていたのを覚えています。 ノムさんにはよく説教されましたが、そのときも必ずタバコを吸いながらでした。 周囲には「門田はワシが言うことの反対ばかりする」とボヤいていたそうですが、僕のような小さい体では振り回さないと打球が飛ばない。重いバットや長いバットを使うなど、ノムさんに抵抗するために試行錯誤を続けました。こんな頑固者だから“三悪人”のひとりにされちゃったんだけど(苦笑)。「育てんとアカンのや、このチームは」というのがノムさんの口癖でした。「よそから(有名選手を)引っ張ってくるような、継ぎ接ぎだらけのチームはいらん」と、生え抜きによるチームづくりに熱心に取り組んでいた。選手との駆け引きの部分もあったと思いますが、少ない言葉で選手を奮い立たせるのが上手かったですね。 アドバイスはくれるが、手取り足取り教えてくれるわけではなく、“これ以上言ったらダメ”“こいつには言っても大丈夫”という使い分けができる人でした。とにかく野球のことばかり考えていた。 僕が新人の頃は「1回だけチャンスをやるわ。これでアカンかったら、悪いけど社会人野球に戻ってくれるか」の繰り返しでした。ノムさんに鍛えられたおかげで、自分のダメさを知ることができ、長く野球を続けることができた。 タバコを吸いながら叱られた記憶しかありませんが、本当に感謝しています。※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.08.31 19:00
週刊ポスト
「生まれ変わっても沙知代と結婚したい」と語っていた野村克也さん(写真/共同通信社)
野村克也さん、沙知代夫人の亡き後語った「あいつは頼りになった」
 南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督を務めた“名将”野村克也氏は昨年2月11日、自宅の浴槽でぐったりしていたのを家政婦が発見し、その後死亡が確認された。84歳だった。晩年の野村氏のマネージメントをしていたのはプロ野球代理人(エージェント)である団野村氏の事務所だった。団野村氏は2017年に亡くなった野村沙知代さんと米国人の前夫との間に生まれ、野村氏は継父にあたる。野村夫妻が出会った当時、団氏は13歳だった。団氏が振り返る。 * * * 中学で野球を始めましたが、監督(克也氏)の影響もあったと思います。アメリカン・スクールの野球部に入部すると、文部省の許可を受けていないので大会に出られず練習試合ばかり。そこで監督の紹介で近大付属高の練習に参加し、夏休みの3か月と冬の1か月は(同校の)監督の自宅に下宿しながら強豪校の猛練習を経験したことが、私の人生にも大きく影響しました。 プロ野球選手も目指しましたが、サッチー(沙知代さん)は“大学は出なさい”という意向でした。ところがアメリカン・スクールから日本の大学に行けなかった。監督が「どうせ目指すなら大リーグを目指せ。アメリカの大学に進めばいい」と後押ししてくれた。それで米国の大学に2年間通いましたが、ヤクルトの入団テストに合格したので帰国。監督が陰でフォローしてくれたんだと思います。親の七光りです。 4年間プロでプレーし、再び米国に戻ってビジネスを始め、エージェントになりました。 監督は口数が少ないが、その一言に重みがあります。巨人の入団テストも受けて最終まで残ったが、その時に軽い気持ちで友達を連れて行ったんです。これを知った監督は「採用する側は仕事をもらいにいく姿勢も見ているんだ。立場をわきまえろ」と怒った。監督に怒鳴られたのは、後にも先にもこの一度だけでした。 監督は、貧しかった子供の頃の話をよくしてくれました。テスト生としてプロを目指したこと、新聞配達をして家計を支えたこと……そうした話も、私の人生や考えを変えてくれました。監督は「会社はどうなんだ」「なんでも準備は大事やで」「儲けるだけじゃなく人を残さないとダメだぞ。人だからな」といつも語りかけてくれた。 本人の前では何も言わなかったのに、サッチーが亡くなってからは口を開くとサッチーの話をしていました。「俺より先に逝きやがって……」「あいつは頼りになった」「いなくなって困る」と。「寂しい」という言葉は使わないけれど寂しさが溢れていた。 監督は思ったことを口に出さないので、こちらで悟らないといけない。監督の「嫌だ」は「やりたい」なんです。 ヤクルトの球団社長から監督の話がきた時にも「嫌だ」と言う。天邪鬼なので素直に「やりたい」とは言わない。人の弱点を見つけたりして観察するのが仕事だから、自分も弱点を見られたくないのでしょう。 その本心を察してあげたのがサッチーで、「この人の“嫌い”は“好き”だからね」とお尻を叩いてやらせる。最高のコンビで、監督はサッチーから「嫌じゃないわよ、行きなさい」と言われるのが好きだった。講演も「行きたくない」と言いながら60分の予定を90分オーバーする。野球解説もやりたいのに「やりたくない」と言って、スケジュールに入れておくと行くんです。本も「出したくない」と言いながら、取材をすると延々と話し続ける。 監督は出不精だからとにかく仕事をさせないと引きこもってしまうということで、晩年も週に4~5本は仕事を入れていました。「こき使うな」と言いながら、喜んでスケジュールをこなしていた姿が今も浮かんできます。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.12 07:00
週刊ポスト
橋上秀樹氏はコーチとなってからも野村克也さん薫陶を受けた
橋上秀樹氏 楽天時代に野村克也さんに貰った最高の褒め言葉
 故・野村克也さんが2006年、楽天イーグルスの監督に就任したとき、すでに70代だった。高齢であることに不安の声も出ていたが、田中将大や嶋基宏など若い才能を鍛え上げた。選手時代だけでなく、引退してコーチとなってからも野村さんの薫陶を受けた橋上秀樹氏が、楽天時代にコーチとして野村監督からもらったアドバイスを振り返る。 * * * 選手時代にかけられた言葉で印象深いのは「己を知れ」ですね。自分の役割をしっかりと認識した上で、目標を設定して練習に取り組みなさいという意味でした。 バッティング練習をしている時に、野村監督から「何を目指して練習しているんだ」と聞かれて、即答できなかった。「お前が4番を打てるのか?」とまで言われた時は衝撃でした。 プロ野球はそれまでエースで4番だった者たちの集まりですが、プロではそうは上手くいかない。だから、変化を求められるのです。 野村監督は将棋に例えて、「飛車角ばかりいっぱいいてもダメ。それぞれの駒が役目を果たして、初めて敵の王将を追い詰めることができる」と言っていました。 引退後、私も指導者の道を歩ませていただけたが、選手にはそれぞれ特徴があり、身体能力も違うから、自分がどんな役割を果たせるかを考えるように指導しています。 楽天のヘッドコーチ時代は、チームが弱かったので常に怒られていた記憶しかありませんが、4年目に2位になった時、「このチームも特徴のある選手が増えて、ワシの言いたかったことが浸透してきた。底上げができたのかなあ」と言われた。 監督の目指した方向に進んでいるというコーチに対する最高の褒め言葉だったんじゃないかと胸に刻んでいます。【プロフィール】橋上秀樹(はしがみ・ひでき)/1965年生まれ。ヤクルト、阪神で野村監督の下でプレー。2005年に楽天のコーチに招聘され、2007年からは野村楽天のヘッドコーチを務めた。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2021.01.03 11:00
週刊ポスト
山崎武司氏(左)は野村監督時からの言葉でさらにひと皮むけた(時事通信フォト)
山崎武司氏 野村克也監督「三振、大いに結構」で本塁打量産
 成績を落としてトレード要員になった選手や、球団を自由契約になった選手には、そのままプロ野球の世界からフェードアウトしていく選手が少なくない。だが、故・野村克也さんは、その独特な助言や指導によって再度活躍の機会を与え、選手を再び活躍させてきた。「野村再生工場」と呼ばれるその手腕によって再びの活躍をした選手の一人だった山崎武司氏が、初めて野球を楽しいと思わせてくれた野村監督の言葉について語った。 * * * 楽天でホームランを量産できたのは、この言葉をかけられたからなんです。 僕は追い込まれると三振したくなくて思い切ったバッティングができなかったのですが、野村監督から「三振、大いに結構。なぜ三振したかが大切。三振もいい当たりも同じアウト。根拠さえあれば思い切って振ればいい。何も考えずに三振してくるのはアカン」と言われた。三振しても次に活かせばいいと考えられるようになり、三振が恐くなくなった。 実のところ、僕は子供の頃から「野球をやらされている」と思っていたので楽しくはなかった。大嫌いだった。現役を27年間やりましたが、野球が楽しいと思ったのは野村監督との4年間だけです。“野村再生工場”の中でも一番ハマったという自負はありますね。ヤクルトでの小早川(毅彦)さんなどもいますが、僕こそが一番の傑作だと思っています。タイトルも取っていますしね。だから野村再生工場の長男を自称しているんです。 もし若い頃からヤクルトの野村監督の下でやっていれば、500本塁打、2000本安打を達成できたんじゃないかと言われるんですが、20代で野村監督と出会っていたら喧嘩していたと思います(苦笑)。歳を重ねて丸くなった野村監督だからうまくいった。 僕にとって野村監督はオヤジです。野球以外でもかわいがってもらっていた。ずっとオヤジだと思って引退後も付き合っていました。【プロフィール】山崎武司(やまさき・たけし)/1968年生まれ。1986年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団しプロ入り。2003年はオリックスへ、さらに2005年に楽天へ移籍。野村監督2年目の2007年には43本塁打、108打点で二冠王に。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2021.01.02 07:00
週刊ポスト
橋上秀樹氏はコーチとなってからも野村克也さん薫陶を受けた
「野球のやの字も知らん」野村克也さんに言われた遠山奬志氏
 2020年2月に亡くなった故・野村克也さん。1980年に現役を引退し、野球解説者時代を経て1990年にヤクルト監督に就任。4回のリーグ優勝、うち3回は日本一を達成したヤクルト監督を退いた直後、阪神の監督に電撃就任した。当時、移籍したロッテから阪神に戻った遠山奬志(照治)氏が、野村さんとの会話から鮮明に記憶に残っている言葉について振り返る。 * * * 現役の最後の最後にテスト入団で戻ってきた阪神で、野球の深さ、面白さ、考え方を教えてもらった。「プロ野球選手でも野球の“や”の字も知らない」という言葉が鮮明に記憶に残っていますね。 春季キャンプで「左バッターのインサイドに変化球を投げられるか?」と聞かれたんです。そこに投げられるサウスポーはいないという意味での質問だったのですが、僕は訳も分からず素直に「はい」と答えました。 もちろんインサイドに投げてはいましたが、さらに内側に食い込む変化球を投げる発想はそれまでなかった。それからサイドスローに転向し、インコースにシュートで攻めて、外角のスライダーで打ち取る僕のパターンが生まれたのです。 巨人の松井(秀喜)キラーと呼ばれましたが、彼は修正能力があるので同じパターンでは打たれてしまう。シュートとスライダーを意識させることでその裏をかいたり、とにかく考え抜きました。それでも代打の石井浩郎を敬遠し、4番の松井で勝負というサインが出た時は目を疑いましたけどね(笑い)。 現在、僕は高校生を指導していますが、相手がどう思っているのか観察することを重視している。相手によってかける言葉も違うし、教え方も変えています。レベルも理解力も違うし、性格も違いますからね。 野村監督から学んだことです。【プロフィール】遠山奬志(照治)(とおやま・しょうじ)/ドラフト1位で阪神タイガースに入団。1991年から1997年はロッテ、1998年から現役引退までは再び阪神で活躍した。1967年生まれ。サイドスローの左腕として左打者専門で起用され、松井秀喜、高橋由伸キラーとして活躍。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.30 11:00
週刊ポスト
宮本氏は入団時から野村門下生だった(共同)
90年代ヤクルトを常勝軍団にした「野村克也講演会」の秘密
 2020年2月に亡くなった野村克也氏は、プレイングマネージャーだった南海を皮切りに、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、それぞれチーム強化を成し遂げた。なかでも、1990年から9シーズン指揮を執ったヤクルトでは、4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝き、万年Bクラスだった弱小チームを常勝軍団に変身させた。『週刊ポスト』(2020年12月21日発売号)では、野村氏の教えを受けた4球団の元主力8人が「ノムさん語録」を語っている。そこに収録しきれなかった未公開証言をNEWSポストセブン読者にお届けする。本稿では、野村ヤクルトで活躍した2人の名手にご登場いただこう。 * * * 1986年のドラフト4位でヤクルトに入団した飯田哲也氏の本職はキャッチャーだった。その強肩は古田敦也氏と遜色なく、野村氏の直弟子になる可能性もあった。しかし、監督に就任した野村氏は飯田氏の俊足に注目し、90年シーズンにはセカンド、91年シーズンからはセンターでレギュラー起用し、のちに史上最高の外野手と評される才能を開花させた。 飯田氏は週刊ポストで、足を活かした選手になれと教わったエピソードを披露しているが、「適材適所」と並ぶ野村野球の肝は「考える野球」である。野村氏はミーティングを大事にすることで知られたが、飯田氏もその時間が野球人として糧になったと振り返る。「野村監督のミーティングは講演会みたいなものでした。キャンプ中は毎日『野村克也講演会』が開かれているみたいなものです。とても面白かったし勉強にもなるので、必死でメモを取りました。 データ野球というイメージがある野村監督ですが、印象に残っている言葉のひとつは『自分の直感を信じなさい』というものです。『経験に基づいた直感でプレーすることも重要』という教えなのですが、もちろんその直感には根拠がなければいけない。こっちに飛んでくるかな、という“ただの勘”ではダメで、“バットを短く持っているし、ピッチャーの球は速いからライト方向にしか飛ばないだろう”といった根拠を見つけて動かないと怒られる。野村監督の下で野球をやると考える力がつきます。それは指導者になってからとても助かりましたね」 もう一人の証言者は、野村ヤクルト後期に新戦力として頭角を現し、のちにチームリーダーとなった宮本慎也氏だ。1994年のドラフト2位で入団し、2年目からショートのレギュラーに定着、ヤクルト一筋17年のプロ野球人生で、2133安打を放って名球会入りも果たした。オリンピックの日本代表チームのキャプテンも務めた。 週刊ポストでは、「脇役の一流になれ」と野村氏からハッパをかけられた思い出を明かしているが、宮本氏もまた、「野村克也講演会」が野球人生に大きな影響を与えたと語った。「ミーティングの最初のほうは野球の話じゃなくて、どうやって生きていくかといった人生訓が多かったですね。それが野球につながっていくという話です。人生訓が野球の真理に触れていたり、相手はどう考えているか、自分はどう考えないといけないか、といったことを話してくれました。自分に当てはめた時に、何をすればいいか考えるヒントを与えてくれるミーティングでしたね。 でも、僕は野村監督の教え子のなかでは、あまり優等生ではなかったと思います。指導を受けた4年間に貢献できたかは正直わかりません。中心選手になれたのはそのあとですからね。むしろ、監督と一緒にやらせてもらって基礎をしっかり作れたと思っています。 僕はずっと怒られてばかりでした。でも監督は“三流は無視、二流は称賛、一流は非難”というポリシーだったそうですから、それが本当なら僕は間違いなく一流の仲間入りをしていたことになるんですけどね(笑い)」 ノムさん節が生で聞けなくなって間もなく1年になるが、「ノムさんの言葉」は多くの教え子によって長く語り継がれることになるだろう。
2020.12.30 07:00
NEWSポストセブン
橋上秀樹氏はコーチとなってからも野村克也さん薫陶を受けた
飯田哲也氏が野村監督時代を振り返る「怒られなければ合格」
 2020年2月に亡くなった野村克也さんは1990年、かつて万年Bクラスの弱小球団と揶揄されていたヤクルトスワローズの監督に就任。「ID野球」を掲げ、Aクラス常連チームへと生まれ変わらせ、1998年までに4回のリーグ優勝、うち3回は日本一となった。そんな、野村ヤクルトにおいて、俊足強肩の一番打者として大きく貢献した飯田哲也氏が、野村監督からの忘れられない言葉について語った。 * * *「フライを打つな。ゴロを打て。上げたら使わんからな」と厳しく指導されてきました。つまり内野安打でも、エラーでもいいから塁に出ろということなんです。塁に出れば「お前が塁上にいるだけで相手は気になる。塁上で揺さぶってやれ」と言われました。 監督からヒントをもらい、自分なりに解釈して実践する──その繰り返しでした。解釈を間違うと「なぜこのタイミングで走ったんだ」と叱られる。自分の考えを言うと、「そうじゃない、考えろ」と。細かい指示をされた記憶はなく、すべて自分の頭で考えさせられる。 外野にコンバートされたときも、理由は聞かせてくれなかった。未だに答えをもらっていないですからね。野村監督が亡くなった今となっては、僕の長所の足を活かした守備位置ということなんだろうと想像するだけです。僕への指導に共通していたのは「自分の持ち味を活かした野球をやりなさい」ということでしたから。 褒められたことはほとんどなかったですね。怒られなければ合格。一番怒られていたのが捕手の古田(敦也)さんで、僕は2番目でした。それでも野村監督は、僕の持ち味を誰より理解してくれていたんです。 楽天でも監督の下でプレーをしましたが、選手がホームランを打ってもベンチで腕を組んで座っているヤクルト時代とはかなり変わっていた。言っていることは変わらないのですが、ホームランをベンチ前まで出てきてハイタッチして喜んでいて、野球好きのおじいちゃんになっていました(笑い)。【プロフィール】飯田哲也(いいだ・てつや)/1968年生まれ。俊足巧打のセンターとしてヤクルトを牽引。2005年から現役引退まで、楽天ゴールデンイーグルスで再び野村監督のもとで活躍した。1992年の盗塁王。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.28 16:00
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NEWSポストセブン
よくぞ言った!江口のりこがぶっちゃけたテレビのタブー「番宣出演は意味がない」
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NEWSポストセブン
ゴルフをする女性芸能人が増えている(左は小島、右は鷲見。ともに本人のインスタより)
タイトなウェア姿を投稿しまくりの小島瑠璃子と鷲見玲奈「ゴルフ女子」枠巡る熾烈な戦い
NEWSポストセブン
ポスト和久田麻由子アナに浮上 「元東大ミスコン」堀菜保子アナ(27)の“大きな武器”
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NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
「定年までTBSに」先輩・吉川美代子アナが期待する安住紳一郎アナのこれから
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン