この国で、イラクでの人質に対して「自己責任」なんてさもしいことばが発明された、あの戦争だ。二審の名古屋高裁で想定外の違憲判決が出て(憲法九条は、条件を満たせば戦争を止める法的根拠になる、という判決)、東京に戻ったら全く皆スルーで、新幹線の東京駅で待たせていてラノベの原稿を渡した角川の編集者に「そんなのヤフーニュースに出ていませんでしたよ」と言われ驚いた記憶がある。ヤフーニュースがニュースの価値基準になったことを実感した一瞬だった。
二つの出来事につい口を出し、二つの裁判が終わったら平成の20年分が終わっていた。
後は何かあったか? 江藤淳が自死した後、何だか落ち着かなかった時、放り出していた対談の続きをやろうと吉本隆明さんが言ってくれて、その帰り、足腰が既に弱っていた吉本さんに肩を貸した、そのことだけ、たまに思い出す。平成の間、ひとりでフライングのように何かを口走る度、遠く離れて吉本さんが同じ方向に啖呵を切っていたのに幾度も安堵したものだ。
※週刊ポスト2019年1月1・4日号