話がそれましたが、この『あべのスキャンダル』は、1985年の新風営法によってほとんどのノーパン喫茶が閉店する中、しぶとく営業を続けました。その過程で、新たな企画を次々と打ち出します。例えば給仕がトップレスで牛丼を出す、お尻を出しながらハンバーガーを運ぶ、など、奇抜なサービスを提供し始めたのです。
これに東京の週刊誌が飛びつきました。〈エロスの発信地〉〈大阪トップレス料理店開店〉など、扇情的なタイトルが並びました。以降、「大阪=エロ」のイメージが定着していくのですが、実は裏話があります。
『あべのスキャンダル』の新企画の多くは、東京の複数の週刊誌編集部自らが考案していたのです。ある週刊誌の人間が、「こんな新企画をやったらウチで取り上げるよ」とアイデアを出し、新たな客を求めた店もそれに乗っかっていた事実を証言しています。
もともと同じ事は回転ベッドなどラブホテルの新企画でも起きていました。東京発のアイデアを、大阪で可視化したというわけです。
ストリップも同様に、大阪の劇場の過激さばかりが週刊誌でクローズアップされていきました。大阪ではこんなことさえやってのける、と。いつしかストリップ自体が大阪の象徴になりましたが、本当は東京で発祥し、波及したものです。昭和20年代の大阪のストリップ劇場には、「本場の東京から来た!」という看板が躍っていたのですから。
一連の現象は、言ってしまえば大阪の経済的、社会的失墜の現われにほかなりません。かつて大阪に本社を構えていた会社はみな東京に移り、大阪には支社だけが残りました。経済、メディア、学問、いずれも東京が圧倒的イニシアチブを握っています。大阪の政治家も力を失い、官邸にへりくだるばかりです。