映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・榎木孝明が、劇団四季を退団してテレビや映画などへ活躍の場を移していった時期について語った言葉をお届けする。
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榎木孝明は一九八三年に劇団四季を退団、テレビや映画に活躍の場を移していく。
「四季がミュージカル劇団になっていく中で、ミュージカル漬けになることが僕の体質的にシックリ来なくなったんです。
『キャッツ』の企画を浅利慶太さんが考えている頃にたまたま僕は一人でヨーロッパに旅行していたんですが、その時にパリで『キャッツ』を観たんです。それで旅先から浅利さんに手紙を書きました。『この感覚は日本人が表現するのは無理です』って。当時は今と違って、日本は歌も踊りもレベルが高くありませんでした。ミュージカルも真似をする時代でした。そういう、感じたことをそのまま正直に書いて日本に送って、帰国したら子どもミュージカルの役を外されていて、二か月か三か月くらい干されました。
そこからいろいろ積み重なって、『ここにはあまり長居できないな』という想いが募って。それでも結構良い役をやってましたが、辞めました。四季で教育されたことには凄く感謝しているのですが、自分の性格上は『やっていけない』というのが正直なところでした」
八四年のNHK連続テレビ小説『ロマンス』でテレビドラマに初出演している。
「最初の頃は苦労しました。四季のメソッドというのは舞台用に作られたメソッドでしたから。言葉の一つ一つを明確にということで開口爽やかに喋らなきゃいけなかったりとか、そういうことを徹底的にやっていたので。ですからテレビでも、自分では自然にやっているつもりでも、喋り方がどうしても腹式になってしまう。振り返るにしても、大きく動いてしまったり。そういうのを現場で注意されながら、徐々に時間をかけてナチュラルにしていきました」
八五年のNHK『真田太平記』では時代劇に挑戦している。