指紋押捺問題というのは、1980年代に在日韓国・朝鮮人らが外国人登録証の指紋押捺を拒否して広がった運動である。一部の在日韓国・朝鮮人が「差別」だと抗議し、社会運動に発展した。京郷新聞は、この事件が対日感情を悪化させ、この時から「日王」と表記し始めたのだとしている。
しかし、これは事実ではない。1989年の記事を探しても指紋押捺拒否運動は韓国内で短く報道されただけで、これに対し韓国社会が怒ったり、または反日感情に繋げるような反応はなかったからである。指紋押捺拒否は韓国から見ると海の向こう側で起きた小さな「ハプニング」程度の意味しかなかった。
そして、反日感情のために「日王」という呼称が使われるようになったという説明も納得できない。反日感情といえば、戒厳令まで宣布された1965年の日韓国交正常化反対デモの時の方がはるかに激しかったが、その後も何の抵抗もなく「天皇」という言葉が使われていた。では、韓国はいつ、何をきっかけに「天皇」から「日王」と呼ぶようになったのか。そのきっかけとなったのは、1989年の「昭和天皇崩御」である。
◆「天皇」が「日王」に変わったきっかけ
韓国のポータルサイトNAVERで「記事検索」機能を利用し、過去のデータベースを検索してみると面白い結果がわかる。現在、韓国メディアが使う「日王」という表現は「ある時点」を境に爆発的に増加しているのだ。次のグラフを見るとその変化が一目でわかる。
崔碩栄・著『韓国「反日フェイク」の病理学』(小学館新書)より
それまで韓国で見られなかった「日王」という表現はなぜ急に広がったのか。グラフを見ると1989年1月の昭和天皇の死が転換点になっている。昭和天皇危篤のニュースが伝わった時期に姿を見せ始め、崩御の一報とともに急激に増え、それがメジャーな呼び名になってしまった。そして30年が経った今では「日王」が完全に定着し、「天皇」は禁句扱いなのである。
なぜ昭和という時代の幕が下りたとたん韓国が態度を変えたのかはわからない。それは誰かの訴えでもなく、誰かが決めた方針でもなく自然な流れだった。私見では、「世代交代」と関係があったのではないかと思っている。この時、各メディアで主戦力といえるクラスは30~40代の「戦後生まれ」の人たちで、彼らにとって天皇はただ新聞とニュースでしか接したことがない存在だった。日本統治時代に、小学生もしくは中学生だった人たちの頭の中に残っている「天皇」の存在感とは雲泥の差がある。