「実際にそんなことはできないと分かっていても、親なら当然の感情やったと思います。加害者が生きていればこそ、やるせない気持ちを持って行く先もあった」
塚本さんは新たな道を進み出している。介護福祉士の仕事だ。
「娘の死を告げられた時、医師から『脊髄が損傷していたから、奇跡的に助かったとしても自由に歩けなかった可能性が高い』といわれたのがひっかかっていました。
寝たきりなら人の力を借りる必要がある。それなら娘が生きていたら安心して預けられるような介護士になりたいな、と思うようになったのです。私が死んで天国で花菜に会えた時、『あなたがいなくなった後、ママだってできることを探したんよ』って言えるかなって思える」
自らの経験を踏まえて「遺族が余計に悲しむことがないようにしてほしい」とメディアに向けて語るのは、同じく当時7歳だった長女・優希ちゃんを亡くした本郷由美子さんだ。
「18年前の事件当時、喪失感とショックで目に入るものの色も感じないし、匂いも味もしない。それだけでも心が壊れてしまう寸前でしたが、傷を負った娘の悲惨な姿がニュースで映されていて、それを目にすると、二重に胸を抉られる思いでした」
本郷さんの心に変化が生じたのは、ある事実が明らかになってからだ。