筆者は2009年から、前述の公開書簡の差出人の一人、マイ・ディンさんをベトナムに訪ね、ライダイハンである息子ヴォー・スアン・ヴィンさん同席の上、数度にわたって話を聞いたことがある。ベトナム戦争時、駐留していた韓国軍の基地内の食堂でメイドとして働いていたマイ・ディンさんは、20歳のころに職場で韓国軍兵士に輪姦され、ヴィンさんを身ごもった。
取材当時、マイ・ディンさんは息子を前にして「あの頃のことは思い出したくない」と多くを語らなかったものだが、一方で息子のヴィンさんは「(韓国人の)お父さんに会いたい」と呟いていた。
マイ・ディンさんは、自身が年を重ねるうちに心境が変わり、ライダイハンである息子の思いに応えようとしたのだろうか。英国の団体の活動に参加することで、50年前に経験した恐怖と屈辱の記憶に向き合っている。
ベトナム現地の受け止めはどうか。ベトナム有力紙の元記者で、現在はフリーライターのチャン・クアン・ティさんに話を聞いた。
「ロンドンの民間団体がライダイハンの支援活動をしているとは聞いていましたが、今回の件はベトナムでは報道されておらず、知りませんでした。ライダイハン自身が声を上げ、韓国兵に対して責任を要求することは、非常に意味のある行動だと思います」
ティさん自身はベトナム戦争終結後の1977年生まれだが、幼少期に祖父母から韓国軍の荒々しい殺戮行為を聞いて育ったという。かつて、筆者の取材にこう答えていた。
「村に攻め入ってきた韓国軍兵士の一人をベトコンが撃つと、韓国軍は大声で泣いて狂乱し、罪もない村人全員を殺戮し、村を壊滅させた。韓国兵がみな虐殺を行なうわけではないが、仲間が殺されると韓国兵は半狂乱になり、民間人虐殺を繰り返す。そんなふうに祖父母から聞いていました」(2016年9月のインタビュー時の発言)
ティさんは、ライダイハンをはじめとするベトナム生まれの混血児(米兵とアジア人女性の間に生まれた「アメラジアン」など)は「みな劣等感と差別に苦しんだ人生だった」と指摘する。