しかし、実行犯とおぼしき人物たちは「人民艦隊」によって支那へ逃亡していた。人民艦隊とは漁船を使って密出入国をしていた組織である。逃亡者たちはやがて支那文革で反革命分子とされ、次いで共産党からは極左冒険主義者として排斥されるようになる。
こうした複雑な事情を考えると、当事者さえ冤罪だと主張しにくい。
事件の詳細なドキュメントが二〇一三年に出ている。後藤篤志『亡命者―白鳥警部射殺事件の闇』(筑摩書房)だ。北海道大学卒の著者は地元の放送局に勤め、事件を検証する番組を作った。その取材を単行本化したものだが、なぜかさほど評判にならなかった。
あとがきで著者は言う。「〔学生時代〕北大で白鳥事件のことになるとOBや先輩達の口が重くなる」「〔ある教授は〕『これが現地北海道の常識なのだから深入りしないように』と強く釘を刺していた」
白鳥事件の三年前、下山事件、三鷹事件、松川事件と、奇怪な事件が続いた。中でも松川事件は、事件そのものは未解決のまま二十人の被告全員が無罪となった。警察あるいは米軍が企図した謀略事件とされる。全体の構図としてはその通りだろう。しかし、私は学生時代に一世代上の元共産党員から、あれは単純な冤罪ではないんだと聞かされ納得したことがある。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に「週刊ポスト」連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年7月19・26日号