中野:私の著作を読んだり、出演したテレビを観たりしている人たちからは、「どういう人間なのかよくわからない」ってよく言われるね。それでいいんです。実像をわかられるのは好きじゃないし。昔は忌み名という考え方があったでしょう。本名、自分の存在を知られないようにするのがセキュリティ的に有利だという意識があったんですよね。だから引っ越しもしょっちゅうする。葛飾北斎は「画狂老人卍」とか名前を頻繁に変えたし、引っ越しも多かった。勝手に大先輩と思っています。「本当の自分」を本気で知ってもらいたいですか?
スー:それはメディアに出るようになってから?
中野:その前からずっと。自分の存在というか、本心のところはあまり知られたくないという気持ちが強いんだよね。強く意見を述べて誤解されるのは嫌だし、どうせ理解されっこないんだから、という気持ちがある。親に対してもそうですね。彼らが自分を理解することは有り得ないので、会うときは親向けの自分を作ります。ちなみに、メディアに出るときはかぶりものをしたり、エキセントリックな発言をわざわざしたりしていたのもその流れかなあ。マネジメント的には非常に売りにくいと思いますけど(笑)、親向けの顔、友達向けの顔、メディア向けの顔をすべて合致させる必要なんてないのではないかしら。
スー:場面場面でアタッチメントをつけ替える考え方には全面的に賛同します。
中野:コア、シャフトがあれば別にいいし、そのシャフトは人に見せる必要ってないですよね。見せることによるメリットは何もない。少女漫画の影響なのか「自分を理解してもらわないと結婚できない」と思い込んでいる女性が多い気がしますが、逆に相手から「本当の自分」のような重いものを見せられて受け入れられるかな? 私は嫌だなあ。家にそんな重たい存在はいてほしくない。自分ってそもそもモザイクであり、幻想ですから。
撮影/藤岡雅樹