【著者に訊け】南伸坊さん/『私のイラストレーション史』/亜紀書房/1944円
【本の内容】
〈編集者として、イラストレーターとして年齢を重ねてきて、いま思うのは、作品のもっている力というものだった。ある雑誌やあるジャンルに才能があつまってくるのは、かつて、そこにすぐれた作品があったからだった〉。南さんが中学2年生の時に出会った水木しげるさんの『河童の三平』や和田誠さんの作品のこと、高校、浪人、美学校時代や『ガロ』編集者の頃に出会った綺羅星の如き才能を持った人たちとのエピソードをたっぷりと綴った自伝エッセイ。文章はもちろん装丁、装画、本文中のイラストレーションもすべて南さんが手掛けている。
南さん自身が同時代的に目撃してきた、1960、1970年代を中心にした日本のイラストレーション史である。
「ぼくは和田誠さんに憧れてこの仕事をするようになったんですけど、今あるイラストレーターの立場の基本をつくったのが和田さんです。そのことをちゃんと知ってほしいという気持ちがまずありましたね。どうしてイラストレーターになったのか考えてたら子供の時から書くことになり、まるで自伝みたいなイラストレーション史になっちゃった」
カツーン(1コマ漫画)のようだった「ピース」の広告や、横尾忠則を表紙に起用した『話の特集』創刊号。時代を画するイラストレーションの数々を、南さん自身が模写して、絵の内側に潜り込むようにしてわかりやすく解説する。
「自分は歴史を書くような立場じゃないと思ってたんですが、ぼくぐらいの年齢で振り返ってまとめる人もいないし、どんどん忘れられていってしまう。若い人が調べて書いたものにちょっとニュアンスが違うな、と感じることもあって、自分はこんなふうに見てきたという立場で書いてみようと思いました」
水木しげるの漫画や羽仁進の映画『不良少年』の独創的な新しさに、少年時代の南さんが興奮し、的確に評価しているのも印象に残る。
「ものすごく、それまでとは違ってたんですよ。子供の方が、理屈じゃなく、新しさをつかまえられるのかもしれないね」
子供の時にデザイナーになろうと思い、芸大進学をめざすが、試験はことごとく落ちた。にもかかわらず、無試験で入った美学校や、雑誌『ガロ』を出していた青林堂で、会いたかった人と出会うという不思議な巡り合わせになった。
生涯の師となる赤瀬川原平さんのほか、デザイナーの木村恒久や、作家の澁澤龍彦、埴谷雄高といったそうそうたる顔ぶれによる授業の、「作品」と呼びたくなる面白さも本の中に再現されている。
「ぼくにとっては、雑誌が先生というか学校でした。美学校は雑誌みたいで、青林堂は出版社というより学校みたいだった。授業中よりも放課後の感じの(笑い)」
◆取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2019年8月22・29日号