かつて立川談志は「現代において『明烏』は、経験のない男性の女性に対する性的な恐怖心をテーマとして演じれば共感を得られる」と語ったが、7月20日の「関内寄席ねくすと」のトリでわさびが高座に掛けた『明烏』を聴いて、「談志が言ったのはこれだ!」と僕は思った。
わさびの演じる時次郎は純真で、実に可愛い。ただ性的な経験がないため「女性と接するのが怖い」のである。「堅物」と言うよりむしろ「草食系男子」だ。だからこそ肉食系な源兵衛と太助に「性交渉の場」に連れて来られてパニックに陥る。わさび自身の草食系なキャラが、そんな時次郎にピッタリ重なって実にリアルだ。「追い詰められた人間の可笑しさを描くのが落語だ」と言ったのは春風亭昇太だが、わさびの『明烏』はまさにそれだろう。
わさびは持ち前の個性を見事に活かし、登場人物をリアルに描いて『明烏』という噺が持つ本質的な面白さを浮き彫りにした。そこに目新しいギャグは一切必要ない。真正面から取り組んで、素直に「『明烏』ってこんなに面白い噺だったのか!」と思わせてくれた。まさに目からウロコ。これはもう「わさび十八番」と言っていいのではないか。新真打わさびの大いなる飛躍を確信させる、素敵な『明烏』だった。
●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。
※週刊ポスト2019年9月13日号