「即位礼当日賢所大前の儀」に臨まれた雅子さま(宮内庁提供)
太平洋戦争時の米軍による容赦ない空襲により、皇居にも数多の焼夷弾が落とされ、威容を誇った明治宮殿が焼失し、消火活動にあたった職員などから多くの殉職者が出た。ただ、宮中三殿に祀られている御神体は絶対に護らねばならない。そこで、太平洋戦争勃発翌年の昭和17年には、宮中三殿の御神体を護る防空施設が完成していたという。
「昭和17年6月には、賢所、皇霊殿、神殿のための地下防空施設である御斎庫(おさいこ)が竣工しています。およそ24平米の地下室で、その上には盛土が施されました。
サイパン島陥落後の昭和19年11月から昭和20年8月30日まで宮中三殿の御神体が御動座されていました。宮中三殿から御神体が“疎開”していたのです」
入念なる対策により、からくも戦火を逃れた宮中三殿の御神体と本殿は終戦後、深く傷ついた国民の平和と安寧を祈る役割に戻ることができた。平成から令和の御代となり5か月が経つが、その間にも、さまざまな天災、人災が国民に試練を与え続けている。静寂に包まれた“祈りの場”としての宮中三殿は、皇族方にとって、重要な場所だ。
遠い雲の上の存在である皇室だが、22日に行われた儀式は、その意味を知り、その一挙手一投足を見守ることで、天皇皇后両陛下が日々、国民の心の奥深くに寄り添っているのだと強く感じることができる好機なのかもしれない。