当時の初任給は3万円ほど。貯金は少なかったが、容子さんの姉の後押しがあって、25才で結婚した
『七日間』
神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー ミシンも踏んでバッグやポーチ心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹 どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう 少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の一年分の誕生会 ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう
神様お願い 七日間が終わったら 私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ 静かに静かに時の来るのを待つわ
【夫婦の交換日記から】
※《 》内は容子さんが、〈 〉内は英司さんが記したものです。
◆学生時代
《あなたと初めて出会った日のことを覚えていますか。18才の終わり頃、友人の山田直子と一緒に大学の構内を歩いていたら、あなたは、たしか数人の芸研の仲間と一緒でしたよね。「社会学のノートを貸してほしい」と言いました》
〈もちろん鮮明におぼえています。キミは緑色のコートを着て、とにかく目のくりくりっとした女の子という印象でした。
キミと親しくなってからは、キミの家にも呼んでくれました。田舎育ちの私にはキミの家庭は上品な上流の家庭に思え、皆さんが温かかった。いつまでもキミと一緒にいたい、離れたくないという思いがだんだんと強くなっていきました。
あの頃はお金がないせいもあって、よく公園に行きましたね。新江戸川公園、甘泉園、江戸川公園、六義園、休みの日にも豊島園とか石神井公園、そこの日だまりの中で一緒にいるだけで幸せでした〉
岐阜県出身の英司さんにとって、東京育ちの容子さんはまぶしい存在だった。
早稲田大学教育学部で同じクラスになったふたりは、「宮本」と「三木(容子さんの旧姓)」で席が隣同士だった。数十年前のこと、決して裕福とは言えなかった時代ながら、ふたりは幸せに過ごしていた。コンパに行ったり、公園に散歩に行ったり、一緒にいるだけで満足できた。ズボラでいいかげんな性格では嫌われてしまうかもしれないと思い、英司さんはできるだけ清潔に、きっちりしようと努力した。銭湯にも週2回は行くようにした。
大学を卒業後、英司さんは大手製パン会社に就職し、容子さんは中高一貫の女子校の国語教員になった。