手厳しいが、そこに芝居に賭け、芝居を愛し、腹を据えて生き抜いてきた役者の姿がある。中学生のころ、すでに舞台俳優を意識していた。「小さなころから嘘ばかりついている」。さながら漱石の『坊っちゃん』の冒頭風なことを言い、確信犯のようにまたにんまり、と笑う。
「嘘が巧くて、ほめられたり、笑われるとうれしくて、仕方なかった。おまけに人前に出ることが大好きだから」
そう言いながら「なぜだろうな……」と目を伏せてしばし押し黙ると、今度は意外なほど繊細な表情になる。
「ひねくれてたんだろうね」
「どうしてか、額面どおりには受け取らんぞおって、いつもハスからものごとを見る癖があって……。蜷川さんにも、とりあえず一回は、素直にやれと言われる(笑)」
高校時代に舞台の原点があった。仲間5人を引き連れて「笑える悪さ」を繰り返し、『古田とその一味、校長室へ』という校内放送が、頻繁に校舎内に流れた。
「朝早く野球部のグラウンドで、ピッチャー・マウンドを削ってまっ平らにしたり(笑)。生徒手帳にやってはいけないと書いてあること以外はやっていいんだな、と」
この思いつきがすでに古田新太。
「怒られるおいらたちを見て、皆に笑ってもらえるとこれまたうれしくて」
その側らで、役者にとって必要なことを探し始める。
「タップとクラシック・バレエを始めたんです。きっかけは、兵庫県全体でやる文化祭行事で、なぜかおいらが総合司会をしたとき。創作ダンスチームの踊りを真似してたら、振付の方に『興味あるの?』って誘われて『週に一度、月謝はいいよ』と言われて、飛びつきました」
目にとまる筋の良さがあったに違いない。舞台での古田の踊りにしっかりと軸があり、誰よりも美しく見えるのは、この時代から身についたもののようだ。
「普通の、親が共働きの家庭に育ったから、芸事なんて習わせてはもらってないわけですよ。役者やるなら武器は多いほうがいい。歌って踊れたほうがいい」