東京都世田谷区立桜丘中学校長の西郷孝彦さん(撮影/浅野剛)
1979年、最初に配属されたのは養護学校(現・特別支援学校)。そこに通う子どもたちの大半は、人の手を借りなければ自分で食事も、そして排泄も、うまくしゃべることさえもできなかった。
「最初の1年は、子どもたちにどう接していいものか、見当もつきませんでした。ただ、じっとほかの教員がやることを見ているだけ。まして歌にお遊戯をつけて踊るなど、できもしませんでした」
しかし、肢体不自由ながら、必死にコミュニケーションをとろうとする子どもたちを、日々、目の当たりにするうちに、何かが変わっていった。
「初めは子どもたちが何を言おうとしているのかわかりませんでしたが、一生懸命な顔の表情や手を振る仕草で、気づくとなぜか気持ちが通じ合うんです。そうか、こちらも必死で伝えようとすれば伝わるかもしれない。そう思ったら、ふっと気持ちが楽になりました」
それからは、徐々に子どもたちにとけ込めるようになっていった。すると今度は子どもたちに共通する、ある感情に気づく。
「自分はいつも誰かに車椅子を押してもらって、食事も食べさせてもらっている。だから、わがままは言っちゃいけない、きちんとしなくちゃいけないと、子どもたちが遠慮しているのです」
自分のせいで肢体不自由になったわけではないのに、そんなの、絶対におかしい。自分の人生を堂々と生きてほしい。卑屈になる気持ちをぶち壊してやろうと、西郷さんはいろんな体験を通して子どもたちの素に迫った。
普通なら“危ないからやっちゃダメ”と言われそうなことを、あえて子どもたちとやってみた。ある時は、戦艦のプラモデルに火薬を仕掛けて爆発させてみたりもした。子どもたちは、思ったとおりの大喝采。大喜びする様子を見て、西郷さんもまた、心の底から笑うことができたという。
「教員らしく振る舞う必要はなかったんですね。“素”の自分を出せばいい。それがいちばんダイレクトに子どもたちに伝わることを、この時、学びました」
喜びに相反して、悲しい現実もあった。普通、子どもたちは成長とともに日に日にできることが増えていく。しかし、養護学校の子どもたちは難病を抱え、昨日まで歩けていた子が歩けなくなり、しゃべることができなくなる子もいる。早くに亡くなる子もいた。
「生きるとはどういうことか。それまで何も考えずに生きてきた自分は、どれほど薄っぺらい人生だったのだろうと、自分の生き方を恥じました」
子どもたちにとって、一日一日が濃密だからこそ、ただ学校に来るだけではなく、そこでどう過ごすのかが重要なのだ。楽しい3年間を送ることは、何にも増して大切なことだと子どもたちに教えられる毎日だった。
※女性セブン2019年11月28日号