この悪しき慣習は、各市区町村の学校運営で中心的役割となっている教育委員会でも罷り通っている。その証拠に、過去に何度問題を起こしても一向に同様の事案が減らず、解決できないでいる教育委員会がたくさんあるからだ。
また、問題を起こした教員のたらい回しや、全国的に問題を起こした教員の情報共有ができていないことも大きな問題点として挙げられる。細かくは省くが、教育委員会制度は国(文部科学省)・都道府県教育委員会・市区町村教育委員会でそれぞれ役割分担があり、そこに多くの権限を与えられていない学校長の存在もある。つまり、ひとつ問題が起きても円滑な対応が取りにくく、責任の所在が曖昧で見えにくい体質になっている。
いま、一部の見識者からも出始めているが、教育委員会そのもの存在理由や必要性の有無が問われている。少なくても責任の所在や権限の範囲について明確にすべく、教育委員会制度の見直しは急務である。
また、事後でしか機能しない第三者委員会も、もはや有名無実化している。今後も学校教育の現場を監視する第三者の目は必要になるが、それは教育関係者でなくてもいいだろう。町内の自治会から委員やカウンセラーを選出したり、場合によっては文科省が推し進めているスクールロイヤーといった人たちの存在も、見えない学校の体質・本質を見抜く目となるはずだ。
新たな学習指導要領が適用されるなど、2020年度から本格的に始まる教育改革──。問題となっている大学入試問題などの前に、まずは義務教育を中心とした教育現場の本質から改革していかなければ、教育機関に対する不信感は増すばかりだろう。