そんな時代ながら、自ら賃上げ交渉していたのが、400勝投手の金田正一(1950年に国鉄に入団)だった。かつて、本誌記者にこう明かしていた。
「ワシの初年度の月給は2万5000円。1年目のオフはまだ未成年だったから監督が更改に同席したが、翌年からは他人に任せたらダメだと自分で交渉したもんじゃ。
参考にしたのは麻雀だった。役がつくたびに点数が倍々と上がっていく。だから年俸も倍々ゲームで交渉した。結果を残せば倍になると思ったら頑張れたよ。交渉では“成績を残したから上げろ”ではなく“来季はこれだけ勝つから前払いしてくれ”と要求した。ワシは食べ物や体のケアに金をかけたので、毎月のように給料の前借りをしていた。球団の提示額と選手の希望額の中間で決まると何となく分かってからは、できるだけ高い金額をふっかけていたよ」
“銭闘”の歴史を切り拓いた“元祖”はカネやんだったのである。(文中敬称略)
※週刊ポスト2019年12月6日号