中国が“ウイグル人再教育施設”を謳う施設と見られる建物。まるで刑務所だ(AFP=時事)
中国政府による、同様の少数民族に対する弾圧は過去にも行なわれたことがある。多民族国家の中国では総人口の91.5パーセントを占める漢民族のほか、公認されている少数民族の数だけでも55を数えるが、中国政府による弾圧が特にひどかった場所は陝西省と甘粛省、内蒙古(内モンゴル)自治区に囲まれた寧夏回族自治区だ。回族は唐から元の時代にかけて西域から移住してきたイスラム教徒の後裔で、アラブ系やイラン系もいれば、外見だけでは漢族と見分けのつかない者も多い。
この寧夏回族自治区で1956年に始まる反右派闘争と1966年に始まる文化大革命の最中、徹底的な宗教弾圧が行なわれ、反右派闘争開始前に1895あったモスクが文化大革命終結時点には31にまで激減。男性は髭を蓄えること、女性はベールで髪の毛を隠すことを禁じられ、豚肉を食べることと養豚を強制された。イスラム教伝統の祝祭も反革命の違法集会として弾圧の対象とされるなど、回族からのアイデンティティ剥奪と漢民族への同化政策は留まるところを知らなかった(松本ますみ著『イスラームへの回帰 中国のムスリマたち』参照)。
ちなみに、元の時代(1271~1368年)には回族が官吏として大陸各地に赴任した。その際に一族や友人知己もこぞって移住したことから、回族の居住域は寧夏に限らず、中華人民共和国成立後は、全国ほぼすべての省に「回族自治県」が点在するかたちとなり、どこでも寧夏と同様の迫害が実施された。
現在の中国の領土は明王朝時代(1368~1644年)の約2倍に相当する。その増えた部分が現在の内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区にほぼ相当するわけで、内モンゴルでは都市化の進行がブレーキ役を果たしているのか目立った動きはないが、チベット自治区とチベット人が多く居住するその周辺地域、及び新疆ウイグル自治区では独立を求める動きが急進化している。
新疆ウイグル自治区が成立したのは1955年のことだが、当時はまだ漢民族の人口が圧倒的に少なかったため、寧夏回族自治区とは事情が違っていた。けれども、漢民族の移住が奨励され、人口の過半数を占めるに至った1990年代以降、世界的なイスラム復興の動きとも絡み合い、新疆ウイグル自治区の情勢も不穏なものへと化していった。