デモや暴動、テロ事件が相次ぐなか起きたのが2001年のアメリカ同時多発テロ事件で、中国政府はこの機に乗じ、もっとも煙たい存在だった「東トルキスタン・イスラム運動」をアメリカ政府と国連にテロ組織と認定させることに成功するなど、国際情勢を巧みに利用することで同自治区への締め付けをいっそう強化していった。
新疆ウイグル自治区成立以前からその地に居住していたのは、ウイグル人をはじめ、トルコ系諸民族からなるイスラム教徒がほとんどで、同地が中国の版図に組み込まれたのは清の乾隆帝が君臨した1759年のこと。とはいえ、信仰の自由はもとより、社会や文化も現状維持が許されたから、大した問題は起こらなかった。
しかし、中国共産党一党独裁下の中華人民共和国の統治はまったく異なる。特に求心力を共産主義から愛国心、中華民族に転換させてからの同化政策は目に余るほどひどく、イスラム教徒として、ウイグル人としてのアイデンティティを完全に捨て去るか、従順な民になるかの二者択一を迫るようでは民族浄化の誹りを免れまい。
うがった見方かもしれないが、そこには圧倒的多数派の驕りや優越感よりも、強固な異文化に対する怯えのようなものが感じられてならない。
●取材・文/島崎晋(歴史作家)