11月27日、巨人の亀井善行が来季の年俸1億1000万円で契約を更改した。38歳シーズンでの1億円到達は、41歳の門田博光(1989年)、佐藤義則(1995年、以上オリックス)、39歳の大野豊(1994年、広島)に続き、平野謙(1993年、西武)、福原忍(2014年、阪神)と並んで史上4位タイのスロー記録だ。(文中敬称略)
日本プロ野球選手会が発表した調査によれば、2019年の年俸1億円以上の日本人選手は67人(消費税別、出来高払いは算入せず)。支配下登録731人の9.2%になる。野球担当記者が話す。
「野球選手の年俸はFA(フリーエージェント)制度が導入された1993年を境に一気に上昇しました。それまでは選手と比べて圧倒的に球団の力が強く、年俸も低く抑えられる傾向が強かったのですが、選手に移籍の権利が与えられたことで力関係が改善された。ちなみに同じ1億円でも門田や平野はFA導入前ですし、大野や佐藤義則は年俸が高騰し始めたFA導入直後。亀井は福原と並んで、最近では珍しい遅い到達です」(以下同)
日本球界初の1億円プレイヤーは1986年オフに誕生した。パ・リーグで2年連続3冠王を獲得し、ロッテから中日に移籍した落合博満が1億3000万円、3年ぶりの日本一に輝いた西武のエース東尾修が1億円で更改。1988年オフには南海で本塁打、打点の2冠を獲得し、オリックスに移籍した門田、チームを3年連続の日本一に導いた西武のチームリーダー石毛宏典が1億円で更改。門田が達した1989年で1億円プレイヤーは4人しかいなかった。
「平野謙が1億円に届いた1993年(1992年オフに更改)は18人になり、FA導入で高騰し始めると1997年(1996年オフに更改)には42人に。落合、東尾の2人しかいなかった1987年から40人も増加。その後も1億円プレイヤーは増え続け、2011年には過去最多の80人にまで上りました」