通常時代物では作品内での地理的な広がりに限界が出やすいと原田氏は言う。
「ところが彼が生きた安土桃山時代は、美術界ではよく日本におけるルネサンスに擬(なぞら)えられる。つまり西洋でルネサンスが花開いたのと同じ頃、日本でも絵画や文化の革命が興り、その只中に宗達も天正使節団の面々もいたわけです。そのことがとにかく私の中では発見であり、彼らをいっそ結び付けてみようという、誰も考えないことにあえて挑んでみたのです。宗達とマルティノとカラヴァッジョが、ほぼ同じ時代を生きたのは紛れもない事実なので」
彩が新たな風神雷神図に衝撃を受けた序章から一転、物語は時代を400年以上遡り、1582年の肥前・有馬へと舞台を移す。大村純忠の家臣・原中務大輔純一を父に持つマルティノはセミナリオに入学を許され、特に語学に才能を発揮していた。
そしてこの年、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンと共にローマ教皇に謁見するため長崎を発つ。そこに絡む発案者であるイエズス会巡察長・ヴァリニャーノの意図や、狩野永徳に『洛中洛外図屏風』を描かせて貢物とした天下人信長の野望。何より宗達が信長の密命を受け、使節団に入ることになった経緯が、主にマルティノの目線で語られてゆく。
◆絵画は不思議なタイムカプセル
彼らは14歳。親元を離れ、死と隣合わせの船旅に出るには若すぎるとも言えるが、月の夜、豪放磊落な宗達と真面目一方のマルティノが有馬の浜で出会うシーンや、構図や陰影といった西洋の技法に触れる時の目の輝きは、まさに青春そのもの。宗達の成長を縦軸に8年に亘る旅の顛末を追った本書自体、何かと何かが出会う瞬間のきらめきに彩られた出会いの小説といえよう。
「マカオ、ゴア、リスボン、そしてローマへと進む間、彼らが受けた衝撃や興奮を想像するだけで楽しかった。彼らはいわば京の町の絵を献上しに行ったわけで、教皇側が受領したのも確か。ところがその現物は今も見つかっていないんです。その謎のおかげで私はこの永徳と宗達のコラボによる『洛中洛外図屏風』の制作風景を想像することができました。信長が宗達に〈ローマの『洛中洛外図』〉を書いてこいと命じた可能性も、0%ではないと思いながら」
そうした着想の裏には、洛中洛外図が京の住人より、専ら地方の武将たちに珍重された史実が踏まえられ、「信長が謙信に贈った洛中洛外図は今も山形にありますし、信長はローマも一地方と捉えたかもしれません(笑い)」