1980年代はヤンキー文化真っ盛りである。漫画『ビー・バップ・ハイスクール』や『湘南爆走族』『ろくでなしBLUES』などが人気を集め、「ティーンズロード」「チャンプロード」といった暴走族雑誌がコンビニに並んだ。とんねるずがテレビで暴れまくったのもこの時代である。「スポーツが得意な面白い不良」という地元カースト上位を意識したキャラクターは、当時の青少年の世相を反映する形でバカウケした。
「家出中の女の子ともつきあったよ。地元でグレた女の子や母子家庭の女の子とか、とにかくどんな女の子でもつきあえた」
1990年代までは、青少年の性におおらかな時代だった。テレクラ、ブルセラといった援助交際問題が本格化した1998年の児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(いわゆる児ポ法)成立、および1999年施行以前の話である。それまでは児童福祉法や都道府県の淫行条例で対応していたものの、現実には恋愛と売春、趣味趣向との線引きや表現の自由の問題もあり厳格には処されなかった。
今もそういう風潮は残っているが、団塊ジュニアが思春期だった時代はヤンキー、とくに地方は早婚が多く、現実には十代の性、十代の出産も珍しくはなかった。親世代も戦後世代、団塊世代なのでその時代の価値観のまま、性にゆるい家庭も多かった。そういう環境にいた竹下さんは、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた中卒の女の子と後先考えずに関係を結び、妊娠したので結婚したそうだ。
「俺は上手いと思ってたんだけど、失敗した」
結婚してアパートを借りて独立したものの生活費を入れず車に金をつぎ込む竹下さん。両者のご両親の援助でなんとか暮らしていた若妻だったが、竹下さんの知らない間に別の男と深い関係になっていた。
「あの女は顔さえよけりゃ誰でもいいんだ。あいつの親も元ヤンの大先輩でおっかないから仕方なく結婚したけど、とんだ女に引っかかった」
ひどいことを言うものだと思うが、竹下さんはこの辺の地元の男はこんなもんだと言う。女を殴るのも当たり前とか。そもそも偏差値50を越える高校が地元にないから、普通の頭をしていれば必然的に越境となる。同じ関東だが、私の生まれ育った野田市もそうだった。熱心なフェミニストの皆様はインテリや都市部の男ばかりを攻撃して、それより多数であろうこのような地方ヤンキー男子や田舎おじさんの話はなぜかしないし関わらない。気持ちはわかるが。
「子供の親権は向こうが持ってったけど、一家で経営してた斫(はつ)り屋(※工事の時にコンクリートやアスファルトを削る仕事)が食い詰めて夜逃げしたんだ。どこにいるんだろうね」