近年は自営業を継いだ団塊ジュニアにこうしたケースが目立つ。筆者が知る限りでも写真屋、電気屋、印鑑屋、文具屋、そして本屋……グローバリズムとネットを始めとする商形態の変化は、町の小さな店を駆逐した。家賃のいらない自己所有の店や上階を貸したりできるような年金暮らしの老夫婦でなんとかやっていける程度の話であって、働き盛りで金のかかる40代が所帯を切り盛りできるような規模でも収入でもない。団塊ジュニアにとって馴染みの業種が、あっという間に絶滅危惧種になってしまった。
ニッチな商才でうまくやっている二代目三代目もいるがそれはレアケースで、現に廃業が相次ぎ、旧来の商店街はシャッターばかりのゴーストタウンと化して久しい。逃げ切った団塊世代と違い、うっかり継いでしまった団塊ジュニア、竹下さんはその実情を知らないまま、活気のあった1980年代の地元と、自身の感覚のままに引き継いでしまった。
「まあいろいろ資格は持ってるんで、自己破産してもどこかで働けると思う。その時は地元を出ることも考えるかな」
筆者はびっくりした。こういう人は地元愛が強いので離れることなど考えない、地元を出て働いたとしてもせいぜい近郊の工場で期間工だ。車で通える範囲内で、あくまで生活拠点としての地元は離れない。
「だって潰したらかっこ悪いし」
そういうことか。なるほど狭い社会で失敗したら恥ずかしいということなら納得だ。地元ヒエラルキーの強者だった竹下さんならではの考え方だろう。竹下さんは背が高くて足が速くて喧嘩が強い者がもてはやされ、地縁血縁が物を言う世界の上位者だ。しかし50歳間近の竹下さんが言葉の通り東京に出るなら、経験したことのない都市リバタリアニズムの洗礼を受けることになるだろう。昭和の地方ヤンキー文化にどっぷり染まった竹下さんが、適応できるのだろうか。
私は地元に残ることをそれとなく勧めた。竹下さんが失敗しても、地元はそれほど気にしないと思う。よそ者ならともかく、代々溶け込んできた地元民には優しい。田舎はそんなものだ。本当に追い詰められたときの彼らの仲間意識の高さは、いくらネット民が小馬鹿にしても変わらないし頼もしい。マイルドヤンキーに関する社会学ではないが、令和の世になっても、その結束と地縁強さは変わらない。
もちろんそんな田舎も将来的にはグローバリズムの波に飲み込まれるだろう。竹下さんが20代なら別の生き方を勧める。だがもう47歳である。前向きに考えるならあと20年、地元でほそぼそとなんとかやって逃げ切る可能性のほうが高いだろうし当面は安全だ。
地元に残れず、いつまでもよそ者で根無し草となった私からすれば、そんな竹下さんが、マイルドヤンキーがちょっと羨ましくも思える。彼らからすれば、わざわざ東京でいらぬ苦労と競争ばかりに疲弊して、端からしくじっているのは私のほうかもしれない。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。