氷河期一覧

【氷河期】に関するニュースを集めたページです。

中国国防省が弾道ミサイルの迎撃実験成功をHPで発表
中国の大学生の就職は「超超氷河期」 北京大学博士課程修了者も警備員に
 中国では今年、大学の卒業生が1076万に達し、就職戦線は「超超氷河期」状態となり、「卒業即失業」という言葉が流行語になっている。 とくに今年は新型コロナウイルスの感染拡大などの影響で経済が低迷しており、卒業生の大半は「無職」のまま社会に出ざるを得ない状況だ。北京各紙が報じた。 中国の就職情報専門サイト「智聯招聘」が5月17日に伝えたところでは、4月末現在の大学卒業予定者の内定率は男子学生が22%、女子学生は10%で、今年はこれまで20年間で最も厳しい状況だという。 これは中国の失業率が現在、高止まり状態であることも影響している。中国国家統計局が5月16日に発表したところでは、今年4月の中国の都市部の失業率は6.1%となり、2020年3月以来の高水準となっている。とくに16歳から24歳の失業率は18.2%と過去最高を記録した。 李克強首相は中国国務院(内閣)の会議で何回も「雇用の安定化」を強調、視察先の雲南省でも5月18日、雲南大学の卒業生のための就職説明会を訪れ、学生たちに「希望する仕事に就けるよう幸運を祈っている」と語ったほどで、李首相自ら中国における雇用問題を重視していることが分かる。 こうした状況をうけ、卒業予定者は都市部の公務員や大企業での就職を諦めており、「企業規模が100人以上、月給は6000元(約11万4000円)以上であれば、地方都市であっても、履歴書を提出するのが当たり前になっている」と「智聯招聘」は報じている。 海外企業が多く進出している北京市朝陽区政府はこのほど、2022年に公務員として採用するリストを発表したが、合格者の多くは中国や海外の名門大学の卒業生で、その3分の2は修士・博士号修了予定者であることを明らかにしている。その中には、中国の名門大学である北京大学の原子物理学の博士課程を修了した大学院生もおり、内定したのは警備担当だったという。
2022.06.04 07:00
NEWSポストセブン
氷河期時代の就活で全勝した40代男性「合唱部マネージャー経験のおかげ」
氷河期時代の就活で全勝した40代男性「合唱部マネージャー経験のおかげ」
 学生の本分は勉強だが、部活動もそれと同じくらい大切だと考える人は多い。教室よりもグラウンドや部室で多くのことを学んだ学生は少なくないはずだ。部活動は授業とは違い、好きなことを出来るのが最大の魅力だが、それを陰で支えるマネージャーの存在も大切だ。裏方仕事はあまりやりたくない、と思う人もいるかもしれないが、それをまっとうすることで、明るい未来が開けるケースもあるようだ。 Mさん(40代男性)は大学時代、男性合唱部のマネージャーだった。小さい頃から音楽が大好きで、楽器も堪能だったMさんは、大学入学と共に合唱部へ。しかし2年生の時、生来の人の良さからマネージャーを引き受けてしまう。「当然、誰かがマネージャーをやらないといけないのですが、まぁ正直、歌が歌いたくて入部している人ばかりなので、誰も乗り気じゃない。同級生同士の話し合いで『やってくれないか?』と言われてしまい、とっさに断る理由が思い浮かばなかったので、引き受けてしまいました」(Mさん・以下同) たかが部活とはいっても、Mさんの大学の合唱部は長い歴史があり、発表会の会場は1000人単位の客が入るコンサートホール。メディアが取材に来ることもあれば、慰問、チャリティなどで地方へ飛ぶこともある。それらの裏方仕事をやっている内に、本来の目的だった歌からはどんどん遠ざかることになったが、就職活動は超氷河期だったにも関わらず楽勝だったという。「OBや企業などに、頻繁に寄付金を募りに行っていたので、就職活動ではまったく緊張しませんでした。各界の大物OBに会っていましたし、寄付金を頂いた時に『興味があったら、就職活動の時においで』などと言ってもらったこともあったので、気楽な気分で臨め、受けた会社からは幸運なことにすべて内定をもらいました」母校の大学教授に呼ばれ職員として引き抜かれる その中から金融機関を選んだMさんだったが、今は転職して、大学職員として母校で働いている。「給与も良く休みも多い“ホワイト企業”だと思います」と語る。しかもMさんは、自ら転職を望んだわけではなく、先方から誘われた形での転職だった。「新卒で就職から数年後、後輩たちの練習を覗きに行くと、顧問を務めている先生から、『近々、ちょっと時間を取ってほしい』と言われました。文化部活動には学校から補助金が出ていて、顧問の先生は大学教授です。その顧問が、『職員の席を用意するから、ウチに来てくれ』というのです」 Mさんの在学時の卓越したマネージメント能力を見た顧問が、彼を“一本釣り”したのだ。一も二もなく飛び付いたMさん。かくして現在、母校の大学職員という安定した立場で、思う存分合唱部の運営に携わっているという。「私はマネージャーがやる仕事をやっただけ。みんなが練習をしている時に、コンサートホールの手配をしたり、演奏旅行のプランを作って予算折衝したり、OBに頭を下げてお金をもらいに行ったりしていたので、『よく働きそうだな』と、思われたのでしょう」 そうMさんは謙遜するが、イヤなら辞めれば良い部活動で、縁の下のポジションをまっとうすることは簡単ではない。どこにでも、きちんと見てくれている人がいるということ。裏方に回らされたからといって、腐る必要はまったく無いのだ。
2021.08.04 16:00
マネーポストWEB
前代未聞、就活中に売り手市場から氷河期に 人気ランキングも大変動必至
前代未聞、就活中に売り手市場から氷河期に 人気ランキングも大変動必至
 朝日新聞朝刊(5月25日付)に掲載の『コロナで変わる就活』と題する記事は、ショッキングな“就職戦線の異変”を伝えた。来春卒業予定者の人気企業ランキング上位30社(就職情報会社「学情」調べ、昨年12月発表)を対象に改めて採用予定人数を取材したところ、うち10社が「採用数未定」と回答したのだ。【表】コロナの影響で「消えるもの」「新常識になるもの」50 ランキングの1位は総合商社の伊藤忠商事で2年連続。以下、JTBグループ(旅行)、味の素(食品)、丸紅(商社)と“常連企業”が並んだが、採用予定数は味の素が前年から約30人減の「60程度」、JTBも丸紅も「未定」と回答している。大学ジャーナリストで就活問題に詳しい石渡嶺司氏はこう見る。「就活の進行中に、突然売り手市場から氷河期入りしたのは極めて稀で、戦後初かもしれない。学生は“夢追い志望”といって子供の頃から憧れていたスポーツやイベント、広告など華やかな業種を志望し続ける傾向があるが、長引くコロナの影響で意識を変化させざるを得ない。今後の調査ではJTBやANA、オリエンタルランドなど人気企業が順位を落とすことが確実視され、ランキングは大変動を起こす」 学情によるアンケートでは、企業説明会やセミナーも開催できず、半数近くの企業が選考を中断しているとの集計結果も出ている。 不況時に人気の高まる公務員にも意外な変化が現われた。“霞が関”に代わって地方自治体が順位を上げているというのだ。「コロナショックでは国より自治体首長の活躍が目立った。これにより、今後は地方自治体人気が上がる可能性が高い。実際、前年41位の東京都は20位に浮上した」(同前) かつてない「安定志向」に針が振れる就職戦線となりそうだ。※週刊ポスト2020年6月12・19日号
2020.06.09 07:00
マネーポストWEB
景気悪化でまた放置される「就職氷河期世代」のリアルな嘆き
景気悪化でまた放置される「就職氷河期世代」のリアルな嘆き
 コロナ・ショックで景気悪化が進み、多くの企業がダメージを受けるなか、30代半ば~40代半ばの「就職氷河期世代」の雇用にも再び暗雲がたちこめている。政府は昨年、就職氷河期世代への支援を発表したが、そんな矢先に起こった新型コロナウイルスの感染拡大。すでに今後の就職戦線は冷え込むことが予想されており、今の大学生たちは“コロナ氷河期”に戦々恐々としているが、元祖・氷河期世代は今、どんな気持ちでいるのだろうか。 九州在住で就職斡旋の相談員として従事する女性・Aさん(43歳)は、コロナで企業の求人に明らかな変化が起こっていると話す。「コロナ以前に比べると、確実に求人は減っています。地方自治体や官公庁では、氷河期世代を職員として募集する動きがあるようですが、私の住む街ではそういった動きはゼロ。コロナによる内定取り消しや休業、失業者支援に忙しく、氷河期世代を助けるどころではありません」(Aさん) そう話すAさんは、自身も非正規雇用だ。九州の四年制大学を卒業したが、希望する企業には就職できず、地元の印刷会社に入社。しかし、会社が2年で倒産してしまい、その後は、非正規として職場を転々。3年前から現在勤める会社に契約社員として働いている。自らを“ワーキング・プア”だと言うAさんは、「また放置されるんだ……」との思いを強くしているという。「いくら政府が氷河期世代を支援するといっても、感染拡大第二波の懸念もあり、企業業績は先が見通せない状態。予定されていた新規事業がストップするなどして人材募集が減らされるほか、現在正社員でいる人たちは今の位置にしがみつこうとして退職者も激減しているので、雇用の空き自体が減っています。私たちの世代にやっと支援の目が向いてきたのに、また放置されることを考えると苦しい気持ちになります。私自身、来年の契約更新があるかどうか……」(Aさん) 東京の広告会社で正社員として働く女性・Bさん(39歳)は、予定していた転職を諦め、今いる会社にしばらく在籍することを決めた。「会社に嫌気がさし、地元の福岡に帰ろうと転職活動をしていたところでしたが、一旦ストップしました。大きな声では言えませんが、小さい企業でも正社員という立場でいられることに胸を撫でおろしています。私の会社は、コロナで仕事が激減し、すでに派遣社員は週1回の出勤に変更。中途採用も停止したと聞いています。業界的にしばらくかなり厳しくなるのは明白なので、なおさら、今は動けません。在宅勤務が定着して嫌な上司にも会う回数が減ったので、景気が回復するまでは、しばらく割り切って働くつもりです」(Bさん)  大阪で小さな飲食店を経営する男性・Cさん(42歳)は、関西の有名私大卒。氷河期時代にいわゆる“ブラック企業”に就職し、それがきっかけで今の飲食業の道に進んだという。「私が大学を卒業した2001年は”超氷河期”と呼ばれ、同級生の多くは人手不足の中小企業に就職。私は、当時数百人の募集があった居酒屋チェーンに社員として採用されましたが、睡眠時間が平均3時間という過酷な労働に耐えきれず、2年で辞めました」(Cさん) Cさんはその後、別の飲食店で本格的に修行し、34歳で独立。飲食店の経営は順調だったが、コロナで長らく休業状態になってしまった。なんとか雇用と店を維持すべく、手を尽くしている。「この数か月の売上は、9割減になりました。これまで順調だっただけに、コロナの大打撃は本当に悔しい。飲食業には、パートやアルバイトとして働く40代前後も多いので、また犠牲になるのかと……。ウチは融資の申請をしてなんとか雇用を維持していますが、第二波が来たらと思うとゾッとします」(Cさん) 就職活動時に辛酸を嘗めた氷河期世代は、コロナ禍でもまた逆風にさらされているようだ。
2020.05.29 16:00
マネーポストWEB
バー経営は楽しかった(イメージ)
コロナ禍で小さなバーを潰すことに決めた47歳店主の嘆息
 新型コロナウイルスの感染拡大が危険域に迫ろうとしていると、東京都の小池百合子知事は連日、会見や囲み取材でメッセージを発信し続けている。平日夜、週末の外出を自粛するように呼びかけるだけでなく、カラオケ、バー、ナイトクラブなど業態を名指しして利用を控えるように呼びかけた。仕事や人生がいまひとつうまくいかないと鬱屈する団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアを「しくじり世代」と名付けた『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏が、コロナ騒動のなか47歳デザイナー兼バー店主が決意した閉店と帰郷についてレポートする。 * * *「今日のお客は日野さんだけだ」 都心の繁華街の雑居ビル、背の低い私でも天井に頭が届いてしまいそうな狭小階段を登りに登ると、小塚誠さん(仮名・47歳)のバーが広がる。広がると言ってもカウンター6席、テーブル4席と10人入るのがやっとの本当に小さなバーだ。内装はまだ新しく、壁のジャズシンガーたちのポスターや絵画などはデザイナーでもある小塚さんのセンスが光る。私はジャズ、とくにフリージャズが好きなので、店にアルバート・アイラーやアーチー・シェップなどの名盤を持ち寄っては、同じく音楽にも精通する小塚さんや他のお客とあれこれうんちくを垂れ合うのが楽しみだった。そのかける曲と話はときにアイドル、アニソンにまで至る。この愉悦のためならジャスラックの年間6000円の使用量など安いものだ。「街に全然人いないだろ? いつもの半分もいないよ」 3月27日の金曜日、小塚さんの言う通り、いつもなら歩くのも大変な週末の繁華街だというのに人通りはまばらだった。明けて土日は外出自粛令が出されている。それでも呑んで酔いつぶれる若者や、集団ではしゃぐ若者は散見された。みな一様にマスクをしていない。手に入らないのか、若さにまかせてイキっているのか、いずれにせよ迷惑極まりない。私だって仕事でなければ出歩きたくないのに。「もう店を閉めようと思うんだ」 いつもの落ち着いた口調の小塚さん、その思いがけない言葉にハッとなった。私は最初、客が私一人しかいないので今日は閉めるということだと思い、「申し訳ない」と席を立とうとすると、小塚さんは笑って首を振った。「違う違う、そうじゃないよ」 小塚さんはイケメンだ。長身で細身、鼻筋も通っていて黒シャツが似合っている。ツーブロックのベリーショートはイケメンでないと似合わない。羨ましいし、私が女性なら惚れている。実際、とてもモテる。土地柄、男性にもモテる。「この店やめようかって話。もう潰すの」 そうか――ついにその話かと思った。一連のコロナ騒動以降、とくに三月に入ってからは全然客が入っていなかった。店に客が来ないとかこれからどうなるのかなど店の将来の話に及ぶこともあったがあくまで愚痴程度、店は小さく酒とつまみ程度、従業員もいないし小塚さんも本業のデザイナーの仕事はある。主に広告やチラシのデザインだが、独身一人暮らしの小塚さんが生活するには十分だし大丈夫だと聞いていた。まして開店してまだ1年たらずだ。「広告の仕事も少なくなってね、いまはまだ先々月分が入るからなんとかなってるけど、自粛ばかりでどうなるかわからない」 小塚さんが言うには、パチンコのチラシやポスター、ポップの売り上げが減ったことが大きいという。一般チラシは安いが、やはりパチンコは金払いがいい。ポスティング用の「不動産売ります買います」的なチラシやリフォーム営業のチラシといった小口の仕事も減った。広告デザインと言っても華やかなのはごく一部で、小塚さんのような地道な細々とした仕事をこなすデザイナーが大半だ。「デザイン仕事で生活して、店はトントンの収支、充実して楽しかったんだけどね」 未曾有の有事、真っ先に影響を被るのはシビアな社会とダイレクトにつながっている自営業者と非正規労働者だ。それからしばらくして、じわじわとサラリーマンが首を絞められることになる。今回のコロナはまさに未曾有の有事だ。「まあ嘆いてもしょうがないよね、山一ショックもリーマンショックも、3.11の時ですら大変は大変だけど、東京でサラリーマンやってる分にはどこか他人ごとだったよ。それが世界中に疫病が蔓延するなんてね」◆コロナウイルスで帰省しなくちゃいけない場合もあるんだよ 小塚さんは国立大学を卒業後、広告代理店に就職したエリートだ。芸大や美大卒でない小塚さん、社会人になってから独学でデザイナーとしての力をつけ、雑誌や書籍のエディトリアルデザインもその後転職した出版社で身につけた。個人事務所でデザインの仕事をしながら半分趣味でバーを開く、まさに理想の独身貴族だが、そんな幸せが一瞬で壊れてしまうのが天災というどうにもならない運命だということを、我々は先の震災で知ったはずだ。天災は誰が悪いわけでもない。天災が人災になることはあっても、端緒において誰の責任でもない。ましてや伝染病ならなおのこと、ペストしかり、エボラ出血熱しかりだ。「見切りが早いと言われるかもしれないけど、早く見切らないと本当に詰んじゃうからね。人間、撤退時期は間違わないようにしないと」 小塚さんは頭がいい。飲み屋という羽目外しの場をやるには少々頭がよすぎるくらいだ。それでも常連客はいたし、昔の仲間や難しい話をしたがる人はたくさんいる。小塚さんのお客はそんな人達が多かったが、さすがにコロナ、まして外出自粛令とそれに従わざるを得ない社会の「空気」に抗うことは出来ない。三月も中頃になると閑古鳥が鳴く日々が続いた。「つなぎ融資とか緊急支援とかを当てにするのは怖いよ。そんなの商売がよくなるあてのある人の話で、俺の景気なんかいつ回復するかわかんない。借金はしたくないね。コロナだっていつ収束するかわかんないだろう?」 借金も資産だと言えるのは大企業の話で、歴史上まれに見る非常事態に追い詰められた個人事業主の借金なんてリスクでしかない。では小塚さん、これからどうするのか。「ひとまず富山の実家に帰ろうと思う。親も高齢だし、これまでも帰ってあげようと薄々は思ってたんだ」 地方民がこの東京で暮らしていくのは大変なことだ。10年、20年くらいはなんとかなるかもしれないが、仕事、家庭、健康、さまざまな理由で東京を去らなければならなくなる。ましてや有事になったら真っ先に影響を被る。独身での賃貸暮らしは若いうちは気楽だが、詰むのも早い。「ビルのオーナーにも昨日話したんだ、この状況じゃしょうがないって納得してくれた。元々たいした家賃じゃないけど、俺のマンションの家賃と入れたら毎月結構な額が出ていくし、それこそ動きがとれなくなくなったら元も子もない」 私は電子コミックの表紙デザインでよければと仕事を紹介したが、彼は首を振った。そして煙草に火をつける。煙草嫌いの私と二人でいるときは、煙草を吸わない人だったが――。「もう潮時だと思う。ありがたいけど、そういう状況じゃないんだ」 小塚さんは相当思い詰めているようだ。私は実家に戻ることに賛成した。「俺なんかまだいい。ママゴトみたいな店舗経営だ。でも大きくやってる飲み屋は大変だと思う。従業員の金、仕入れの金、家賃、光熱費、オーナーの生活費、何もかも店が稼ぐ。そこに客がいない、そもそも街に人がいない、これで非常事態宣言なんて出たら、飲み屋の大半は消えると思う」 まったくそのとおりで背筋が寒くなる。いま私たちは本当に恐ろしい時代に踏み込んでしまったということか。「それにね、日野さんは帰省するとコロナが広がるとか言ってたけど、俺もそうだけど、コロナで帰省しなくちゃいけないって場合もあるんだよ。◆結局は負けだな。しくじりか。親孝行するさ さっきまで私がくどくどブッていた薄っぺらいコロナ話を持ち出されてしまって恥ずかしい。まったくそのとおりだ。帰省と言えばただ東京封鎖を逃れるためとか、まだコロナ被害のそれほど拡大していない地方に逃げるとか考えがちだ。コロナを拡げてしまうことはなんとしても避けなければならないが、東京でコロナを遠因に仕事を切られたり、シフトを減らされたりで生活が立ち行かなくなり、やむなく帰省する人もいるはずだ。ましてや国による具体的な救済策はいまだに決定しておらず不透明なままだ。「実家でどうするかは決めてないけど、食うにはなんとかなる。借金もないし独身で身軽なのは悪いことじゃないね。誇れるデザイン仕事を手掛けた自負はあるけど、結局は負けだな。日野さんの言うところのしくじりか、まあ親孝行するさ」 小塚さんのご両親ともとっくに年金暮らしだが、教師だったために生活は豊かだという。そんな風に実家が安泰だから、今まで好き勝手やってきたと語っていたが、困った時に頼るべきは肉親だ。意地を張って孤独と困窮に耐える必要はないし、勝ち負けじゃない絶対的幸福こそ私たちが目指すべき道だ。東京なんてそこまでしてしがみつくようなところではないと思う。その意地を張っていいのは若いうちだけだ。しくじったらいかに上手に「転進」するかが重要だ。こういう人生の言葉こそ、撤退ではなく転進という言葉がふさわしいと思うのだが。「コロナね、ほんとヤバいよ。ずっと続くんじゃない? ペストは100年だろ? 死んだりはもちろんだけど、そんな世の中が延々続くって、それも現代なんてヤバ過ぎる。田舎で大人しくするさ」 小塚さんの言う「ペストは100年」は、おそらく14世紀のペストのことだろう。推計では世界で1億人が亡くなり、ヨーロッパの人口は約半分になったため世界史が変わるほどのパンデミックだった。疫病の恐ろしいところは死者数はもちろん、終息が見えづらいことだ。人心は疲弊し、その荒廃をまねく。社会は混乱し、それぞれの人生を変えてしまう。そんな時代になるかもしれない。 小塚さんがバーをオープンしたのは、デザイナーの仕事が行き詰まっても、自分の食い扶持くらいはお店でなんとかなる未来を作れるとぼんやり考えていたかもしれない。ところが、淡い期待は見事に打ち砕かれた。とはいえ彼のしくじりは恵まれた出自を頼りにすることで救われるかもしれないが、家で大人しくすることもできない貧困層はどうすればいいのか。 貯蓄を含めた生活の保障やお金のあてがある人は危機を乗り越えられるだろうし、富裕層は「引きこもり消費」をエンジョイすればいいだろう。しかし2019年のファイナンス会社の調査では30代、40代の貯金ゼロが23.1%にも及び、貯蓄額100万以下が60.5%で、とてもではないが乗り切れる人が多数派とは思えない。この調査が偏っている可能性もないわけではないが、調査対象は団塊ジュニア・氷河期が多数を占める層と考えれば、それほど実態と乖離しているとは思えない。 それでも本当に生活が厳しくなるのは非正規やフリーランスだけ、という観測は楽観的すぎないか。正社員でも薄給だったら、このコロナ騒動が長引けば、遅かれ早かれ詰んでしまう。現実はゲームのようにライフがゼロになりゲームオーバーというわけにはいかないし、リセットボタンもない。詰んだ人々に残されるのは電源ボタンとルール無用の新たなゲームで、生活も心も荒むのは間違いないだろう。それが社会に、政治に、自分の身の危険に跳ね返って来ると、為政者たちには届いているのだろうか。 私はしばらく小塚さんと話し込んだ。もう深夜、そろそろ外出自粛令の日付に変わる。しばしお別れか。つくづくコロナが憎い。私たち団塊ジュニアのとどめを刺しに来たんじゃないか。私たちが何をしたというのか。そんな昔から何度もこぼした愚痴を、おっさんになった今、また繰り返すなんてなあ、などと自嘲し合いながら。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2020.04.04 16:00
NEWSポストセブン
「こどおじ」なら外出制限も平気(写真はイメージ)
40代無職の子供部屋おじさん兄弟「俺たちはずっとこのまま」
 大人になっても休日を一緒に過ごし、何気ない日常をともに過ごす姉妹の話はよく聞くが、兄弟となると珍しい。仕事や人生がいまひとつうまくいかないと鬱屈する団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアを「しくじり世代」と名付けた『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏。ドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)での一路と二路の中年兄弟は、親が残した実家で暮らしながら無職ではなくなったものの、これまでとそれほど変わらない生活を送りそうな様子で最終回を迎えた。コタキ兄弟のように実家で暮らす40代無職の兄と弟が描く将来について、日野氏がレポートする。 * * *「いつまでも働かない兄弟がいてね、親も困ってる」 旧知の老人からそう聞かされ、紹介してくれるというのでその兄弟に会ってみた。3月上旬、場所は神奈川県の三浦半島にある高級住宅地だ。その老人もお金持ちで御殿のような屋敷に住んでいる。兄弟とは駅前のカフェチェーンで待ち合わせをした。兄(45歳)の方は流行りのフレームのメガネをかけ、服もこざっぱりしている。弟(41歳)も髪はボサボサだが、どこにでもいる雰囲気だ。兄弟ともに40過ぎには見えない。中年男性にこういう言い方は失礼かもしれないが、二人とも細身で丸顔の幼い顔立ちで、個人的に嫌悪感を抱くような印象はまったくないが、その正体は兄弟揃って世間で敬遠されがちな無職中年男性だ。「俺たちオタクじゃないんで、そこだけは勘違いしないでくださいね。呼び名は兄者(あにじゃ)と弟者(おとじゃ)で」 そんな名前の人気YouTuberがいるが、そのことを尋ねると「なんですかそれ」と返されてしまった。とくに関係はないようで、兄弟ともにネットはするし匿名掲示板で一通りの罵詈雑言は書くが、ネット配信とかそういった方向には興味がないらしい。それにしても兄者と弟者というこの呼称、ルポに似つかわしくないが従うほかない。「コロナ対策に文句言う奴ってムカつきません? 安倍首相はよくやってますよ」 兄者のほうがいきなり切り出してきた。政治話が好きらしく、普通の日本人として当然だという。私は俗に言うネトウヨとかそういったレッテル話になるのが嫌なので、弟者のほうに新型コロナウィルスの影響で街も人が少ないといった世間話を振ってみる。「外へ出なきゃいいだけじゃん。家でゲームやってればいい」 そう弟者がつぶやいた。終始、スマホとにらめっこ。話せば軍艦を女の子に見立てたAというゲームを遊んでいる。私もAは好きだ。先にそのジャンルを開拓したKよりも後発のA派なのでしばらくその話で盛り上がりホッとした。弟者はゲームの話には饒舌だ。それでもオタクというわけではなく、あくまで暇つぶし程度だと言う。「コロナとか俺たちみたいなこどおじは最強ですよね。外出る必要ないし」 兄弟ともにこどおじ=子供部屋おじさんという言葉は知っていて、二人共に自認している。兄者も弟者もこの取材時点では無職だが、先の老人の話とは少し違い、去年までは市内でアルバイトをしていたそうだ。老人はフリーターを無職としてしまう人が多いからか彼らは働かないなどと私に言っていたが、実際は去年の年末まで仕事に就いていた。「俺は清掃の仕事してたんだけど、パートのおばちゃんたちは嫌な人ばっかだし社員はウザい。年下で何もわかってないくせに。だから年末で辞めたんだ。弟も介護の仕事をしてたけど同時に辞めた」 兄者の言葉に弟者がにやりつぶやく。「介護なんて、あんなの仕事じゃない。うんこ取り」 兄弟ともに裕福な家の子、不便な立地だがこの辺りは高級住宅地だ。「しばらく休んでから職探そうと思ってたのにコロナでしょ? ついてない。まあ、別にすぐ働かなくても困らないし、コロナってるといろいろ職場もめんどくさいからちょうどよかったけど。そう考えるしか無いね」◆「まともな大学を卒業しても、見合った就職先がなかった」 兄者はトークも軽快でよくしゃべる。老人から聞かされたイメージとは真逆の陽キャ、社交的な人だ。世間話にもきっちり対応できる。聞けば兄者も弟者も神奈川県内の有名私立大学を卒業している。どちらも新卒で就職せずにフリーターとなったそうだが、なるほど、会話の語彙が偏らずしっかりしているはずだ。なぜ就職しなかったのか?「就職氷河期って全然仕事がなかったわけじゃないんですよね。俺みたいにまともな大学出てれば新卒枠はありました。でもそれに見合った就職先かっていうと話が違ってくる」 就職先はあったが、どれも小売、外食、サラ金、よくて自動車のディーラーが関の山だったと言う。確かに兄者のころはまだしも、弟者の時代は氷河期真っ只中。有名私立大学とはいってもスポーツで知られるマンモス私大で高偏差値というわけではない。苦戦は必至だったろう。実際、兄者は最初から新卒での就職を放棄、弟者は受けた企業をことごとく落ちたため、バイト先だったうどんチェーンで卒業後も働いたという。 その後いろいろなバイトを経て介護の仕事についた。特別養護老人ホームの夜勤をしていたとのことで、スマホとにらめっこの見かけによらず仕事は出来るのだろうし、真面目なのだろう。兄者も「こいつが仲良くするかは人による」と言っていた。私も打ち解けたのは先のゲーム話からで、そっちの話しかしてくれない。自分自身のことは頑なに明かさず、代わりにほとんど兄者がインタビューに対応してくれた。「地元がいいんだよね、知らないとこはいろいろ面倒だし」 面倒くさがりだと自称する兄者、とにかく苦労はしたくないと言う。だから地元に住み続けるし実家にも居続けるというのだが、交通が不便なことと高齢化の加速で限界集落状態の地域も多いため仕事が少なく、県内でもせめて横浜まで出ないとまともな仕事は見つからない。通勤そのものは大学にも通っていたくらいなので隣市くらいなら苦ではないそうだ。また、これまでバイト先で社員に誘われることもあったが、「外食や小売はバイトのほうが楽だしフルで入れば金は変わらなかった」そうだ。確かに若いうちならそうだろう。実家住まいなら福利厚生の良し悪しも、それほど考える必要はなかったかもしれない。それでも不思議なのは、プライドもあるのになぜ望んで非正規なのか。「ただ自分の楽な方向で生きてきただけなんですよ。地元でバイトして、いつのまにかずっと食って来れた。だから変える気もないし、変える必要もなかった。人間らしく生きたいんです。責任ないとこで適当に生きていたい。まあ、放蕩息子でしょうね」 もちろん甘えている自覚はあるようだ。金持ちだから働かなくてもいいだろうが、もう40歳を過ぎたおじさんである。◆親子だって合う、合わないはあると思う「父親とは何度も喧嘩しましたよ。いまは諦めているのかなにも言いません」 父親は東北から出て、一代で豪邸を建てた苦労人だそうだ。いまはリタイアして悠々自適の毎日、家にずっといるのでウザいという。「前は日本中あちこち旅行や釣りに行ってたけど、コロナのせいで家にいるんです。だからスロ(パチスロ)やネカフェに行くしかない」 とにかく父親が嫌いだという。もう45歳にもなれば父親もなにもないのではと言うと、「歳は関係ないでしょ」と言われてしまったが、40歳も過ぎたらそんなわだかまりは無くしてよいのでは。「ずっと気に入らないんですよね、親子だって生まれてから知り合うわけで、合う合わないはあると思うんですよ。親子だからなんて信じられませんね」 父親の話になると語気が強くなる。弟者のほうはあいかわらずスマホのゲームとにらめっこだ。「煙草いいですか?」と兄者に聞かれたのでどうぞと促す。「母親は優しいですよ。うるさいことも言いません。仲はいいです」 一転して母親の話になると優しい顔に戻る。そんな話の間も弟者はひたすらゲーム。だが、ふてくされるわけでもなくインタビューの場所にはいてくれるわけで、兄者と一緒にいるのが好きなのだろう。人見知りするタイプだと言うのに、良い子だ。40歳過ぎのおじさんをつかまえて良い子もないものだが、これが中高年の態度ではないことも事実だ。「メシはそれぞれ外食とか、コンビニとか。母親がラップして作り置きしてくれてますが、あんまり食べないですね」 40歳も過ぎた息子二人の食事を作る母親、もう60代後半だが、息子とはいくつになってもかわいいものなのか、父親の事なかれと母親の溺愛こそが彼らの気楽な人生を支えている。何と兄者は車も買ってもらっている。「国産の中古ですけど、今日もそれで来ました。弟者は免許持ってるけど運転しないんで、もっぱら運転手は俺です。ガソリンは自腹ですよ。税金とか保険は親が払ってるけど」 車だけでなく年金も親がずっと払っているという。以前は父親がうるさいので月に3万円ほど家に入れていたが、最近はうやむやになったそうだ。バイト代は全部小遣いで、そんな家庭でのらりくらりと今に至る。「役には立ってますよ。限定のマスクとかトイレットペーパーとか、朝一で買い占める係は俺たちですもん」 昨今のコロナ騒動の買い出しも親の代わりに兄弟で行くこともあるという。無職の強みというべきか。それにしても、男の兄弟なら反発したりライバル心を燃やしたりもありそうなものだが、兄者弟者は本当に仲良しだ。「そう、仲はいいですね。一緒にスロ行ったり、家でゲームやったり」◆わかっちゃいるんです。俺たちいい年して無職でヤバい 弟者が嬉しそうに兄のほうをチラ見する。ファミコンがスロットに変わっただけ、幼少期から変わらず兄弟で遊ぶというのはなんだか羨ましい。しかし、二人が中高年実家暮らし無職の独身おじさん兄弟であることを改めて考えると、素直にうらやんでもいられないのではないかと思えてくる。「いや、わかっちゃいるんです。俺たちいい年して無職ってヤバいこと。はぐれ悪魔超人コンビって感じですね」 兄者の自嘲ぎみのフレーズに弟者が反応して笑った。漫画『キン肉マン』の悪役タッグのコンビ名だ。そういえばアシュラマンとサンシャインも無職か。いや悪魔だからしょうがないんじゃね?などと私と兄者はしばらくキン肉マンの話に逸れた。団塊ジュニアのコモンセンスは常にジャンプ、ファミコン、ガンダムだ。正直、私もこんな意味のない話は大好物だが、若いころと違いどことなく不安になってくるのは老いのせいか。「将来のことですか? 考えてはいますよ。父親が死んだら俺と弟で家を売って、その金と遺産でぼちぼち生きて行こうと思いますよ」 なるほど、父親が死んだら屋敷は手放すという。大きな家だけに維持費は大変そうだ。まして固定資産税はシャレにならない額だろう。だが横浜や川崎の都市部ならともかく、三浦の辺りの人気は高級住宅地でも凋落ぎみだ。そう簡単に売れるだろうか。「やっぱそう思います? それが心配で」 それに売る売らない以前に、両親ともに元気なままポックリ死んでくれたらという前提の話であり、長く介護が必要になる事態にならないとも限らない。「その時は施設送りですね。それくらいの金は家にありますから。むしろ家を明け渡していま入って欲しいですよ」 しれっと言うが、子供二人育ててここまで言われるご両親もかわいそうだ。正社員になれだの真面目に生きろだの、確かにウザいかもしれないが団塊世代の価値観、まして実の父親なら仕方のない小言だろう。母親は優しいとのことだが、いつまでも手がかかる息子のままでいて欲しいのかもしれない。しかし、幼少期の関係性を大人になっても引きずり続けるあり方は、団塊世代と団塊ジュニアという組み合わせの親子には案外多い。「なにかやりたいとかないんですよ。とにかくラクに、楽しく生きたい。個人の自由ですし、それが許されてる環境なのはよかったと思います」 団塊ジュニアの取材に限らず色々な人間と出会い、話をして思うのだが、世の中なにになりたいとか、どうしたいとか、目標や夢を持つ人というのは意外と少ないものだ。あっても本当に些細なことで、それはそれでまったく個人の自由だが、夢や目標に猪突猛進、あるいは疲弊している人からしたら信じられない話だろう。こういう人は少なからず一定数存在するし、それは非難されることではない。それはわかる。「夢とかとくに無いですね。日々楽しければいいですよ」◆俺たち兄弟はずっとこのままでしょうね 夢を持て、目標を持てなど余計なお世話だろうし、むしろこういう人たちからしたらウザい存在だ。ましてや家を出て独立や自活をと言われても、他人様に迷惑をかけていなければ「家庭の問題」だ。ただしそんな人でも共通するのは恋愛の問題、結婚する気はないのか。「彼女はいましたよ、バイトとかでも知り合いますし、20代、30代でも付き合った子はいます。でも進展はしなかったですね。遊び友達でおしまい。俺もそっから先はめんどくさいし、どうしていいかわかんないんですよ」 兄者は女性と深い関係を持った経験がないという。とてもそうは見えないが、本人が言うならそうなのだろう。少し意外だ。もしかしたら他に理由があるのかもしれないが。「ま、こいつは女がいたこと自体、見たこと無いんスけどね」 意地悪な放言に弟者がスマホを見ながら兄者の肩を小突く。ということは兄弟揃って童貞ということか。「こいつの好み、オタクみたいなんですよ。Re:ゼロのレム(※ライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』のヒロインの一人)だよな?」 図星だったのか今度は反応しない弟者、スマホに集中したまま顔をこわばらせている。照れているようだ。それにしても兄者と弟者は突っつき合ったりして、男同士の兄弟なのにカプ味(恋人のような雰囲気のこと)がある。私は微笑ましく思うが、40歳過ぎた童貞子供部屋おじさん兄弟では、そのかわいらしさは広く理解されないかもしれない。外国だとこういう兄弟はよくいるのだが、残念ながらここは日本だ。「コロナ騒動が一段落したらまたバイトしますよ。大金稼ごうと思わなければ中高年でもバイトはありますし」 確かにそうだ。家庭を持って一家を支える立場になければ、正社員でなくても自分一人が食っていけるくらいには豊かな日本だ。大望もないのなら、非正規を使いたい側にしてみれば安く働いてくれてウェルカムだ。「ま、生まれが左右するんですよ。世の中って。金持ちに生まれたほうが絶対いいし、就職氷河期だってそうでしょう。俺たち兄弟はずっとこのままでしょうね。それでいいっスよ」 彼らの生き方は高等遊民の特権ではある。とはいえ、本当に不安はないのだろうか。両親の介護は金で解決できるだの、親の家を売った金で余生を送るだの、見通しが甘すぎる。この世に変わらないものはない。どんな大金持ちでも凋落しない保証はない、と思うのは僻みだろうか。それに兄弟どちらかが恋愛し、結婚すると望む生活の姿も変わるだろう。妻は他人だ。他人がこの家庭に入った時、その目論見は大きく違ってくるだろう。兄弟の仲もそうだ。年月を経てお互いの事情で変わってしまうかもしれない。 高度成長とバブルによって、我々の親世代は成功した者が多い。そしてその資産の恩恵にあずかった子供たちも多いだろう。それ自体まったく悪いことではないが、その心地よさに溺れたあげく、取り返しのつかないことになっている家庭もある。生活のインフラすべてが親がかり、実家の仕事を継いだとか介護などの事情があるならともかく、無職となった現在、人ごととはいえ兄者弟者のお気楽生活に理解を示す者は少ないだろう。なぜならそのツケは間違いなく社会保障に跳ね返ってくるからだ。 お金持ちとはいっても、大富豪の子でもないこの兄弟がこれから老いてゆく中、現状を維持していくのは不可能だろう。ましてやコロナで世界が、これからの時代がどうなるかわからない趨勢にあって、社会も両親のようにこの兄弟を甘やかすはずもない。はっきり言うと、40歳過ぎた独身無職の子供部屋おじさんに優しい社会など存在しない。これは現実だ。だからこそ、大多数のおじさんは社会の厳しさと理不尽とに耐え、みな奮闘しているのだ。 厳しいことを書いてしまったが、それでも、願わくは兄弟の結束はこのままであって欲しいと思う。なんだかんだで最終的に頼りになるのは肉親だ。それに兄弟とも、幸い仕事そのものを嫌うタイプではない。現状維持が出来れば御の字だろうが、それはそれでいいと思う。兄者弟者もそれでいいと言うのだから。これはこれで望ましい、他社とマウント的に比べることのない「絶対的幸福」であり、これからの我々に必要な価値観だ。そして何より避けなければならないのは孤独になることだ。孤独の時限爆弾は金持ちだろうと貧乏だろうと、平等に仕組まれている。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2020.03.29 16:00
NEWSポストセブン
【動画】ヤクザとマスク 高齢化進み、幹部がコロナに戦々恐々
【動画】ヤクザとマスク 高齢化進み、幹部がコロナに戦々恐々
 2月16日、幹部の兄弟盃に列席するためJR岡山駅に降り立った六代目山口組の司令塔・高山清司若頭が1万円以上もする日の丸入りの超高級マスクを着用していたことが話題になりました。広域団体二次団体総長によると「ヤクザは氷河期でなり手がおらず高齢化している。ほとんどの組織がトップは70、80代だ。刺青や覚せい剤で肝臓疾患が多いこともあってコロナでコロリと逝くかもしれない。水際対策は組織防衛の最優先課題」と明かしています。
2020.03.13 16:00
NEWSポストセブン
ヤクザとマスク、高齢化進み幹部が「コロナでコロリ」を懸念
ヤクザとマスク、高齢化進み幹部が「コロナでコロリ」を懸念
 暴力団のトップクラスは極端な健康志向だ。「喫煙者はほぼおらず事務所は禁煙。飲み歩くこともなく深酒もしない。運動やウォーキングもこなし、早い時間に会食を終える。その後マッサージを呼んで早い時間に就寝する。我ながらなぜヤクザになったのか自問自答する」(指定団体幹部) 2月16日、幹部の兄弟盃に列席するためJR岡山駅に降り立った六代目山口組の司令塔・高山清司若頭は1万円以上もする日の丸入りの超高級マスクを着用。ボディガードたちも全員マスクをしていたことが報じられ、話題となった。「高山若頭は72歳、司忍組長は78歳。抗争中の神戸山口組のトップ・井上邦雄組長は71歳。もはや和解の道はなく、指導者の健康寿命の長さはそのまま組織の命運に直結する」(全国紙記者) 例年、インフルエンザに対する警戒心は強い。面談で咳き込むようでは会ってもらえず、対面取材は強制延期となる。新型コロナウイルスは高齢者や基礎疾患を持っている人が罹患した場合に重篤化することが判明しているので、全国の暴力団が気を揉んでいるのだ。「ヤクザは氷河期でなり手がおらず高齢化している。ほとんどの組織がトップは70、80代だ。刺青や覚せい剤で肝臓疾患が多いこともあって、コロナでコロリと逝くかもしれない。水際対策は組織防衛の最優先課題」(広域団体二次団体総長) 暴力でウイルスには立ち向かえない。しばらくは幹部会や盃事、葬儀が延期、または休止されるなど、より強力な感染症対策がとられるだろう。●鈴木智彦(フリーライター)※週刊ポスト2020年3月20日号
2020.03.09 07:00
週刊ポスト
理想の職場を求めて転職を重ねる(写真はイメージ)
ブラック企業を転々、現在求職中の41歳男性が持つこだわり
 就職氷河期(1993-2005年卒)に社会に出た若者たちは、まずは望まない仕事であってもとりあえず働き、転職することでキャリア形成していく道を選んだ人が少なくない。新卒で入った会社で定年まで働くことを想定していた親世代とは、大きく異なる。ところが、2008年から2009年にかけて世界金融危機が起きたことで、その転職によるキャリア形成も困難になった。努力を重ねてきたのに、どうもうまくいかないと鬱屈している彼らを「しくじり世代」と名付けたのは、『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏。今回は、理想的な仕事を求めて転職を繰り返してきた41歳男性についてレポートする。 * * *「もうアラフォーだってのに、転職のたびに先細りですよ」 貴族のいない貴族と名のついた焼き鳥屋で、清水裕太さん(仮名・41歳)が串を転がす。背が高くカッチリしたスーツ姿、どこか飄々とした優男だ。「大学は全落ちでした。当時はどんな大学でも昔はそれなりに倍率が高くて落ちる人もいたのに、いまは理解されないんですよねえ」 清水さんは1978年生まれの氷河期世代。ポスト団塊ジュニアにあたる。団塊ジュニアの受験戦争ほどではないが、いまに比べれば厳しいものだったので「全落ち」、つまり受験した大学すべてに不合格ということも珍しくなかった。若い人には信じてもらえないかもしれないが、受験者数は今の倍以上なのに定員は現在より少なかったため、受験者全員が合格する全入の大学など、少なくとも首都圏には存在しなかった。「ニッコマ(※準難関私立大学とされた日本大学、東洋大学、駒沢大学、専修大学を示す日東駒専のさらに略した呼び方)も大東亜(※中堅私立大学の大東文化大学、東海大学、亜細亜大学、帝京大学、国士舘大学を示す大東亜帝国をさらに略した呼び方)も落ちて、北関東の新設大すら落ちました。親からは大学行く頭じゃないと言われました」 団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの就職失敗談は「大卒なのに」、というエクスキューズで語られがちだが、1977年度生まれの四年制大学進学率は33.4%。語られることは少ないが、当時の大部分は高卒や専門卒だ。出版社にも私のような高卒アルバイトがたくさんいたし、中小出版社には、大学全落ちでいまではすっかり少なくなった出版専門学校に進学し、アルバイトで入社という連中も多かった。 まあ、それをいちいち誇る人もいないので語られることは少ない。 私の世代(団塊ジュニア・1972年生まれ)に遡ると高卒は卒業時に就職氷河期が始まる前だったため卒業者数より求人のほうが多く、引く手あまたでラッキーだったりもする。このある種の隔たりが大きな環境の違いを生み出し、同学年でもすべてを「氷河期世代」とひっくるめることの難しさにつながっている。「でも地元を出たかったから、東京の専門学校に入ったんです」 清水さんの実家はかなりの田舎だ。詳しくは語らないが、ろくなところではなかったそうだ。浪人は家計の都合と近所の手前許してもらえず、京の専門学校に入学した。「うちのド田舎では大学行く奴なんてごくわずかでしたよ。専門だってマシなくらい。みんな高卒でブルーカラー」 地元の公立高校ではそれなりの成績だったようだが、高校偏差値50程度の田舎公立生が当時の大学受験、ましてや首都圏の人気大学に特別な対策なしに進学することは難しかったかもしれない。地元には最底辺の私立大学はあったが、そこだけは勘弁だったという。「いまの子がうらやましいですよ。いまならニッコマも簡単なんでしょ? 指定校推薦とかAO入試とか余裕じゃないですか。大学行きたかったですよ」 いまも大学にこだわる清水さん。それにはもちろん理由がある。「知ってます? 転職サイトやエージェントって最近は大学からしか記入欄がないんですよ」 ひと昔前は高校や専門学校からだったが、近年では大学からしか入力できないようにできている転職サイトが見受けられる。エージェントはもっとか。「ビジネス専門学校卒の僕はどこに書けばいいんですかね?」 現在の専門学校卒といえば医療系のような資格仕事か芸術・エンタメ系の夢追い学校が大半だが、かつては法律や経営、ビジネスを売りにした専門学校が乱立した時期があった。そこは実質、中堅高校あたりから大学に行けなかった人たちの受け皿となっていた。これらの専門学校も現在は人気の医療系や既卒、社会人向けの資格予備校的存在に鞍替えしているところが多い。「そりゃブルーカラーならそんな記入欄なんか気にしなくてもいいんでしょうけど、僕も長年事務や営業のホワイトカラーでしたから、そういうハードルのあるところばかりになります」 清水さんはビジネス系専門学校を卒業後、消費者金融に就職した。いわゆるサラ金である。当時は就職氷河期真っ只中、これでも専門学校では優秀なほうだったという。「サラ金って下手すると若い子は知らないかも。就職先として人気の時期もあったんですよ。僕も年をとったなあ」 強引な貸付や取り立てなどが社会問題化した1970年代後半、サラ金はCMのテレビ放送を排除される存在になっていた。その後、貸金業法や出資法が変更され悪質業者が排除され、消費者金融は1990年代に入るとイメージ回復に躍起となった。おなじみの曲でダンサーズが踊り、三人組の宇宙人が「ラララむじんくん」と歌い、チワワのクーちゃんが見つめ、サッカーブラジル代表の英雄だったジーコが「ヒトリデデキター!」と叫ぶ、各社工夫をこらしたCMでお茶の間を席巻した。そんな時代もあったのだ。「上場企業だったけど、やっぱり金貸しは金貸しだった。事務採用のはずが即営業、ティッシュ配りと金借りに来るクズどもの対応。回収は別部隊だったけど、体育会系で店長からは殴られたり蹴られたり、それが当たり前だった」 会社や業種にもよるのだろうが、1990年代までは職場でも暴力が容認、少なくとも否定されなかった。私もどこの出版社とは言わないが、普通に殴られたことがあるし全裸にされたこともある。いまだったら大変な問題になる話だが、20世紀とはそういう時代だった。セクハラに至ってはなにそれ美味しいの、と言いたくなるほど問題が共有されていなかったのである。「バブル弾けて就職難の入り口、そんな会社でも入れたら御の字だったよ。有名大学出た奴もサラ金にたくさん入ってきた。後輩には早稲田や明治、国公立もいた。うまく立ち回れる奴もいたけど、弱っちいのは高卒上司に壊されて辞めてたな、サラ金の高卒上司ってことは1980年代に、取り立てで追い込んで何人首吊らせたかを自慢するような猛者揃いだからね。部下を灰皿で殴って病院送りとか、容赦なかったよ」 就職難で選択肢の限られた新卒は、上場企業ならばきっと大丈夫、有名CMを流しているメジャーな企業なら普通に働けるだろうと消費者金融に入社した。ところが、そこは彼らが思い描いたような職場とはほど遠い場所だった。ある者は病み、ある者は完全に壊れた。五体満足で逃げた清水さんはラッキーである。「その後も転職を繰り返しました。事業者金融とか、シロアリ駆除とか、アパート投資とか、どれも上場企業で立派なビルの会社だったけど、いわゆるブラック企業ばかり」 清水さんの転職は挙げた他にも多数あり、尋常な数ではない。逆によく採用されたものだと思うが、転職回数など問われない会社ばかりだったという。若ければ誰でもウェルカムとはいっても、なかなかハードな会社ばかり、並の精神なら早々にぶっ壊れてそうなものだ。「いまの若い子は大事にされるよね。僕のころは募集すればどんな会社でも殺到するから使い捨てだった。ほんと羨ましいし、理不尽ですよ」 1990年代から2000年前後、転職市場は完全な買い手市場だった。新卒で働き始めても、望まない就職先だったゆえに転職を繰り返した者もいた。しばらくして2006年『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という新書がベストセラーとなるが、それ以前から新卒の短期間退職は問題となっていた。のさばるブラック企業のせいではなく「我慢が足りない」「今どきの若者」として被雇用者側、労働者のせいにされた。「どれも短期で辞めてますからね、結果がすべての会社ばかりですが、僕はどこに行っても成績が悪かったからクビになっちゃうんです。ド田舎に飛ばしたりイジメでクビにしたりしますから、その前に辞めます」 清水さんが、本人が言うほど成績が悪い働きぶりだったかは疑わしい。というのも結果主義、実力主義を悪用するブラック企業が後を絶たなかった時代で、不条理な雇い止めや不法な解雇が横行していたからだ。本当は問題無い働きぶりだったにもかかわらず、報酬を上げたくないために言いがかりをつけて労働者を追い込み、利益を確保する企業があたりまえに存在した。清水さんは、追い込まれる前に回避したと語るが、当時はつらい思いばかりだったろう。「首吊った同僚もいますよ。ほんとひどい会社、ひどい時代だった」 そうして転職を繰り返して30代後半を迎えたあたりから、転職先で年下が上司だったり、指導役になり始めたという。「新卒で入社して勤め続けている生え抜きのプロパーだからって威張ってるんですよね。だいたい体育会系でバカ。ブラック企業はそんなのばっかり残りますから」 しかし40歳を過ぎ、そんなブラック企業すら正社員では採用されなくなった。「転職回数が多いのもあるけど、専門性がないんですよ。資格も簿記くらいはあるけどアラフォーのおじさんがそんなの自慢したって笑われるだけ。あと実績もない。盛りに盛ってもバレちゃう、面接は得意なはずだったのに、若い時とは違ってキャリアや管理能力を問われる。そんな経験ないっての」 それに加えて専門学校卒だ。大学進学率が50%を越える現在、さしたる学歴も実績もない転職回数の多いアラフォーを採用する会社は少ないかもしれない。「いまさら職安でキャリア形成がどうたら説教されてもそんなの教わらなかったよ。履歴書なんか転職回数多すぎて短いのとか非正規は端折ってる。社会保険加入前やそんなのないようなとこは端折れって職安でも指導されたし、背に腹は変えられません」 それでも清水さん、上場企業や立派なビルにこだわりがあるという。「ブランド好きなんですかね、嫌な地元の連中のことを考えると、東京の上場企業で働く自分ってのが支えというか。別に何かをしたいとか、何かになりたいとかでサラリーマンやってるわけじゃないですし、昔から夢とかないんです」 清水さんは大学全落ちで専門学校に行った過去を知る地元へは絶対帰りたくないと語る。住まいも会社の寮や都内のワンルーム暮らしだったが、家賃相場の安い千葉に越してきた。清水さんが、転職回数が多いとはいえ大手企業を渡り歩いてきたことは強みだろう。むしろこの飄々とした感じが自信たっぷりに見えることも、これまでの面接などに有利に働いたかもしれない。それなりの社会性もある。 どの会社でも定着できるほどの実績は上げられなかったと言うが、それはブラック企業が働く人を使い捨てるときの常套手段だ。転職するのももう限界と言うが、それはまだ早い、むしろ我慢のしどころだろう。40歳を過ぎると実績あるスーパーマン以外、転職市場が厳しいのはみな同じだ。「通信制大学とかどうですかね?」 清水さんに問われ、私は止めておいたほうがいいと言った。ステップアップのために通信制大学に行くという手段は、生涯学習や資格、教養目的ならともかく、40歳を過ぎて転職やビジネスキャリアの再構築を目的に行くのは現実的ではない。ましてや在職中ならともかく、清水さんは求職中の身、賃貸暮らしで日々の生活もある。 いま清水さんに必要なのは40歳を過ぎて仕事が決まらない現実と向き合うことだ。上場企業や立派なビル、ホワイトカラー、そろそろそんなこだわりから下りることも考えるべきだ。地元の連中からの痛い視線のことは清水さんが思っているだけであり、もう彼らには妻も子もいて清水さんのことなんか忘れている。自分の人生を生きるのに他人の目など必要ない。ブラック企業が跋扈する氷河期を乗り越えて来ただけでもたいしたものだ。あとは意味のないプライドとこだわりを捨てるだけだ。そうでないと本当に詰む危険性がある。「僕が親の面倒を見なくていい三男坊なのは救いです。兄は二人とも地元で働いてますが、高卒で工場のブルーカラー、結婚して子どももいますが仲はよくありません。甥っ子や姪っ子とも何年も会ってませんが、再就職が決まったら戻ってオモチャでも買ってあげようと思ってます」 いや、兄二人のほうが社会的評価はずっと上だ。なるほどこの言い草、しくじり続けた清水さんが現実的な将来へ進むための補正には、時間がかかりそうだ。端々でホワイトカラーという言葉にこだわり、ブルーカラーを下に見る態度もこれだったのか。もはや形骸化したこの両者にこだわるところは昭和を引きずっているというべきか。「趣味はとくにありません。ネット三昧ですね。無趣味にとってネットは最適な暇つぶしですよ」 清水さん、案の定ネットで罵詈雑言を撒き散らしているという。詳しいことは意地でも話してくれなかったが、私は転職活動や情報収集以外のネット利用は断つべきだと提案した。極端な悪意ある匿名の意見は、人生のリアルには有害でしかない。 今後、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア含めてネットとの付き合い方は各々再検討すべきだろう。幸せでないからネットに悪意を撒き散らすのではなく、ネットに悪意を撒き散らすから不幸になると考えるのが自然ではないか。それに清水さんは見ず知らずの連中ではなく、血の通った両親や兄たち、かわいい姪っ子や甥っ子を大切にし、素直に接したほうがずっと有意義だと思う。誰と比較するのではなく、幸福とは絶対的なものであるべきだ。相対化せず、絶対化した自分だけの幸福に生きることが必要だ。でなければいつまでも「しくじり」のままだ。「いずれ僕も結婚したいし子どもも欲しいので、次は長く続く会社に勤めたいんで、今度こそ妥協できません」 いまのところ相手はいないそうだ。「付き合った女は何人かいるんですけど、みんな口を揃えてつまんない男って言うんですよ。みんながみんなでっかい夢を持ってるわけじゃないっての。ネットで知り合った女は僕のことを真面目系クズとか言いやがりました。わけわかりません」 真面目系クズはあんまりだが、いまとなってはたいそうな夢がないことは、地に足のついた職探しのためには逆に好都合だろう。全部ひっくるめての正念場、まずはアラフォーの再就職という壁を乗り越えるところからだ。清水さんはある意味、一人暮らしの長いしたたかなサバイバーだ。飄々と乗り越えることだろう。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2020.02.15 16:00
NEWSポストセブン
「日本を変えたい」と市議選出馬を決意する
私が市議選出馬を決めた47歳の一流企業社員を応援する理由
 30~40代の就職氷河期世代は、多感な時期を常に同世代と争い、競って過ごしてきた。だが、どれだけ頑張っても親世代と違ってうまくいかず、競争ばかりしてきたためか努力が足りなかったと思ってしまう人が多い。その失敗は、自己責任だけではなくまだやり直せるという期待をこめて彼らを「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。今回は、「日本を変えたい」と市議会議員選挙出馬を決意した47歳男性についてレポートする。 * * * 関東近郊の私鉄、各駅停車駅構内で待ち合わせると、パリッと決めたスーツにネクタイとチーフ姿の男が待っていた。田中真次さん(仮名・47歳)の様相はすっかり変わっていた。私が知る田中さんはいつもラフな格好で、スーツやジャケットを好む私を揶揄する側だった。おしゃれでなかなかのイケメンでもある。細身長身がとてもうらやましい。「県議会議員のお手伝いに行ってたんだ。党員も大変だよ」 駅前の喫茶店、さっそく党員証も見せてもらった。なかなか見るものではないから興味深い。 彼の噂は聞いていた。私にとっては業界関係なしの昔なじみだが、サラリーマン生活をやめて政治家を目指し始めたことはメールで聞かされていた。直接会うのは久しぶりだ。「以前から政治には関心があったんだ。それは知っているだろ」 1990年代後半、確かに彼と食事すると政治問題の話になった。よく覚えているのは1997年の第2次橋本改造内閣発足時、ロッキード事件で有罪判決を受けた過去を持つ故・佐藤孝行衆議院議員が入閣した時にえらく怒っていたことだ。「中曽根の陰謀」と当時語っていた。 私も彼もお互い20代、まだインターネットは電飾ネオンのような個人ホームページが関の山の時代だった。このあと本格化するIT革命など知るよしもなし、才ある団塊ジュニアの若手起業家や技術者は自らの氷河期を挽回するかのように、この革命の「波」に乗った。この前年に堀江貴文(1972年生まれ)はオン・ザ・エッヂを創業、1997年になると青野慶久(1971年生まれ)はサイボウズを、佐野陽光(1973年生まれ)はクックパッドの前身となる会社を、槙野光昭(1973年生まれ)は後のカカクコムを創業した。徒手空拳の彼らに賭けた同世代のメンバー含め、1971年~74年生まれで新卒時には就職氷河期だった団塊ジュニアにとって、最初の挽回のチャンスだったと言えるだろう。転職時に「変な名前の怪しい会社」と皆から笑われた私の知り合いは、いまや執行役員である。 この波に乗り成功する少数以外は負け組と呼ばれるような格差社会になるなんて、どれだけの日本人が予想したことか。私はオタク系のフリーライター、彼は老舗企業のサラリーマンで、今から思えば目端の利かぬ「波の外」の凡人だった。そう、今から思えば、我々にもチャンスはあった。なかったことにしてはいけない。「じつはね、市議会議員になろうと思うんだ。いま地方議会はどこも定員割れでなり手がいない。無所属じゃ大変だけど、党によってはすぐ議員になれる」 なるほどそうかもしれない。会社で40代は中堅であり、残るか去るかの選別対象だが、政治の世界で40代は若手どころかひよっこだ。落選が数人、下手すると全員当選どころか、なり手に四苦八苦している地方自治体なら、若い人は当選する可能性が高いし、現にそんな40代新人議員も多い。もっとも主要政党だとそれなりに厳しい審査もあるだろうが、彼は一流大学から一流企業、昔からとても頭が良くてリーダー然としている。それでいて案外抜けているところも魅力だ。目のつけどころを褒め、話を膨らませてみると、意外な名前が返ってきた。「Mって知ってます?」 私はそのMを知っていた。ネット界隈で古くからお騒がせの人物だが、懐かしい名だ。「彼が市議会議員選挙で次点になったんです」 言われてスマホで検索すると、たしかに次点に名前がある。「Mが次点なんてびっくりだろ? ぶっちゃけ若けりゃ当選しちゃうんじゃないか、そう考えたんだ」 確かにそうかもしれない。彼の言うMの市は過疎ではなくそれなりに大きな市だ。親が議員といった二世候補でもない。しかし、聞きかじりの知識からだが、市町村議員のなり手の少なさは議員報酬が安いことにあるのは不安ではないのかと聞いた。地方議員は報酬が低いだけでなく、必要経費も持ち出しになることが多いとも言われている。規模が小さい町村議会だと政務活動費もないらしい。報酬が高い市の選挙は自ずと主要都市に限られるため激戦となる。「安いけど、独身だからなんとかなるよ」 単身なら、まったく食えないということもなさそうだ。選挙費用も貯金があるし、親も応援してくれているという。息子が市議会議員になれば鼻も高いだろう。だがやっぱりいちばん聞きたいのは、市議会議員になって何がしたいかだ。それを質問したとたん、待ってましたとばかり、田中さんは口を開いた。「日本を変えたいんだ」 私は少し違和感を覚えた。別に市議会議員が日本国を思うのは構わないが。「正直、市議会は踏み台なんだ。とにかく当選しそうな市なら構わない」 個人の手段として否定することもないだろう。でも、細かい市政の話とか、突っ込まれると困るのでは?「その辺は市政を批判するか、市政のわかりやすい部分を訴えれば問題ない。保育所や託児所の問題とか、開かれた議会とか、とくに子育てと介護は鉄板だ。要する子どもと老人、国政ともつながる話だろう?」 そんなに簡単な話なのだろうか?「意外とそんなもんだよ。他の候補者も変わりゃしない」 確かに。地方行政の問題はそのまま国の問題にもつながる話だ。しかし実際はその市町村独特の問題や改善などが中心であり、こんなぼんやりした政策では訴求力が弱そうなものだ。とはいえ、若手であるならその意気やよしと受け取る有権者もいるだろうし、細かな公共事業や福祉政策の話より、わかりやすいと言えばわかりやすいかもしれない。もとより彼にとっては具体的政策は後付けで十分なのかもしれないが。「日本を変えないと、ブサヨや特亜の連中に乗っ取られるよ。そんなことはキミも知ってるだろ?」 ちなみに「ブサヨ」とは「ブサイク」な「左翼(さよく)」を、「特亜」は「特定アジア(亜細亜)」として中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を指すネットスラングだ。2000年代半ばから巨大匿名掲示板2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)で使われ、広まった。「愛知の展示物の捏造とか、知らない間に地方自治体が食い物にされてるからね。そもそも日本国の議員になるなら、国会議員だろうと地方議会議員だろうと国を愛するのは当然だし、国のために働くのは当然だろう」 私はうなずいてみせた。伝統俳句かつ社会性俳句の詠み手でもある私にとって、変なスラングや表現の自由に対する不理解はいただけないが、彼なりの理屈の中での筋は通っている。漠然とした目的と主義主張、受け売りのネットスラングの口汚さはともかく、今の日本をこのままにしてはいけないという考えには共感できる。これで国会議員を目指すとなるとまだまだ勉強不足だし、それは本人も認めているが、その発心で入党にまで至った行動力と日々の運動は凄いと思う。 話がさらに続きそうなので、ネットスラングはやめたほうがよい、特定個人を傷つけるヘイトもメリットがないと、やんわりと伝えた。「それはわかってる」 田中さんの真面目さはわかっている。ちょっと影響されただけだろう。「思ってても出さずに上手くやるのが政治家だぞ」 私の受け売りの偉そうな言葉に、田中さんは笑ってうなずいた。 思えば私たち団塊ジュニアは1990年代まで、政治はダサくてかっこ悪いものと考えていた。団塊ジュニアにとって政治に関わることは「ダサい」ことだったし、政治を語ることは「気持ち悪い」ことだった。幸い進歩的な家庭、洗練された地域に育った者は違うのかもしれないが、おおよその田舎の同世代たちの感覚はそうだ。学校で政治の話をする奴なんてクラスの変な奴だった。 そして21世紀、本来は政治とは若者も加わって動かすもののはずなのに、いまだに政治のイニシアチブは取れず、いつの間にか不利な労働、不利な制度が決まることが繰り返されている。政治参加どころか投票率すら低いまま、世代として政治に影響力を何ら掴むことのできなかった団塊ジュニアは、氷河期を発端にいまでも各個撃破され続けている。 敗戦からめざましい復興を遂げ「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言したのが1956年。1973年まで続いた高度成長期において、戦争によって年配の世代にあたる人口が少なかった影響はあるものの、政治家とは多くは20代、遅くとも30代でなるものだった。1972年に首相となったとき田中角栄は54歳だったが、彼は二十代のときから国政選挙に出馬していた。 高度経済成長からバブル期までの繁栄は、第一次ベビーブーム(1947年~1949年生まれ)と第二次ベビーブーム(1971年~1974年生まれ)によって、子供と老人の割合が少なく15~64歳の生産年齢人口が多い人口ボーナスが発生していた影響が大きい。その繁栄のうちに来る縮小期への備えをしておけばよかったのに、何も行われなかった。人口ボーナス期が過ぎるまで受験戦争、就職戦争に興じ、多くが雇われて働く安定を目指し突き進んだが幾度もの挫折を味わったのが、現在の団塊ジュニアを中心とした「しくじり世代」のおじさんおばさんである。 同世代との競争ばかりしてきた結果、同世代が力をあわせて社会で何かを生み出すことをほとんどしてこなかった。政治への参加も消極的だった。その結果、ポスト団塊ジュニアを含めれば二番目に人口が多い世代だというのに、いまだに政治を我々の手で決められず、救済をお願いするしかない世代でもある。もう40歳を過ぎたどころか50歳にも手が届くというのに。田中さんが何らかの形で主体的に政治に関わるのは喜ばしい動きだろう。がんばってほしい。ちょっと考えが違う部分もあるけど、その時になったら応援するよと伝えた。「やめろ、応援したらこの記事で特定されちゃうだろ」 言われてみればそうだ。選挙民には知られたくない本音も明かしてくれたのだから。二人で笑った。 田中さんの「ちょっと違う」感はともかく、本来は政治とはこうして参加するものなのだ。私とて自身の趣味趣向に邁進するばかり、いつの間にか消費税は10%になり、介護保険は値上がりし、非正規ばかりの社会になっていた。残念ながら、年をとっても年金を受け取るのはうんと先延ばしになるだろうし、もらえるかもあやしいだろう。そもそも政治的圧力も持たない、自分たちの年金も決められない私に、世代になっていた。 いろいろ問題を起こす議員もいるし、極端で変な議員もいる。団塊ジュニアの政治家によるやらかしも多い。なったらなったで支持者や地域住民との付き合いも大変だし、党内の人間関係もあるだろう。それでもいままでの反省を踏まえ、政治に参加したいという同世代は、その姿勢を応援したいし、背中を押すべきだ。 氷河期世代はどうしても経済的な苦境ばかりクローズアップされるが、解決するには政治との関わり抜きでは不可能だ。もしこれから人数が多い世代の少なくない人たちが貧困層として固定され、支えあえる家族も持たずにそのまま年老いたら、安定した社会を脅かす大きな要因となり得る。危険を回避するために、政治の力は不可欠だ。困難だと分かっている問題が迫るなか、まっとうな政治行動を志す人は素晴らしいし、ともに行動したいと思わせる。いまからでも遅くはないし、遅かろうとも何もしないよりずっとよい。 田中さんには、ともかく日本をどうにかしたいという純粋な気持ちがある。党の下働きをいとわず、雑巾がけできるくらいの行動力と心意気があるのだから、このご時世、爽やかなルックスも相まって、どこかの市議会選挙なら当選するだろう。市町村合併と定数削減が遅れているおかげで、有権者数と立候補者数のバランスが悪くなっているいまがチャンスだ。「俺たちはいずれ多数派になる。その時こそチャンスだ」 いずれ私たち団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアは下の世代に対して圧倒的な「数の優位」を達成する、これが田中さんのいう「多数派」なのだろう。氷河期世代にとって、最後の頼みの綱とも言える。多数派の意見を中心に動く民主主義が続く限り、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアが有するであろう圧倒的な武器だ。これにより、私たちの世代に有利な政策も社会保障も通りやすくなるだろう。しかしこの考え方は、数による威圧を肯定しているとも言えるので、いずれ老害と呼ばれるかもしれないが――。実際、すでに「根性論・昭和脳の団塊ジュニア」だの「俺たちは氷河期で苦労したのにお前らは…」的な上司、先輩がうざいという、そんな記事もちらほら見かけるようになった。 多数派であるチャンスを訴える田中さんは、これまで「世代による連帯」がまったくなかったことが失敗だったとして、それも伝えたいと言う。社会の変化は与えられるのではなく世代で掴み取るのだと。自分の個人的な興味の世界ばかりに生きてきた私には耳の痛い話だ。政治とは「あなたを幸せにしたい」ということだということは、同じく団塊ジュニアでもあるれいわ新選組の山本太郎氏が実践し、教えてくれている。是非はともあれ、意義ある行動だ。 田中さんのように政治を国政であれ、地方自治であれ実際に行動してくれるのは頼もしい。私は心臓疾患を抱えているので政治の激務には耐えられないだろうし、みな40代も過ぎれば徐々に傷病的、体力的な面でも脱落する。金銭的、家庭的な面で難しい人も多いだろう。ほとんどの人は現実にそうだ。しかし、実際の政治の場に代弁者のいない層はないがしろにされる、という現実を身にしみてわかっている。脱落者はなおさらだ。田中さんに限らず、政治を志し行動する人を世代として応援したいと思う。世代の連帯に失敗した私たちの反省と、この先の再構築のために。(文中一部敬称略)●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2020.01.19 07:00
NEWSポストセブン
郊外で夜も明るいのはヤンキーたちも群がるコンビニかファミレス(イメージ)
元ヤン47歳のプロパンガス販売店主が北関東の地元を離れる日
 大人になったら、お父さんと同じ○○屋になる。自営業の家の子どもなら、小学生くらいまでなら口にしたことがある将来の夢ではないだろうか。30~40代の就職氷河期世代からみると、個人商店であっても経営者の家の同級生はうらやましく見えているかもしれない。しかし、自営業の子どもたちも、親世代のようにうまくいかないと悩む人が多い。親世代と違ってうまくいかないことが多いとわだかまりを抱える彼らに対し、まだやり直せるという期待をこめて「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。今回は、元ヤンキーで父のプロパン屋を受け継いだ47歳男性が迎える人生の岐路についてレポートする。 * * * 北関東、国道沿いのファミレスで待ち合わせをすると、竹下竜二さん(仮名・47歳)が入ってきた。スラリとした長身でなかなかのイケメンであるが、上下のスウェットは色あせて毛玉が浮いている。彼は祖父の代からのプロパン屋で、差し出された名刺には「有限会社竹中燃料代表取締役」とあった。「親にだまされた。こんな目にあうならプロパン屋なんて継がなかった」 竹下さんは地元でも有名なヤンキー工業高校を1991年に卒業後、親の紹介でガソリンスタンドを経営する地元販売店に就職した。「車が好きなんだ。最初に勤めた会社はスタンドだったけど簡単な修理とかもしてて、俺も手伝ってた」 あとで見せてもらったが、なかなか気合いの入った中古のセルシオだった。維持費も保険もバカにならないだろう。 竹下さんは中学、高校とやんちゃだったそうだ。十代のころは警察の世話にもなっている。バイク泥棒や対立するグループとの衝突による暴行など。「あん時は高卒の就職なんて余裕だった。俺はコネでスタンドに正社員で入れてもらえたけど、あの時代、俺のバカ高校でも素行のいい奴は大手の工場とかに入れた。もっともヤンキーの親は自営業が多いんで、そのまま親の手伝いが自然だね」 団塊ジュニアでも1971年、1972年生まれは高卒ならバブル期だった。悲惨なのは大学に進学してしまった層であり、彼らは卒業時にバブルが弾けることになる。全員が就職氷河期のポスト団塊ジュニアと違い、個々の団塊ジュニアに氷河期に関する感覚の齟齬があるのはこのせいである。「学生時代も勤めてからも、30代までは最高に楽しかったよ」 竹下さんはこの通りのルックスなのでモテたそうだ。常に女の子はとっかえひっかえ、社会人になってからも地元の学生とヤリまくった。「ちょっとワルぶって車コロがして、背が高くてイケメンならいくらでも女は引っかかる。ヤンキードラマ観たりヤンキー漫画読んで勉強したよ」 1980年代はヤンキー文化真っ盛りである。漫画『ビー・バップ・ハイスクール』や『湘南爆走族』『ろくでなしBLUES』などが人気を集め、「ティーンズロード」「チャンプロード」といった暴走族雑誌がコンビニに並んだ。とんねるずがテレビで暴れまくったのもこの時代である。「スポーツが得意な面白い不良」という地元カースト上位を意識したキャラクターは、当時の青少年の世相を反映する形でバカウケした。「家出中の女の子ともつきあったよ。地元でグレた女の子や母子家庭の女の子とか、とにかくどんな女の子でもつきあえた」 1990年代までは、青少年の性におおらかな時代だった。テレクラ、ブルセラといった援助交際問題が本格化した1998年の児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(いわゆる児ポ法)成立、および1999年施行以前の話である。それまでは児童福祉法や都道府県の淫行条例で対応していたものの、現実には恋愛と売春、趣味趣向との線引きや表現の自由の問題もあり厳格には処されなかった。 今もそういう風潮は残っているが、団塊ジュニアが思春期だった時代はヤンキー、とくに地方は早婚が多く、現実には十代の性、十代の出産も珍しくはなかった。親世代も戦後世代、団塊世代なのでその時代の価値観のまま、性にゆるい家庭も多かった。そういう環境にいた竹下さんは、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた中卒の女の子と後先考えずに関係を結び、妊娠したので結婚したそうだ。「俺は上手いと思ってたんだけど、失敗した」 結婚してアパートを借りて独立したものの生活費を入れず車に金をつぎ込む竹下さん。両者のご両親の援助でなんとか暮らしていた若妻だったが、竹下さんの知らない間に別の男と深い関係になっていた。「あの女は顔さえよけりゃ誰でもいいんだ。あいつの親も元ヤンの大先輩でおっかないから仕方なく結婚したけど、とんだ女に引っかかった」 ひどいことを言うものだと思うが、竹下さんはこの辺の地元の男はこんなもんだと言う。女を殴るのも当たり前とか。そもそも偏差値50を越える高校が地元にないから、普通の頭をしていれば必然的に越境となる。同じ関東だが、私の生まれ育った野田市もそうだった。熱心なフェミニストの皆様はインテリや都市部の男ばかりを攻撃して、それより多数であろうこのような地方ヤンキー男子や田舎おじさんの話はなぜかしないし関わらない。気持ちはわかるが。「子供の親権は向こうが持ってったけど、一家で経営してた斫(はつ)り屋(※工事の時にコンクリートやアスファルトを削る仕事)が食い詰めて夜逃げしたんだ。どこにいるんだろうね」 養育費は最初のうちは払っていたが、そのうち払わなくなり、元妻、子どもと連絡がとれなくなって結局、払わなくて済んで助かったとのことだ。竹下さんによれば出来ちゃったや早婚のあげく離婚する仲間は多いが、誰も養育費なんてものは払っていないという。「偉い弁護士さんとか頭のいい人がガタガタ言ったって、別に刑務所入れられるわけじゃないし、そいつらが俺たちをシメに来るわけじゃないし」 40歳を過ぎても元ヤンは元ヤンだ。更正した者もいるだろうが、基本的なやんちゃぶりが変わらないのは私も生まれ故郷で実感する。都会の頭のいい人や偉い人が何を言ったって、地元で彼らは法を犯さない限り無敵だし、元ヤン気質こそが田舎で生き延びる道だったりもする。PTAでも子供会でも自営業の元ヤンが仕切り、土地を離れない限りは一生地域カーストの上位に位置する。竹下さんの土地では団塊ジュニアの中高不良文化がそのまま残っている。「東京で失敗したのか知らないけど、最近は地元に戻ってくる奴もいる。でも一度出てった奴なんか誰も相手にしないね。だいたい学歴だけの頭でっかちだし、キモいオタクだったりするし」 そう得意げに言ってのける竹下さんだが、いま自身の生活が危ういという。「親のプロパン屋を継いだんだ。親父が急死したんで、母親ひとりじゃ廃業しかない。親孝行のつもりで継いだのに、借金はあるし全然稼げてない、契約戸数も150くらい」 竹下さんは実家に暮らしていたのに実情を知らなかったそうだ。老夫婦だけならなんとかやれるくらいの規模で、配送だけ委託、その他の検針や簡単な修理、保全は親父さん一人でやっていた。プロパンガスの採算は地域や価格、契約内容でまちまちだが150戸では厳しいだろう。「それに親父が死んで俺が後を継いだ途端に契約解除しはじめる家が出てきた。親父との義理で契約してただけで、もっと安いとこに切り替えるってんだ。でも供給会社の卸値だって上がってるし配送コストもバカにならない。第二種販売主任者とか保安業務員なんて資格は俺でも取れたけど、肝心のお客が減る一方じゃどうにもならない。このままだと廃業だよ」 竹下さんは実家を手伝うことはあったが、基本的にガソリンスタンドの社員だったり、退職後は地元の小さな整備工場で働き、3級自動車整備士の資格を取って大手カー用品店の契約整備士をしていた。気ままな実家暮らしで車に金をつぎ込み、女の子と遊んで40歳を過ぎた。そして実家を継いだが、名ばかりの代表取締役で母が専務の典型的な三ちゃん営業(※とうちゃん、かあちゃん、にいちゃんの三ちゃん)ならぬ二ちゃん営業で、頼みの地元の元ヤンキー仲間も仕事となるとシビアな対応だ。「いっそ会社を潰して楽になりたいけど、地元金融機関からの融資がまだ残ってる。自動的に俺が会社の保証人なんでほんとに騙されたよ。おふくろは潰したくないと言うし、八方塞がりだ」 営業努力でどうにかなるものでもないと竹下さんは言う。実際そうだろう。オール電化や都市ガスの整備、ガスの自由化による競争激化は個人の努力の問題ではない。ウォーターサーバーなど多角化しても都市部と違い、田舎の反応はイマイチだ。 近年は自営業を継いだ団塊ジュニアにこうしたケースが目立つ。筆者が知る限りでも写真屋、電気屋、印鑑屋、文具屋、そして本屋……グローバリズムとネットを始めとする商形態の変化は、町の小さな店を駆逐した。家賃のいらない自己所有の店や上階を貸したりできるような年金暮らしの老夫婦でなんとかやっていける程度の話であって、働き盛りで金のかかる40代が所帯を切り盛りできるような規模でも収入でもない。団塊ジュニアにとって馴染みの業種が、あっという間に絶滅危惧種になってしまった。 ニッチな商才でうまくやっている二代目三代目もいるがそれはレアケースで、現に廃業が相次ぎ、旧来の商店街はシャッターばかりのゴーストタウンと化して久しい。逃げ切った団塊世代と違い、うっかり継いでしまった団塊ジュニア、竹下さんはその実情を知らないまま、活気のあった1980年代の地元と、自身の感覚のままに引き継いでしまった。「まあいろいろ資格は持ってるんで、自己破産してもどこかで働けると思う。その時は地元を出ることも考えるかな」 筆者はびっくりした。こういう人は地元愛が強いので離れることなど考えない、地元を出て働いたとしてもせいぜい近郊の工場で期間工だ。車で通える範囲内で、あくまで生活拠点としての地元は離れない。「だって潰したらかっこ悪いし」 そういうことか。なるほど狭い社会で失敗したら恥ずかしいということなら納得だ。地元ヒエラルキーの強者だった竹下さんならではの考え方だろう。竹下さんは背が高くて足が速くて喧嘩が強い者がもてはやされ、地縁血縁が物を言う世界の上位者だ。しかし50歳間近の竹下さんが言葉の通り東京に出るなら、経験したことのない都市リバタリアニズムの洗礼を受けることになるだろう。昭和の地方ヤンキー文化にどっぷり染まった竹下さんが、適応できるのだろうか。 私は地元に残ることをそれとなく勧めた。竹下さんが失敗しても、地元はそれほど気にしないと思う。よそ者ならともかく、代々溶け込んできた地元民には優しい。田舎はそんなものだ。本当に追い詰められたときの彼らの仲間意識の高さは、いくらネット民が小馬鹿にしても変わらないし頼もしい。マイルドヤンキーに関する社会学ではないが、令和の世になっても、その結束と地縁強さは変わらない。 もちろんそんな田舎も将来的にはグローバリズムの波に飲み込まれるだろう。竹下さんが20代なら別の生き方を勧める。だがもう47歳である。前向きに考えるならあと20年、地元でほそぼそとなんとかやって逃げ切る可能性のほうが高いだろうし当面は安全だ。 地元に残れず、いつまでもよそ者で根無し草となった私からすれば、そんな竹下さんが、マイルドヤンキーがちょっと羨ましくも思える。彼らからすれば、わざわざ東京でいらぬ苦労と競争ばかりに疲弊して、端からしくじっているのは私のほうかもしれない。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2020.01.06 16:00
NEWSポストセブン
結婚を諦めた40代男性、手取りが親の年金額より少なく嘆き節
結婚を諦めた40代男性、手取りが親の年金額より少なく嘆き節
 仕事のやりがいを給与だけに求めてはいけないが、あまりに給与が少なければ、情熱を失っても責められない。現在都内で塾講師をする40代男性のNさんは、30代の時に“ある事実”を知ったことをきっかけに、マジメに働く意欲を喪失。結婚などさらさら考えず、貯金も一切しない刹那的な生き方を貫くようになった。浪人も留年もせず、22歳で一流大学を卒業した彼に、いったい何が起きたのか? Nさんは東京の下町生まれ。両親の学歴は平凡で、教育熱心でもなかったが、ふとしたことで人生のレールは思わぬ方向に進む。Nさんが小学生時代を振り返る。「小学5年生の時、一番仲の良かった子から、『塾に通わなくちゃいけないから、もう遊べない』と言われました。彼とは毎日のように遊んでいたので、親に『ボクも○○君と同じ塾に行きたい』と言うと、あっさりOK。その流れで難関私大の付属中学を受験すると、友達は落ちて僕だけ合格してしまいました。そしてエスカレーター式に高校、大学と進みました」(Nさん。以下同) 結果的に、大学まではエリート街道を歩んだNさん。しかし時代の波が彼の人生を翻弄する。「大学4年生だった1999年は、就職市場が超氷河期で、思うような企業から内定がもらえませんでした。そこで思い切って司法試験に挑戦することにしましたが、これが大失敗。6回連続で落ちて諦め、講師としてバイトをしていた塾に就職しました。職歴なし、履歴書が空白だらけの私には、選択の余地などなかったのです」 給料は安かったが、生徒や保護者からの評判はよく、自分では“天職に出会えた”と思っていたというNさん。しかし数年後、母親の愚痴を聞いていると、衝撃的な事実が明らかになった。「父が定年を迎え、母が『これからは生活が大変だ』と言うので、年金をいくらもらえるのか聞いたところ、その金額に絶句してしまいました。父がもらう年金支給額は、私の手取りよりもずっと多かったのです。その瞬間、頭の中でポーンと何かが弾けて、すっかりすべてのことに対してやる気がなくなりました」 Nさんの父は、輸送系企業の整備士。その会社は後に業績が傾き、企業年金の行方が世間の注目を浴びることになるが、その当時は羽振りよくOBに年金を払っていた。マジメに働いても、手取りが父の年金にも届かないという現実は、Nさんのプライドを酷く傷つけた。「父は工業高校卒でしたが、色々なつてをたどって大手企業に潜り込みました。しかし、私の時代は大卒時に一流企業に入れなければ“おしまい”です。卒業する年の就職状況が良いか悪いかは、自分ではどうにもならないギャンブルのようなもの。競馬やカジノなら賭ける場所は自分で決められますから、ギャンブルの方がまだマシかもしれません。 大学の同級生に話を聞くと、『バブル世代の上司に散々こき使われたのに、いざ自分が部下を抱える身になったら、何をやっても“パワハラ”になる』と嘆いています。本当に損な年代だと思います」 かくしてNさんは、「自分で稼いだ金ぐらいは自分で使いたい」と、結婚する気はまるで無くなった。すべてを時代のせいにするのは後ろ向き過ぎる気もするが、両親はそのあたりの心境も理解してくれているのか、「結婚しろ」という類のことは一切言わないそうだ。
2020.01.01 16:00
マネーポストWEB
今は地元の図書館で非正規司書として働いている(イメージ)
受験勝者だったはずの43歳男性が地元で非正規司書になるまで
 地道に努力をすれば、せめて自分の親と同じくらいには落ち着いた生活を送れる大人になれると思っていたのに、気付けば色々なことがうまくいっていない。そんなわだかまりを抱えさせられた30~40代の就職氷河期世代に対し、まだやり直せるという期待をこめて「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。日野氏が今回、取り上げるのは、地元の図書館で非正規の司書として働く43歳男性だ。大学卒業後、本に関わる仕事をしたいと様々な職を経ながら、一貫して学歴にこだわる43歳の本音をレポートする。 * * *「僕は大学受験の勝者だったはずです。いまの時代に生まれてたら大企業も公務員も思うがままのはずだったのに、生まれた時代だけでこんな目に遭うのってあんまりじゃないですか?」 君野直也さん(仮名・43歳)は酔いが回ってきたのか、いい感じに愚痴りだした。新宿の筆者が贔屓にする飲み屋、君野さんとは彼がある編集プロダクションに勤めていた時代に何度か来ている。「とにかく本が好きなんです。本に関わる仕事がしたかった」 君野さんは編プロに務める前は書店員をしていた。編プロは1年で退職、現在は某市立図書館で長年、1年更新の非正規司書をしている。「大学卒業時は就職氷河期真っ只中でした。私のように国公立(大学)を出ている人でも就職浪人や非正規職、あまりに理想とかけ離れた会社などに就職せざるを得ない状況でした。悪夢の始まりです」 北関東の名門公立高校に入学した君野さんは人一倍勉強家だ。何時間勉強しても苦にならなかったし、勉強が楽しかったと言う。その意味ではがんばり屋さんである。「小中と学年で上位でした。うちは母子家庭で裕福ではなかったから、私立なんて行けない。高校受験は滑り止めの私立も受けましたが学費のいらない特待生としてでした。でもそこは地元でも評判の悪い私立高校で、近所で自転車が盗まれればまず疑われて校内の自転車置き場を捜索されるような学校です。絶対行きたくなかった。意地でも公立高校に合格しようと努力しました。母親も金が無いなりに応援してくれました」 内申点も良かったのだろう。努力の甲斐あって見事に名門公立高校に合格する。しかしそこで待ち受けたのは県内から選りすぐられた秀才たちだ。「1年の中間テストで早くも打ちのめされました。努力でやっとの私と、努力でもっと上に余裕で行ける連中、さらに努力せずともトップを競う連中との差です。思い知らされましたね」 それでも君野さんはめげること無くコツコツと勉強を続けて挽回、学年で中位を維持し続けた。「家が狭い団地だったので、勉強は図書館でした。広くてエアコンもある。うちはエアコンありませんでしたから、夏は快適でした」 そこで出会ったのが読書の楽しみだった。勉強も兼ねて一石二鳥だった。「小説をたくさん読みました。とくに好きだったのは歴史小説。司馬遼太郎とか吉川英治とか、当時流行ってた津本陽や城山三郎なんかも読んでました。それから漠然と本に携わる仕事がしたいと思い始めました」 君野さんの大学受験は1993年度、ピークは過ぎたとはいえ今とは比べ物にならない倍率の激戦時代だ。「本当は文系3教科ならもっと上の私大に行けたと思いますが、うちはとにかく金が無かった。奨学金も考えましたが勉強を優先したいので、地元の国公立大学を受験し、現役で合格しました」 学歴を語るときは“国公立”と“現役”を常に強調する君野さんだが、進学したのは地元の公立大学である。嘘は言ってないしそれでもたいしたものだが引っかかる。確かに大学名を言っても地元の人か大学に詳しい人でないと知らないマイナー公立大だ。「お金さえあれば早稲田の社学(社会学部)や人科(人間科学部)、二文(第二文学部、現在は廃止)なら受かったでしょうね。MARCH(※マーチ、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の頭文字から)も学部を選ばなければ余裕でしょう。でもお金がなかったし、国公立のほうが地元では評価が高いですから」 大学受験と縁のなかった筆者にすれば拝聴するしかないが、40歳も過ぎてこういう話を聞かされるのは違和感だ。取材関係なく、彼は以前も大学受験やランキングの話をした。 そう、君野さんはいわゆる学歴マニアなのだ。「就職は完全に氷河期でした。山一ショック(※1997年11月に山一證券が経営破綻したことで起きた不況)真っ只中ですね。私はマスコミ、出版に絞って就職活動をしましたが全滅でした。国公立なのに、うちの大学の就職実績はひどいものでした。社学や人科でも早稲田に行っとけばと悔やみましたよ。出版は早稲田閥でしょう」 確かに出版関係者に早稲田OBは多いが、それだけで出版社に入れるわけでは当然ない。君野さんは悪い人ではないのだが、学歴の話となると不躾でいろいろズレている。編プロでもこの悪い癖が出て専門学校卒の上長に嫌われた。「就職浪人なんてとても出来ないので、出版に近いということで書店も受けました。それで入社したのが、関東を中心に展開していた中堅書店チェーンです」 しかし君野さんが望むような仕事はなかったという。「街道沿いの書店に配属されましたが、本を扱うというだけの肉体労働、小売りです。大量の本を運ぶから腰は痛めるわ、レジで立ちっぱなしだわで最悪でした。うちはビデオレンタルやゲームの販売もしていたので本屋さんなのかビデオレンタル屋さんなのかゲーム屋さんなのか自分でもわかんなくなりました。社員もバイトもあまり本好きはいなかったと思いますし、ビデオやゲームは客筋が悪くてガキもむかつく。万引きはしょっちゅうでした。山積みになったエロビデオをレンタルケースに差していると、名門公立高校から国公立大学まで出て俺は何をやってるんだ、と頭がおかしくなりそうでした」 それは露骨に態度にもあらわれていたのだろう。どの店でも厄介者扱いだった。それでも母親のために3年勤めたという。母子家庭の君野さんにとって母親は特別だ。こんな君野さんだが、40歳を過ぎたおっさんの今も変わらず愛してくれている。当時も悲しませたくなかったそうだ。しかし同僚にも客にも我慢の限界と退職した。「2001年ごろでしたね。あのまま書店の店長なんてまっぴらですよ」 実は君野さん、その書店時代に小説を書いて新人賞に応募したこともあったという。「かすりもしませんでした。そっちの才能はないですね」 こうして書店を退職した君野さんは出版社の中途採用も受けたが、ことごとく落とされた。「やっぱ東京に住んでないと駄目みたいで、書店時代に貯金もしていたのでその金で上京しました。母親を置いてくのは辛かったですが、理解してもらいました」 君野さんは上京して、あんなに嫌がっていたビデオレンタル店のアルバイトをしながら求職活動を続けた。未経験の君野さんは出版社の非正規やアルバイト、編プロに絞って受け続けた。そこで入社できたのが件の編プロである。「大手出版社の歴史系の分冊本とか手掛ける編プロでした。歴史好き、本好きの私にぴったりの仕事だと思ったんですが…」 未経験の君野さんだから仕方のない話だが、編集者の仕事をよくわかっていなかった。編集者が原稿を書くことはあるしエンタメやサブカルなどは嫌でも書かされる場合もあるが、徹底してまとめ役としての編集者の仕事に徹する出版社、編プロもある。君野さんが入った会社は後者だった。ところが君野さんは小説で挫折したと口では言いながら諦めきれないのか、作家のように書きたかったという。「ひたすらDTPで割付して、ライターのテキストを流し込んでの地味な作業なんですよね。奥付に編プロの社名は載っても私の名前は載りません。それ以上に驚いたのが労働時間、自分の時間なんてまったくない。連日の徹夜で給料は手取り15万、これじゃビデオレンタル店のバイトと変わらないどころか、時給計算したら半分以下ですよ」 筆者は知り合った当時も新人なのにこのような姿勢の君野さんを不快に思ったが、まあ君野さんはこの業界に向いていなかったということだ。労働条件の問題はともかく、地味な仕事も編集者の大事な仕事である。君野さんはあまりにプライドが高く、そのプライドで損をしていることに気づいていない。もし母子家庭の貧しい家に生まれてなかったら、就職氷河期に苛まれなければ、もう少し余裕のある大人になったかもしれないが、どうだろうか。「結局地元に戻りました。母親は喜んでくれましたが、仕事を探すことになりました」 そこで君野さんの目に止まった求人が、市立図書館の嘱託司書の募集だった。大学時代、本が好きだからと司書の資格を取っていた君野さんは飛びついた。「母校の国公立は地元受けがいいんで、すぐ採用されました。時給も悪くないし残業もほとんどない。仕事も勤め先も聞こえは悪くないですからね」 コツコツと決められたことをこなすことが苦でない君野さんに司書の仕事は合っていた。接客といってもペコペコ頭を下げるわけでもなく、営業活動もノルマもないルーティーンはプライドの高い君野さん向きだろう。ただし正規職員なら。「いつまでも正規職員にはなれず、時給もほとんど上がりません。仕事そのものは正規職員と変わらないのにボーナスもなく、ずっと嘱託のままです」 公務員試験を経て配属される正規職員はもちろん年下だ。いまやベテラン扱いの君野さんだが、いつの間にか40歳過ぎの非正規おじさんになってしまった。とくにその中の一人が気に入らないらしい。「そいつ、聞いたこともない私大出なんですよ。昔と違って競争率も低いし枠も広い。時代が違うだけでこんな目に遭うなんて理不尽過ぎます。私は不安定で低収入のまま結婚も出来ず、年老いた母と生まれたときから住んでる団地暮らしのまま。いい高校、いい大学を出てるのに」 もうカウンターに突っ伏して酩酊状態だ。久しぶりの東京、他人に愚痴る開放感も手伝ったのだろう。君野さんは地元のショッピングモールで小中学時代にいじめられたヤンキーやバカにしていた三流私大卒の同級生が子供連れで楽しそうに歩く姿、フードコートで食事をする姿がたまらなく嫌だという。声をかけられた時には知らんぷりして逃げたそうだ。そんなことも手伝って休日はもっぱら団地の自分の部屋に閉じこもり、一日中ネット三昧だという。 匿名掲示板の創世記から低学歴を叩き、質問サイトで私大を貶めて味噌もクソも国公立を勧め、早稲田より国公立と強弁して10ウン年、相対的かつ競争、勝ち負けでしか幸せを感じることの出来ない君野さん、かわいそうだがこのまま年老いて、最後は一人ぼっちかもしれない。 だが今なら間に合う。君野さんには幸いにして母親がいる。これまで無償の愛を与え続けてくれた母親だ。毒親も多い中、これほど母親に愛されている、関係の深い君野さんは幸せだ。その小さくとも絶対的な幸せに気づくことが出来るならば、君野さんはまだ変われる。君野さんなりの幸福を獲得することができる。大の男がいい年して母親なんてと思うなかれ、母親を自慢できるなんてむしろかっこいいじゃないか。その気づきを大切にできるなら、その先に新たな、君野さんにとっての大切な他者も現れるだろう。相対的ではない、身近な絶対的幸福に気づくことこそ、私たち世代を救う道筋なのだから。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2019.12.30 16:00
NEWSポストセブン
11月14日、青葉真司容疑者は京都市内の病院へ搬送された(時事通信フォト)
「しくじり世代」が京アニ放火男へと堕さないために必要なこと
「しくじり世代」とは、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアに対して近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏がつけた呼び名だ。彼らは1993年~2004年頃のバブル崩壊後の新規採用が特に厳しかった時期に新卒を迎えた就職氷河期世代であり、30~40代になった今も非正規雇用、なかでも正規を望んでいるのに叶えられずにいる割合が高い。総務省の労働力調査によれば、35~44歳人口は1679万人、そのうち非正規雇用は28.8%にものぼる。その、しくじり世代のひとりが、未曾有の大惨事となった京都アニメーション放火事件の容疑者だった。みずからも「しくじり世代」である日野氏が、容疑者のしくじりから、30~40代の生き延び方を考えた。(文中一部敬称略) * * * 2019年7月18日、京都アニメーション第一スタジオに押し入り放火、36人もの日本が誇るクリエイターたちの命を奪った青葉真司。 彼は全身の90%もの火傷を負いながらも、近畿大学医学部附属病院熱傷センターが誇る最先端の医療技術によって生き長らえた。 34人の死亡後、2名が別の病院で入院中に亡くなられたことを考えると青葉の命拾いは納得いかないが、青葉は病院で「こんなに優しくされたのは初めて」などと泣いたという。別に青葉の命が大事なのではなく、青葉を被疑者死亡で幕引きさせないため、そして責任を取らせるためであり、私からすればこれだけのジェノサイドを実行しておいて、どこまでも自己本位かつおめでたい性格としか思えない。 青葉は犯行時41歳。1978年生まれの氷河期世代にあたる。私は1972年生まれ、私も仕事で何度かお会いした京アニの犠牲者の一人、武本康弘監督も1972年生まれの同学年だ。 拙著『しくじり世代』は奇しくも本事件と同年同月に刊行された。1971年から1981年生まれの団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアを取り上げたノンフィクションで、同世代の青葉と重ねて紹介されたこともある。今年1月の野田小4虐待死事件の父親が41歳、6月に家庭内暴力と引きこもりのあげく農水事務次官の父親に殺された息子が44歳、9月の東名あおり事件のエアガン男が40歳と、注目の事件に同年代が続出したことも手伝ったのかもしれない。前年には41歳のブロガーが43歳の無職にネット上の揉め事で刺殺されている。 私にとっての団塊ジュニア・氷河期世代のキーワードは「競争」である。 人口過多による過度の競争は団塊ジュニアを受験戦争、就職戦争に駆り立て、ときに他者を蹴落とし、ときに他者によって蹴落とされた。今とは比べ物にならないほど少ない大学の数に比しての受験人口の多さから大学受験は狭き門となり、偏差値50程度の高校なら大学全落ちの合格大学ゼロは当たり前、苦労して入っても卒業時にはバブルははじけ、就職氷河期となっていた。運良くそれを乗り越えた者も四大証券のひとつだった山一證券が自主廃業を決めたことにより起きた山一ショック(1997年)、米孤高の投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに始まった世界規模の金融危機リーマンショック(2008年)と相次ぐ淘汰の波に晒された。「しくじり世代」のしくじりとは、自己責任ではどうにもならないことの積み重ねで起きたものが多い。仕事、恋愛、結婚など、子供のころに大人たちから「真面目に普通にしていれば手に入れられる」と聞かされていたのに、まったくそうはならなかった。連なる不運に見舞われ挽回の手段をつかむ競争も熾烈で、そこでも失敗して「しくじり」を重ねる結果になった人も多い。普通が普通でなくなったことでしくじらされたというわけだ。もちろんこれは自己認識の問題であり、本書の登場人物は「全然しくじってない」という意見もあったが、それは当然で社会保障、福祉の範疇に当てはまるような方々は入れていない。それは世代に関係なく一定数存在するはずで、世代論をあいまいにしてしまうのであえて外している。 ドキュメント『しくじり世代』には、そうした競争世代の中で蹴落とし、蹴落とされ、そしてしくじったサバイバーが15人登場する。もうおじさんおばさんだというのに競争を、上昇志向をやめない団塊ジュニアの叫びである。地方名門公立高校や有名大学を出たにも関わらず、就職や結婚という旧来当たり前とされたレールに乗ることが出来ずに脱線した連中や、あるいは青春時代に底辺高校でヤンキー文化に染まり、いまだに一発逆転を夢見ているような連中である。 青葉はその一発逆転を夢見た後者にあたる。私は拙著『京アニを燃やした男』で青葉の出生から今回の愚行までの生涯を追ったが、彼は端から団塊ジュニア上位による競争とは無縁の「非正規」人生である。非正規、これも団塊ジュニアの重要なキーワードであり、その中の一人が青葉である。 青葉は生まれながらの殺人鬼ではない。埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれ、貧しい父子家庭ながらも地元の定時制高校に通い、高校卒業まで役所の臨時職員で家計を支えた。しかし役所は派遣会社を使うことになり青葉は雇い止めをくらい、卒業後は春日部市のアパートに一人暮らし始め、時給のいいコンビニの夜勤で働いた。そして労働者派遣法の規制緩和による派遣全盛期に実入りのいい派遣の道を選んだ。しかしリーマンショックによりバブルは弾け、食い詰めた青葉は再婚して地元に戻っていた母親を頼り、ハローワーク経由で雇用促進住宅に入居、2009年ごろ、郵便局で非正規のゆうメイトとして働く。 職選びに関しても青葉は見事なほどのしくじりぶり、団塊ジュニアの負け組における典型的な転落の地雷をこれでもかと踏み続けている。 いつしか青葉は一発逆転を夢見て小説を書き始める。青葉はワナビであった。 ワナビとは、英語のスラングwanna be、want to be(~になりたい)をあえてカタカナ表記した言葉で、「何者かになりたい」人のこと、とくに作家志望者のことを指すネットスラングのひとつだ。ここでいう小説とは純文学や一般小説ではなく、いわゆるライトノベルのたぐいである。 青葉は2012年にコンビニ強盗で逮捕された後に収監された刑務所内でも書き続け、出所後に京アニの賞に応募、それがパクられたと思い込み、今回の事件を引き起こす。青葉の夢は「大金持ち」であった。コミックほどではないがラノベにも一獲千金の夢がある。もっと下の世代なら動画投稿者など他のネットを中心とした手っ取り早い一発逆転を考えそうなものだが、あくまで作家として王道の受賞デビューを目指した。この辺、昭和の残滓である団塊ジュニアならではの旧来価値観から抜け出せない愚直さが青葉にはある。というか基本的に不器用だ。『京アニを燃やした男』でも当時の同級生から話を聞いているが、青葉はジャンプを読み、ファミコンに興じ、ガンプラを作る、1980年代の典型的な団塊ジュニアのどこにでもいる少年であった。この点で私たちと何ら変わることはない。背が高くスポーツも得意だった。貧しかったといっても社会保障的な貧困と定義するほどでもない。しかしバブル後の社会に高卒非正規で放り出され、長きにわたる氷河期によってしくじり続け、今回の事件に至った。 この青葉の帰結は極端だが、私たちもバブル崩壊後に放り出され(高卒の団塊ジュニア1期は違うが)、今や大なり小なり差が出来た。「サザエさん」のマスオや「クレヨンしんちゃん」のひろしはギャグ漫画の立ち位置として可哀相なサラリーマンのお父さんだったが、いつしか「勝ち組」と呼ばれるようになった。団塊ジュニア・氷河期世代には当たり前の正規職も、当たり前の結婚も、当たり前の我が子もいない層がひしめいている。下手をすると肉親とも疎遠で孤独の中かもしれない。 青葉も高校を卒業してすぐ、父親が自殺したあげく兄弟はバラバラ、孤独の中で40歳を迎えた。40歳といえば正社員のサラリーマンとして毎日満員電車に揺られ、うるさい妻がいて、生意気な子がいて、小さなマイホームにマイカーくらいはあって当たり前と私たち団塊ジュニアは思い込んでいた。いや、むしろそんな平凡な人生に落ち着くのは嫌だったかもしれない。だが、いまやすべて揃えるのは高値の花となってしまった。平凡でつまらないと思い込んでいた自分の親すら越えられないなんて! 残念ながら、旧来の成功価値観としての挽回は無理な人もいるだろう。それは匿名掲示板で学歴マウントやヘイトを垂れ流したところで解決などしない。「しくじり世代」もそんな大人こどもだらけである。何度も書くが、もう40代のおじさんおばさんなのに。 青葉は間違いなく私たちと同じ団塊ジュニアであり、結果の特殊性はともかく、多くの同世代とともにしくじった氷河期世代である。同じにするなと言うかもしれないが、現実である。 それにしても、しくじりの真の恐ろしさは孤独である。昨今は孤独礼賛の向きもあるが、とても恐ろしいことだ。 なぜなら、こんなしくじり続けた青葉にも寄り添う者はたくさんいた。面倒を見続けた母親、保護司やスタッフ、定時制の先生たち、瀕死の火傷から救ってくれた医療スタッフに「こんなに優しくされたのは初めて」などと言う前に、すでにいたはずの彼らに気づけなかったこと、その未熟な社会性と感受性の欠如こそが、責任を転嫁し続けた不遜な被害者意識による孤独こそが妄想を生んだ。 孤独は時にローンウルフを生み、結果京アニ事件のようなジェノサイドすら生み出す。これは私たち団塊ジュニア・氷河期世代にとって他人事ではない。もう私たちは40代、先は長くない。しかしまだ40代、これから中高年、高齢者として折返しの地獄を経験することにもなる。団塊世代と同じように、その数の多さと少子化による人口ボーナスを享受する老人として非難や蔑視を集めるエイジズムの対象となるだろう。 そして、これからもしくじりは待ち受ける。その地獄はもはや社会に対する転嫁や若いころの恨みつらみで乗り越えられるような試練ではない。ましてや団塊世代ほどの世代連帯もなく、手厚い年金も望めないであろう私たちは、このままでは改めてしくじった者から順に各個撃破されるだろう。 青葉の末路は特殊だが、青葉の歩んだ時代は私たちそのものである。だが私たちは青葉になってはいけない。独りよがりの孤独は私たちにも必ずいるであろう良き肉親、良き友、良き他人に気づき、時に頼り、時に感謝することできっと乗り越えられる。そのような他者は誰にでも必ず存在する。私たちがしくじるとするなら、それに気づいていないだけなのだ。これまでしくじったとするなら、それに気づけなかっただけなのだ。そんなことでと思うかもしれないが、シンプルな幸せを忘れたところにしくじりがあるのだ。それならそれでしくじりを認めよう。認めた上で先に進もう。 そして団塊ジュニア・氷河期という困難を生き抜いてきたことに誇りを持とう。偏差値の輪切りや昭和のルッキズムで比べられ続けた私たちは、今こそ自身の幸福を絶対視しよう。無意味なマウントや競争、くだらないヘイトをやめて相対的な自己ではない、絶対的な自己、幸福を求める先に、私たちしくじり世代の落ち着きどころがあるのだから。 もう団塊ジュニアが団塊ジュニアを殺す光景はまっぴらごめんだ。●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。
2019.12.21 16:00
NEWSポストセブン
アンダーヘア脱毛 産婦人科医の間では賛否両論も
アンダーヘア脱毛 産婦人科医の間では賛否両論も
 近年、女性の間でブームになりつつあるのがアンダーヘアの脱毛だ。週刊ポストが2019年に、20代から40代の女性300人を対象に行った調査では、およそ3分の1(105人)の女性が何らかの形でヘアを処理していることが明らかになったが、アンダーヘアは不要なものなのか? 丹羽レディスクリニック院長の丹羽咲江氏が解説する。 * * * 人類の祖先ホモ・サピエンスは全身が毛で覆われていましたが、氷河期以降の進化過程でほとんどの体毛がなくなりました。そして脇や股間の体毛が残り、人間はほ乳類中で唯一、陰毛を持つ生物になったのです。「なぜ陰毛が残ったのか」という疑問には、私も日本性科学連合性科学セミナーで「陰毛脱毛の捉え方と性」について発表したことがあります。理由のひとつとして、陰毛は“生殖準備が整った成人の証”とされ、視覚的に異性に認識させるべく思春期後に生えるものだという説が挙げられます。もうひとつは“陰毛は発情期のない人間が、異性を引き寄せるフェロモンを染みこませるための重要なパーツ”であるという説です。 性器周辺のアポクリン汗腺が発生させる分泌物は、分泌当初は無臭ですが、時間が経過すると匂いを放ちはじめます。縮れ毛の陰毛は直毛よりも多くの空気を絡め取り、匂いの元となる菌を増殖させることで、匂いをこもらせるのです。昨今では、匂いの発生源を絶ち清潔を保つ風潮があり、妊娠や出産に備えた“妊活脱毛”や介護を見据えた“介護脱毛”なる動きからアンダーヘアの脱毛が盛んになっています。 この動きには産婦人科医の間で賛否両論があります。特に50代以上の産婦人科医からは「陰毛は性器周辺のクッションとなり摩擦で外陰部の肌が荒れたり出血するのを防ぐ役割がある」などの意見が多い。一方、若年層の産婦人科医からは 「陰毛が性行為中に膣に入り込んだり、ムレやかぶれの原因にもなるので、(陰部の両サイドに当たる)Iゾーンは不必要」という意見が多いようです。 私も後者の意見には賛成で、Iゾーンと肛門周辺のOゾーンの陰毛は現代の生活環境においては不要だと考えています。私自身も数年前にIゾーンだけでなくOゾーンの医療脱毛を済ませました。しかし同じ陰毛でも両脚の付け根にあたるVゾーンは、生殖準備が整った大人の証として、そしてフェロモンを放つパーツとして残しておくことが良いのではないかと思います。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.10 16:00
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