ノートルダム清心学園理事長を務めた渡辺和子。父の最期を語り続けた(時事通信フォト)
実際、同書では、2月26日未明に渡辺邸前に集結した兵士たちが、正門を乗り越えて押しかけた場面が紹介されている。それは、まさに問答無用の襲撃だった。
〈(渡辺邸の施錠された)門内に既に二名の兵が入り、開門せんとしあり。(女中が)「誰方(どなた)様ですか」と問いしに、何とも云わず。開門し、多数の兵が門内に入り、玄関の扉を把手を持ちガタガタ押し開かんとす。 更に「誰方ですか」と問いしに、其の付近に在りし兵が殆ど全部拳銃を此方に向け、後方にて「誰もくそもあるものか」と云うものありし〉(渡辺錠太郎関係文書)
このあと、施錠された玄関に向けて軽機関銃が掃射され、渡辺大将は惨殺された。
渡辺錠太郎は、もしその後も生きていれば日本が「戦争に突入しないで済んだのではないか」(新聞記者・高宮太平の言葉)とまで言われた一人だった。二・二六事件は、その意味でも日本にとって取り返しのつかない損失をもたらした事件だったといえるだろう。