ウイルスがもたらす混乱は「恐慌」へと至りつつある。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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どこまで行けば収束するのか、まったくわからなくなってきました。新型コロナウイルスは世界中で猛威をふるい、社会も経済も大混乱に陥っています。東京オリンピックパラリンピックの開催も、危うい状況になってきました。私たちひとりひとりも、メディアやSNSに飛び交う情報に振り回されて、ある種の興奮状態にあると言えるでしょう。不安を紛らわせたいのか、ネット上には怒る理由や叩く対象を探しまくっている人が、いつも以上にたくさん湧き出ています。
批判は大事ですけど、罵倒や揚げ足取りに精を出したところで不安は解消されません。自分にできることを粛々とやって、何はさておき気持ちを落ち着かせましょう。興奮の渦に巻き込まれないために有効なのが、今の状況を俯瞰した目で見てみること。
「そんなノンキなこと言ってる場合か!」という声が飛んできそうなのは重々承知の上で、新型コロナウイルスをきっかけに、私たちが貴重な「疑似体験」をしていることに着目してみましょう。話には聞いていても、今まではあまりピンと来ていなかった感覚の一部をリアルに味わえています。
図らずも実感できているのは、太平洋戦争中の日本を覆っていたという「非常時」の空気。当時、国がさかんに唱えていたスローガン、じゃなくて標語には、今の日本の状況に何となく当てはまるものがたくさんあります。たとえばこのあたり。
「ぜいたくは敵だ!」
「欲しがりません勝つまでは」
「パーマネントはやめませう」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「見えざる敵を防げ」
「権利は捨てても義務は捨てるな」
「鬼畜米英」
「神州不滅」
もちろん、戦争とウイルスとの戦いをいっしょにするのは無理があります。しかし、追い詰められた状況になった「非常時」に、国が何を言い出すか、社会がどんな雰囲気になるかは、どうやら共通する部分が多々あります。