二人が出会った1年後、互いの句に、エッセイと写真をからめて『カキフライが無いなら来なかった』にまとめた。せきしろは何人もの編集者に企画の売り込みを続けたという。
「自分で誘ったので、僕が何とかしないとな、と。ずいぶん、いろいろなところで断られましたね」
又吉はこう感謝する。
「これが僕にとって最初の本。これによって、こいつはエッセイとかも書けるんだって思ってもらえて、活字の仕事が増えてきた。この本がなかったら、まだ、一冊も本を出してなかったかもしれない。自由律は僕にとって、基礎トレーニングみたいなものでしたね」
タイトルは、せきしろが二人の句の中から選んでいる。第1弾のタイトルは、又吉がせきしろに初めて送った約100句の中に入っていた句でもあった。せきしろが感慨深げに話す。
「これまでずっと一人でやってきたので、この句を見つけたとき、ようやく仲間を見つけたような気分になりましたね」
第1弾が好評を博したことで、翌年、第2弾となる『まさかジープで来るとは』を出す。そこへいくと、第3弾は約10年ぶりの刊行だ。この間に心境に変化が表れていると又吉は自己分析する。
「俳句をやり始めたのが28歳のときで、もうすぐ40歳になる。僕にとって、この十何年は大きいですね。最初の頃、せきしろさんに『大丈夫だから、死ぬなよ』って励まされてたんです。それくらい悲壮感が漂っていたみたいです。でもいま、当時のせきしろさんくらいの年齢になって、後輩を見てると、こういう感覚やったんやなというのがわかるようになった」
第1弾から第3弾まで、タイトルにすべて「来」の字が入っているのは、ほんの遊び心だ。せきしろが明かす。
「1冊目と2冊目は偶然です。3冊目はちょっと寄せてみました」
いずれも掲載する句を選ぶときは3分の1くらいに減らすという。溜まったボツ作品は優に1000を超える。せきしろが、採用か不採用を決める基準は「直観」だ。