中止決定の翌日、改めて田名部氏に話を聞いた。
「1995年のセンバツも、阪神大震災の影響で中止が検討された。しかし“球児のプレーで地元を勇気づけられれば”と開催を決断した。しかし今回は、大会をやればそれが不安の拡大につながってしまうかもしれない。感染リスクを完全には防ぎきれないという専門家の意見を受け入れた。開催に向け慎重に準備していたが、断腸の思いです」
中止会見では、球児への救済措置を設ける意向も示されたが、具体策は明らかになっていない。史上初の開催中止は、高野連のあり方にも一石を投じるものとなった。
※週刊ポスト2020年3月27日号