その要因は、カーソンは「知性」にのみ訴えたが、トランプはそれ以外のすべてに訴えかけていたことにある。あらゆるファクトが示すのは、トランプが間違っているという事実だ。しかし、現実にはトランプの訴えのほうが人々の心に突き刺さる。
エビデンスよりも、刺激的な言葉と「果敢な行動」が人々の感情を突き動かすことがある。分断されているからこそ、相手側からは見えていないものがある。
ニューズウィーク日本版「百田尚樹現象」を昨年の5月に発表して以降、リベラル派からは直接、間接的に「絶対に買わない」「百田なんか無視すればいい」「取り上げた時点で百田を持ち上げているのと同じだ」「なぜもっと批判しないのか」という声が大量に届いた。
私からすれば、すべて間違っている。百田尚樹現象と名付けたように、彼の著作や言葉には一定の支持者がおり、それは社会現象と呼べるものになっている。表層的な批判は同じ考え同士で溜飲を下げるのにはいいが、理解には役に立たない。それだけでは分断は深まるだけだ。
彼の一言は少なくない影響を及ぼす。だからこそ、そこにどのような意味があるのかを直接の取材をもって分析すること。ある人々には見えていないものを言語化し、可視化することが求められているのではないだろうか。