「私の考えでは韓国人差別はありましたし、よくない炭鉱でした。同じように来た韓国人で逃亡する人がいて、その人間の代わりに私達が暴力を受けることがよくありました。同じ区域から来た韓国人が何人も逃亡していたので、代わりに私達が制裁されるのです。
しかも私達には小遣いも、給料も一切ありませんでした。一切受け取っていないのです。私が知っている部分だけで言うと、日本人には自由があったが、韓国人には一切の自由が認められませんでした。日本語は簡単な挨拶程度しかわかりませんでした。とにかく酷く虐められるので、やがて韓国人だけで集まるようになりました。
広島、長崎に原子爆弾が落とされたとき、私達が長崎に手伝いに行くという話もありましたが、自分達は行かないと決めていました。天皇の玉音放送のことは3日後に、日本人から聞かされました。敗戦宣言ですね。やっと解放された、という気持ちでした。
徴用工の時代は奴隷労働みたいな状況でした。いちばん辛かったのは、いつも腹が減っていたことです。韓国に比べて日本で出されるご飯は、全てがひもじいものだった。労働も苦しかった、全てが苦しかった。家族に再会したときは、涙の海でした」
やはり苦しい経験だったのだろう。李基賛氏は少し険しい表情になり回想を続けた。しかし、李基賛氏の最後の言葉は意外なものだった。徴用工問題は「韓国政府がまず解決案を示すべきだ」と私に語ったのだ。
「私はいま1年間に80万ウォン(約8万円)を韓国政府から受け取っていますが、これはとても少ない額だと思います。やはり辛い経験をしたのだから補償はきちんとして欲しい。韓日請求権協定があって、それ(日本政府が支払った無償3億ドル)をきちんと被害者のほうに振り向けてくれればいちばんいいと私は思っています。(日本企業に元徴用工への支払いを命じる)韓国大法院判決については、それで全体が解決するならいいけど、数人だけの解決でしかないから同意は出来ません」
※赤石晋一郎・著『韓国人、韓国を叱る』(小学館)より一部抜粋