望月氏の論文(時事通信フォト)
◆350年間解けなかった難問
歴史に残る偉業を達成した日本人数学者は、望月氏ばかりではない。明治生まれの数学者・高木貞治は、「現代数学の父」ダフィット・ヒルベルトがまとめた当時未解決の23の難問の一部を世界で初めて解き、“数学のノーベル賞”にあたる第1回フィールズ賞の選考委員に選ばれた。
そのフィールズ賞を1954年に日本人で初めて受賞したのが、複素数に関する新理論を展開した小平邦彦だ。以来、これまでに3人の日本人受賞者が誕生している。
ABC予想と並ぶ整数論の超難問「フェルマーの最終定理」の証明にも、日本人の天才数学者が一役買っていた。
「フェルマーの最終定理」とは、「自然数nが3以上の時、xのn乗+yのn乗=zのn乗となる自然数(x、y、z)は存在しない」というもの。17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが提示し、350年以上もの間、世界中の数学者が証明に挑んだ。
1995年にプリンストン大学教授・アンドリュー・ワイルズ氏の手で証明されたが、その源流は、日本人の数学者・志村五郎が、早逝した盟友・谷山豊と共に1950年代に考えた「谷山・志村予想」だった。
フェルマーの最終定理とは無関係の予想だったが、1984年、ドイツの数学者ゲルハルト・フライが「谷山・志村予想の証明が、フェルマーの最終定理の証明に繋がる」と発見したことで、ワイルズ氏が「谷山・志村予想」の証明に挑み、フェルマーの解明に繋がった。プリンストン大学で教鞭を執った志村の天才的頭脳は、学生から恐れられたという。
「学生が志村さんに論文の相談をする際、以前と同じ質問を繰り返すと『それは◯月◯日に答えた』と言われてしまう。記憶力も並外れていたそうです」(上野氏)