「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声もすばらしかった。低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、彼女はハスキーで魅力的な声が出た」
その声質を生かすために、小田はバイオリンにおける「スラー」の手法を取り入れた。
「音符を弧でくくり、音と音をなめらかにつなげる。ひとつひとつの音に対し、両側からすべらせながら歌うという感覚。これができることによって、たとえば『せいよ』って歌詞が『SAY YO』と洋楽的に聴こえる効果をもたらした」
デビュー曲の『裸足の季節』や、初のチャート1位に輝いた『風は秋色』(1980年)など13曲のアレンジを担当した信田かずおは、聖子の歌声を聴いた時に「5000ccの排気量」だと思った。
「無理してガナったりせず、自然な歌い方で心地よい音色が出せる。歌のキャパシティーがとてつもなく広いんだと思った」
それを生かすアレンジを、作曲の小田とともに信田はひたすら考えた。
「小田さんが従来の歌謡曲と違って欧米系の作りをしていた。なので、僕のアレンジも日本の歌に洋楽のテイストをガンガンと乗せていったし、彼女のボーカリストとしての容量が、さらに冒険させてくれた」
そしてディレクターの若松は、聖子に次々と新しい作家を用意する。作詞は6作目のシングル『白いパラソル』(1981年)から松本隆に一本化。作曲は財津和夫、松任谷由実(呉田軽穂名義)、佐野元春、細野晴臣、尾崎亜美などが名を連ねる。