ペストによってヨーロッパは人口激減に見舞われ、社会は大きな変革を迎える。それまで農民は封建領主に奴隷のように扱われてきたが、ペストで農民の数が激減したことで、そうした荘園制が崩壊。キリスト教の厳格な支配も、「こんなに無慈悲に人が死んでいくのだから、神なんているはずがない」という庶民の“気づき”によって崩れていく。疫病は結果的に、封建的身分制度を解体させ、中世という暗い時代が終わりを告げる。ペスト流行が落ち着いたとき、ヨーロッパでは華やかで人間的なルネサンス期が始まり、近代へ続く扉が開いた。
このように感染症は世界史にも大きく関与し続けてきた。
時は大航海時代の16世紀。スペインの軍人フランシスコ・ピサロは、金銀を産出する南米のインカ帝国を征服しようと侵攻する。当時、皇位継承をめぐり内戦状態にあったインカ帝国の混乱に乗じ、たった170人の兵で8万の兵を擁するインカ帝国を征服したと伝わる。
なぜそんなことができたのか。教科書のうえでは「馬と鉄器」を持つスペインと持たないインカの「軍事力の差」として説明される。しかし実はその背後には伝染病の「天然痘」があった。すでに免疫を獲得していたスペイン人が天然痘ウイルスを持ち込み、免疫を持たないインカ側は人口の6~9割もの人たちが天然痘によって命を落としたとされる。先住民らは、病に屈しない侵略者と自分たちの違いは「信仰」にあると考え、キリスト教を信仰するようになった。
◆石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也も
東京外国語大学大学院教授で国際政治学者の篠田英朗さんが解説する。
「スペインによるインカ帝国征服では、武器で殺された先住民よりも天然痘の感染によって死んだ人の方が多かった。一方で、第一次世界大戦時には、アメリカで生まれ、アメリカの軍人が持ち込んだウイルスが原因である『スペイン風邪』によりヨーロッパの没落が加速。ウイルスを持ち込んだアメリカは一層の覇権を獲得しました。すなわち、感染症を克服した文明は生き残り、そうでない方が淘汰されるということが、人類の歴史では繰り返されてきたのです」