東西の文明が交わる地、トルコ・イスタンブール。街の一部は世界遺産に指定され、古代から続く悠久の歴史が今も息づく。その筆頭に挙げられる建築「アヤソフィア」をめぐり、あるニュースが世界中に衝撃を与えた。歴史作家の島崎晋氏が解説する。
* * *
「トルコ、アヤソフィアをモスクに」──7月11日に世界を駆け巡ったニュースの見出しだけを見て何が起きたか悟った人は、そこそこの世界史通だ。少しかみ砕いて説明すると、トルコ共和国第2の都市イスタンブールにあるアヤソフィアという博物館を、イスラームのモスク(礼拝所)に戻すという。同博物館は1985年、「イスタンブール歴史地区」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されていた。
トルコのエルドアン大統領による突然の発表を受けて、隣国のギリシアやキリスト教界は強い反発を示している。なぜ彼らが反発するのか。なぜ「モスクに戻す」との言い方がされるのか。それを説明するには、ローマ帝国統治下の4世紀から話を始めなければならない。
ローマ帝国はキリスト教の公認に踏み切ったとき、広大な帝国内を5つの教区に分け、それぞれの中心地にあった教会の主教を総主教とした。総主教が置かれたのはローマ、コンスタンティノープル(現イスタンブール)、アンティオキア(現アンタキヤ)、アレクサンドリア、エルサレムで、コンスタンティノープルでは360年に本山に当たる総主教会が完成した。
長方形の堂内が2列の列柱により3つに区分けされ、短辺の一方の側に入り口、対向する側に半円形の突出部を有する、木造バシリカ式の当聖堂は、いつしかアギア・ソフィア(聖なる知恵)と呼ばれるようになった。アヤソフィアはそれのトルコ語読みである。