そんな山田の動画で最も多く語られるのが、殿ことビートたけしに関連するエピソードである。タイトルに「ビートたけし」と付くものは、他と比べ圧倒的に再生回数が多い。それと付随して山田がかつて出演してきたバラエティ番組での狂騒が語られる。特に『オレたちひょうきん族』(1981~1989年、フジテレビ系)でのエピソードは強烈だ。
当時、ビートたけし、明石家さんま、島田紳介といった芸人はモテのピークを迎えていた。テレビ局の規制も緩かった時代である。山田の話すところによれば、撮影しているスタジオ内にファンが大挙するなんてザラ。番組の撮影中、ファンは自分が好きなタレントに熱い視線を送っていたらしい。山田は仕事場に熱狂的な少女ファン、かつての言葉でいうならバンドの追っかけ少女のグルーピーのように、あわよくばプライベートでも親密になろうとする人たちがいる状況下で笑いを作っていたのである。
現在、僕はあるバラエティ番組の広報原稿を書く仕事をしているが、山田が語ったような、大勢のファンが芸人につきまとう光景は一切みられない。収録のたびにスタジオに行き、番組を見学しているが、そこにファンなど一人もいない。関係者以外は立ち入り禁止である。そして、意外なほど淡々と収録されていく。恥ずかしながら、当初はテレビ業界らしいハプニングも期待していた。しかし、コチラの想像以上にシステマチックに物事が進んでいく現実を知る。時間通りに撮影が始まり、時間通りに終わる。ライターとしてはありがたいが、一抹の寂しさもあった。たぶん、山田が活躍した時代のように、雑多なものも飲み込んで膨張していくようなエネルギーはもうテレビにはない。
テレビというメディアのピークにいた山田は、今流行しているYouTubeで思い出を語り聞かせているわけだが、この状況は過去のテレビでも繰り広げられていたことだと気づく。かつてバラエティ番組に大御所俳優が出演した際、語られることといえば日本映画黄金期のハチャメチャさと決まっていた。
テレビ放送が始まった当時、娯楽の王様は映画で、テレビは電気紙芝居と言われバカにされていた(YouTubeが流行り始めた時、テレビタレントがYouTuberをバカにしていたのと同じような感じだろう)。毎週末、新作映画が公開されていた当時、スターはスクリーン狭しと暴れ回るもので、小さなテレビ画面に入るものではないとされていた。
そんなスターの豪快な遊び方を”かつて”映画で活躍していた俳優がテレビで語る。スターとの思い出は、映画を衰弱させたテレビで消費されていった。山田も”かつて”テレビで活躍した芸人である。そんな山田もテレビを衰弱させたYouTubeというメディアでスター「ビートたけし」との思い出を消費していく。YouTuber山田邦子の存在は、歴史は繰り返されることを証明している。