山田邦子一覧

【山田邦子】に関するニュースを集めたページです。

山田邦子が40周年を迎えた自身の芸能生活を振り返る
天下を獲った唯一の女性芸人・山田邦子 フワちゃんに感じた共通点
『やまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)で女性芸人として唯一となるゴールデンの冠番組を持った山田邦子。女性芸人である上にピン芸人でもある彼女は、なぜ成功したのか? 昨年で40周年を迎えた自身の芸能生活を振り返った。 * * * 私は今、「お笑いで天下を獲った唯一の女芸人」って呼ばれているらしいです。でも、当人からしたら変な感じ。「お笑いで天下を獲る」って、もともと関西の人の言い方なのよ。なので(ビート)たけしさんもそうだけど、私も一度も使ったことがないんです。 あと、芸人っていう言い方も、私たちの時代の人は違和感がある。芸人って、昔は、お師匠さんがいて、寄席や舞台に立っている人たちのことを指す言葉でしたから。私のようなテレビタレントが芸人と名乗るのは失礼な気がして。今、「ピン芸人」っていうジャンルも定着していますけど、昔はそんな呼び方もなかった。コンビに対して、単に「ピン」とは言われていましたけど。じゃあ私は何なのと聞かれたら、ネタをやることを商売にしているお笑いタレントかな。 天下を獲ったかどうかはわからないけど、一時期、テレビタレントとして、私がいちばん売れていた時期はあったと思いますよ。もっとも多いときで、レギュラー番組は14本もありましたから。1か月の収入が1億円なんてときもありました。ただ、それだけ稼いでいても私たちの頃はカードをつくるのも、ローンを組むのも大変でした。そこへいくと、今は芸能人や芸人の地位が上がりましたよね。ローンだって簡単に組めるらしいですもんね。 私は19歳のときに芸能活動を始めてるんです。でも、芸能界に入った、みたいな感覚はなかったですね。当たり前だと思っていたので。小さい頃、テレビや寄席でおもしろい人たちを観て、憧れというより、すでに同業者だと思っていたんです。芸能生活をスタートさせたときから気分はスター。周囲を見渡しても、私がいちばんおもしろいと思っていました。計算されたお笑いはできないので、気を付けていたことは、聞き取りやすいことと、勢いくらい。 こういう勘違い系は、やっぱり強い。売れるまでも、売れてからも、苦労らしい苦労の記憶はないんです。怒られて落ち込んだりしたこともあったんだろうけど、『オレたちひょうきん族』で大好きなたけしさんとも仕事ができていたし、楽しいという気持ちが先行して、嫌なことがあっても忘れちゃったんだと思う。 最近、フワちゃんと共演したんですけど、フワちゃんを見て「ああ、私みたいな子」って思いましたね。私、デビューした頃、こういう子だったかもって。健康的で、明るくて、でも、美人ではないので嫌味がない。あの子、これからどんなタレントになっていくのかしら。とっても楽しみ。 近年は、女芸人は不利だという声も聞きますけど、私はそんなこと、一度も考えたことがなかったな。自分で不利を勝手につくっちゃってるんじゃないかしら。あ、でも一度だけありましたね。男の子たちが下ネタに走って、パンツを脱ぎ始めたことがあったんです。そこで勢い、私もパンツを脱いだ。そうしたら、どっちらけで。あのとき、もう二度とパンツは脱ぐまいと誓いました。 今も昔もネタを考えてるときがいちばん楽しい。最近は、新宿末広亭だとか浅草演芸ホールの寄席に出させてもらってるんです。普通は、出られないんですよ。やっともらえたチャンスなので、ここにはしがみついていきたい。もう60歳になったので、ずうずうしいの。何でも平気になっちゃった。 芸のジャンルで言うと、漫談モノマネかな。定番のバスガイドのモノマネをやったり、あとはコウメ太夫の真似をしたり。私が出て行ったら盛り上がりますよ。テレビじゃないんで、何をやってもいいんですから。 衣装は全部、自前なんです。昔からいっぱいモノマネをやっていたので、衣装部屋はもう大変なことになっていて。樹海みたい。捨てようと思っても、なかなか捨てられなくて。眼鏡だけでも何百個もあるんじゃないかな。たぶん、いつか出られなくなりますよ。 最近は「クニチャンネル」というYouTubeチャンネルもやってるんです。なので高校生ぐらいの子に話しかけられることも増えてきて。「パ〇ズリって言葉をつくったの、山田邦子なんですよね。すげぇ~!」って。そこかよ、って。でも、私もまだ捨てたもんじゃないでしょう?【プロフィール】山田邦子(やまだ・くにこ)/1960年、東京都生まれ。『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』など数々の人気番組に出演。1988年から8年連続でNHK「好きなタレント」調査で1位に輝くなど人気を博した。3月1日に新刊『生き抜く力』(祥伝社新書)を上梓。取材・文/中村計 撮影/黒石あみ※週刊ポスト2021年4月2日号
2021.03.26 11:00
週刊ポスト
山田邦子、岩崎宏美、横山剣らが語る『みんなうた』に携わった喜び
山田邦子、岩崎宏美、横山剣らが語る『みんなうた』に携わった喜び
 NHK総合、Eテレ、NHK-FMなどで毎日放送されている5分間の音楽番組『みんなのうた』が、4月に60周年を迎える。子供から大人まで、幅広い世代が楽しめるオリジナル曲が揃うこの番組。60年の間にはさまざまな「うたの作り手」が誕生した。「NHKからは、作詞、作曲のどちらでもいいから(やってほしい)と言われたんです」 タレントの山田邦子(60才)が懐かしそうに振り返る。NHK「好きなタレント調査」で初の1位になった人気絶頂の1988年、『みんなのうた』からオファーがあったという。「本当に『なんでもいい』って言ってくれて、それがすごくうれしくて、『やります!』って即答したのを覚えていますね」(山田) 山田にとって『みんなのうた』は、幼い頃の記憶を思い出させるものだった。「兄も弟も病気がちだったから、私は小さい頃に母に構ってもらうことができなかったんです。家の中ではうるさくできないし、当時はゲームや携帯がないから、祖母の仏間にあったテレビの音を小さくして『みんなのうた』をよく見ていました」(山田) NHKからの依頼を受けた山田が作ったのが『サボテンがにくい』という曲。いつも雑に扱われているのに、ある日突然きれいな花を咲かせるサボテンに淡い思いを寄せるチャーミングな歌だ。この曲がオンエアされると、母が声を弾ませて連絡してきた。「『あの番組にあなたの曲が出るなんてすごいね』と本当に喜んでくれました。『変な歌だけど』とも言われたけれど、アハハ。当時は突然頭を丸坊主にしてみたりなど母には心配をかけていましたが、サボテンの曲で親孝行ができた気がします。そのあと『ちょっとずつ秋』(1989年)という歌も作らせていただきました」(山田) 世に知られていない気鋭のクリエイターと有名歌手がコラボすることも『みんなのうた』の見せ場のひとつだ。2003年に岩崎宏美(62才)が歌った『笑顔』は、目の見えない音楽家の永田雅紹さんが作詞作曲し、『君の名は。』を発表する前の映画監督・新海誠さんが映像を担当した。岩崎の伸びのある澄んだ声とともに、回し車をぐるぐると走るハムスターの映像が印象的な作品だ。岩崎が当時を振り返る。「NHKからは『新海監督の光の入る映像が素晴らしいのでぜひ入れたい』と言われて、曲もとても心地よいメロディーだったので歌わせていただきました。真っすぐな歌だったから、笑顔を浮かべてストレートに歌うことを心がけました。私は子供の頃から『みんなのうた』を見て育ったので、自分の名前がテロップで出たのは本当にうれしかったですね。そして何より新海くんの映像がとてもかわいらしかった」 クレイジーケンバンドのボーカルや作曲家、作詞家として幅広いジャンルの音楽に携わる横山剣(60才)も、幼い頃から『みんなのうた』に慣れ親しんだ。「当時から子供をなめることなく、子供向けでもしっかりしたクオリティーの楽曲を大人が一生懸命に作っていることを、幼いながらに感じていました。歌詞がテロップで出て、子供でも音楽を聴きながら歌詞がわかるのもよかった。作詞作曲するうえで原点となる番組でした」(横山)『みんなのうた』を熱心に視聴した横山は、「大人になったらこの番組に楽曲を提供するんだ」というイメージを抱き続けた。その思いが現実になったのが、子供の頃に感じた将来への不安を振り返り、聴く者を励ます『スパークだ!』(2014年)という曲。歌詞に込めた思いを横山が語る。「NHKの依頼を受けたときは『よし、キター!』って感じでした。ぼくの子供の頃は、宇宙飛行士やオリンピック選手やカーレーサーになりたいと思いながら、このまま大きくなって本当に“なりたい自分”になれるのかという悩みや葛藤があった。そうした子供心を振り返って、『スパークだ!』とエールを送るのがこの曲です」(横山) 子供の夢を後押しするこの曲は、あの頃、『みんなのうた』を見ていた自分に向けた歌でもあったという。 歌手の半崎美子(40才)は2017年に放送されたデビュー曲『お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~』で、愛情のこもった弁当を手紙代わりに、子供の成長をそっと見守る母の姿を描いた。 半崎は当時、デビューもしていない無名の新人。『みんなのうた』で楽曲が放送されたのは、歌手になるために生まれ育った北海道から縁もゆかりもない東京へ乗り込んで16年あまりが過ぎた頃。地道にショッピングモールでのライブを続けていたときのことだった。約1年もの歳月をかけて作られた彼女の曲は、同じ時期に放送されていたほかの曲が1曲2分20秒の放送時間のなか、フルバージョンの4分40秒が放送されたのだ。彼女が番組の影響力を思い知ったのは、放送後の反響からだ。「ショッピングモールのミニライブのお客さんには、それまで音楽を聴かなかったかたが目立つようになりました。おじいちゃんやおばあちゃんの反響も大きく、自分の子供の頃を振り返って親世代を懐かしむかたが多かった。『70年生きていて、初めてCDを買いました』というかたもいらっしゃいました」(半崎)「お弁当」という誰もが知るアイテムをめぐって、作る人と作ってもらう人の思いやりや感謝が交錯する。Mr.ChidrenのPVなどで知られる、日本を代表する映像作家の半崎信朗さんが制作した映像も相まり、この曲は広く人々の心に届いた。 半崎はこの番組で人生が変わったと語る。「『みんなのうた』という普遍的で、誰もが知っている番組で放送されたことが、私の曲の浸透にもつながりました。そこをベースにみんながお弁当に自分自身を投影したからこそ、各地で共感していただいたのだと思います。この先私がこの世からいなくなってもこの曲が歌い継がれていくといいなと思っています」 渾身の一曲は今回のランキングでも50位内に入り、名実ともに「歌い継がれる歌」の1つとなった。※女性セブン2021年3月11日号
2021.03.01 07:00
女性セブン
女性芸人のあり方も多様化が進んでいるという
時を経て移り変わる女性芸人の芸風 容姿ネタは過去のものへ
 お笑い界の歴史は長いが、漫才やコントで一世を風靡してきた芸人には男性が圧倒的に多い。そんな“男社会”の中でも、男性以上にお茶の間の笑いを取ってきた女性芸人がいる。お笑いの“女性活躍”の半世紀をお笑い評論家のラリー遠田氏が振り返る。 * * * 笑いの歴史が始まった頃から、すでに女性芸人は存在していた。戦前で最も有名な女性芸人の1人であるミスワカナは、夫の玉松一郎とコンビを組み、夫婦漫才を披露していた。 戦後に入ると、夫婦漫才は漫才の一ジャンルとして確立された。ミヤコ蝶々・南都雄二、鳳啓助・京唄子、人生幸朗・生恵幸子などの夫婦漫才師が人気を博した。 一方、少数ではあったが、海原お浜・小浜、内海桂子・好江、かしまし娘のように、女性だけのコンビやトリオで活動する芸人もいた。 関西の女性漫才師が全国区で認知されるきっかけになったのが、1980年に起こった漫才ブームである。男性の漫才師たちに紛れて、今いくよ・くるよ、春やすこ・けいこなどが注目を集めた。 女性芸人で初めて「天下を取った」と言える地位にまで上り詰めたのは、西の上沼恵美子、東の山田邦子の2人である。長い間、男性芸人の引き立て役に甘んじていた女性芸人が初めてテレビの中心に立った。 上沼恵美子は姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里としてデビュー。高校生とは思えない巧みな話術で瞬く間に人気者になり、関西ではテレビ・ラジオのレギュラー番組十数本を抱えたこともあった。1994・1995年には『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めた。 山田邦子は素人参加型のお笑い番組出演をきっかけに芸能界に入った。1989年に始まった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』は、ゴールデンタイムに放送された女性芸人の名が冠されたコント番組として唯一無二のものである。この番組からは『愛は勝つ』『それが大事』などのヒット曲も生まれた。 1990年代前半には、野沢直子、清水ミチコなどがバラエティー番組に出るようになり、少しずつテレビの世界でも女性芸人が頭角を現わし始めた。 彼女たちはファッションも言動もおしゃれなイメージがあり、従来の泥臭い女性芸人のイメージを一新した。 テレビに出る女性芸人の数が一気に増えたのは、2000年以降のお笑いブームがきっかけだ。『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』などのネタ番組が注目されるようになり、そこから新しい芸人が続々と現われた。 身近にいそうな女性を演じる一人コントを得意とする柳原可奈子や横澤夏子、体を張ったロケ企画に定評がある森三中やおかずクラブ、アラフォー女性の共感を集める大久保佳代子やいとうあさこ、若者からカリスマ的に支持される渡辺直美など、それぞれの強みを生かしてさまざまなタイプの女性芸人が出てくるようになった。 2017年には女性芸人限定のお笑いコンテスト『女芸人No.1決定戦 THE W』が始まり、女性芸人にますます注目が集まっている。 かつては「デブ」や「ブス」を売りにする自虐的な芸風の女性芸人も多かったが、最近では人々の意識も変わっていて「容姿をネタにするのは古い」という風潮も強くなっている。一般社会における女性の地位向上の動きと共に、女性芸人のあり方も変わり、多様化しているのだ。※週刊ポスト2020年11月20日号
2020.11.13 16:00
週刊ポスト
YouTube「クニちゃんねる」で語り続ける山田邦子
YouTuberとなった山田邦子の思い出語りが心地よく聞ける理由
 今でこそ女性ピン芸人は珍しくない存在となったが、芸歴40年の山田邦子がデビューした当時は、漫談をする女性が人気者になるのは想像もつかないことだった。それを成し遂げた山田邦子が2020年2月からYouTubeチャンネル『山田邦子 クニチャンネル』を開設、話芸の女王ぶりを発揮している。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、YouTuber山田邦子による思い出語りの面白さについて考えた。 * * *「YouTubeは儲かる」なんて言われるようになって以降、続々と芸能人がYouTuberデビューを果たしている。知名度のある芸能人は、一般人のようにイチから登録者数を集めていくといった下積みがいらない。また、一昔前のように芸能人がYouTuberデビューすることに世間的なマイナスイメージもない。今後、YouTuberをやらない芸能人はテレビに出ることに特別なこだわりを持った人だけになるはずだ。 テレビとYouTubeは似て非なる媒体だ。視聴者の目線を集める方法も異なる。よって、芸能人もYouTubeに合わせた動画を制作する。小さい画面で観られることを配慮してか、テレビよりも大きなリアクションをとり細かく動画を切り貼りしてインパクトを増す。言葉を吐くたびに映されている人物が隠れそうなほどデカデカとした太ゴシック体のテロップが付く。そんなYouTuberにモードを寄せた動画を公開する芸能人が多いなか、ほぼ編集なしの動画を更新し続ける猛者もいる。その人こそ元祖女芸人・山田邦子である。 2月11日に公開された「太田プロを辞めた理由を話します。」という動画では、関係性が悪くなったと噂されていた元の所属事務所である太田プロと決別した本当の理由を語っていた。山田曰く「事務所の考え方が古くなった。私は新しいことをやりたいと思った」とのこと。文字通り、山田はYouTubeという新興メディアで芸談を繰り広げている。 動画1本の時間は大体15分ほど、山田はカメラに向かってぶっ通しで喋り続ける。流石、「唯一バラエティ業界で天下をとった」と言われる女芸人。立板に水のごとく、喋りに淀みがない。 そんな一人舞台で多く語られるのは、テレビが最も華やかで、山田が最も活躍していた1980年代のエピソードである。テレビ業界は元々派手な世界、その全盛期ともなればコチラの想像できないことも起きる。「ご褒美でニューヨークに連れて行ってもらった」こんなことはざらである。世知辛い時代を生きてきた世代の僕からすると羨ましくて仕方がない話のオンパレードだ。 山田の語る内容を意地悪に捉えれば、思い出語りでしかない。しかし、終始カメラ目線で話す山田と対峙すれば、そんな野暮なことは言えなくなる。視聴者に語りかけてくる口調を崩さないので、一対一で山田から話を聞いている気分になる。また、その語り口は軽い世間話のように始まる落語の導入部となる「まくら」に似ている。聞き手の心を掴み、話し手を内輪へと引き込んでしまう。流石、元々落語家志望の山田である。「芸能界」と話される内容は派手だが、語りは親しみやすい。このギャップこそ山田の動画の優れている点だと思う。 また、全ての動画のテンションが一定している点も見逃せない。心地よいリズムで話され続けるため、視聴者が疲れない。結果、「次も」と立て続けに動画を観てしまう。テンションの上げ下げや身振り手振り、大きなリアクションで話をすることも「話芸」だが、淡々とした口調でずっと聞いていられる山田の語りもこれまた「話芸」である。 山田が紐解く芸能史は、当事者だけが知り得るエピソードが豊富だ。元来、記憶力が優れている人なのだろう。どういったシュチュエーションで誰がこんなことを話していた、なんてことが詳細に語られる。そして、どの話も客観性がある。「あの時代は私の青春!」なんて熱量がないとは言わないが、それを押しつけないから自慢話にも聞こえない。山田のクレバーな視点は、主に語られる1980年代の芸能界に山田のような女芸人が少なかったことから由来することだと思う。男性社会にいた数少ない女性だから見えてくるものがある。男芸人が当時のことを話した場合、どうしても「仲間!」といった想いが前面に出てきてしまう。山田には、その暑苦しさがない。 そんな山田の動画で最も多く語られるのが、殿ことビートたけしに関連するエピソードである。タイトルに「ビートたけし」と付くものは、他と比べ圧倒的に再生回数が多い。それと付随して山田がかつて出演してきたバラエティ番組での狂騒が語られる。特に『オレたちひょうきん族』(1981~1989年、フジテレビ系)でのエピソードは強烈だ。 当時、ビートたけし、明石家さんま、島田紳介といった芸人はモテのピークを迎えていた。テレビ局の規制も緩かった時代である。山田の話すところによれば、撮影しているスタジオ内にファンが大挙するなんてザラ。番組の撮影中、ファンは自分が好きなタレントに熱い視線を送っていたらしい。山田は仕事場に熱狂的な少女ファン、かつての言葉でいうならバンドの追っかけ少女のグルーピーのように、あわよくばプライベートでも親密になろうとする人たちがいる状況下で笑いを作っていたのである。 現在、僕はあるバラエティ番組の広報原稿を書く仕事をしているが、山田が語ったような、大勢のファンが芸人につきまとう光景は一切みられない。収録のたびにスタジオに行き、番組を見学しているが、そこにファンなど一人もいない。関係者以外は立ち入り禁止である。そして、意外なほど淡々と収録されていく。恥ずかしながら、当初はテレビ業界らしいハプニングも期待していた。しかし、コチラの想像以上にシステマチックに物事が進んでいく現実を知る。時間通りに撮影が始まり、時間通りに終わる。ライターとしてはありがたいが、一抹の寂しさもあった。たぶん、山田が活躍した時代のように、雑多なものも飲み込んで膨張していくようなエネルギーはもうテレビにはない。 テレビというメディアのピークにいた山田は、今流行しているYouTubeで思い出を語り聞かせているわけだが、この状況は過去のテレビでも繰り広げられていたことだと気づく。かつてバラエティ番組に大御所俳優が出演した際、語られることといえば日本映画黄金期のハチャメチャさと決まっていた。 テレビ放送が始まった当時、娯楽の王様は映画で、テレビは電気紙芝居と言われバカにされていた(YouTubeが流行り始めた時、テレビタレントがYouTuberをバカにしていたのと同じような感じだろう)。毎週末、新作映画が公開されていた当時、スターはスクリーン狭しと暴れ回るもので、小さなテレビ画面に入るものではないとされていた。 そんなスターの豪快な遊び方を”かつて”映画で活躍していた俳優がテレビで語る。スターとの思い出は、映画を衰弱させたテレビで消費されていった。山田も”かつて”テレビで活躍した芸人である。そんな山田もテレビを衰弱させたYouTubeというメディアでスター「ビートたけし」との思い出を消費していく。YouTuber山田邦子の存在は、歴史は繰り返されることを証明している。 今後、YouTubeが更に身近なものになれば、テレビは意図せず映画のような存在になっていく。動画としてのクオリティはYouTubeに勝るが、親しみやすさはどんどんと失われていく。テレビにしか出ないタレントは、映画にしか出演しない俳優のような存在感を持つ。映画館に足を運ぶような感覚でテレビのスイッチを押す。映画を観るように構え、テレビ番組を視聴する時代になっていくと思う。 このような時代だからこそ、テレビの全盛期を駆け抜けた数少ない女芸人・山田邦子の視点は貴重だ。当事者として1980年代のバラエティ黄金期を語る資格を持つ女性は山田だけかもしれない。だがそれを見せびらかすのではなく、まるで「3丁目の○○さんをスーパーで見かけたのよ」と話すような口調でリズミカルに語ってみせるのも、山田の芸の内なのだろう。
2020.08.15 16:00
NEWSポストセブン
『エール』に出演、松井玲奈がいちばん好きなシーンは?(写真提供/NHK)
山田邦子と出演者・松井玲奈が語る朝ドラ『エール』の魅力
 新型コロナウイルスの影響で、6月27日から放送休止となっているNHKの連続テレビ小説『エール』。放送再開が待ち遠しいところだが、今回は古山音(二階堂ふみ)の姉・関内吟を演じる松井玲奈(28才)に、自分の役どころについて話を聞いた。──吟のいちばん好きなシーンは?松井:音から「私って強欲?」と相談されて、ズバリ「いまさら気づいたの? 強欲上等!」と言える吟の、人としての意志の強さが好きだな、と思いながら演じていました。音の口紅を奪ってしまうところは、幼い頃、音から口紅をとられたお返しにも思えて、楽しく姉妹で戯れ合っていました。(第9週)──裕一(窪田正孝)と音の好きなシーンは?松井:夜の音楽学校で裕一が音に「きみの夢はぼくの夢でもある」と伝えるシーン。ふたりの絆がさらに深くなり、愛のあるシーンだったと思います。(第10週)──姉として音にひとこと!松井:笑った音の顔が、愛おしくて大好き!──義姉として裕一にひとこと!松井:音楽と、娘の華ちゃんのことになると周りが見えなくなりがちですが、大きな愛を持っているかた。この先も素晴らしい音楽で多くの人を励ましてほしいです。──これからの『エール』は?松井:今後は、心温まるお話もありながら、徐々に戦争の色が濃くなっていきます。裕一さんの作る音楽がどのように時代にかかわり、描かれていくのか気になります。【プロフィール】◆松井玲奈/まつい・れな。1991年7月27日生まれ。SKE48、乃木坂46を経て現在は女優として活躍。NHK連続テレビ小説『まんぷく』にはヒロインの親友・敏子役で出演。 さらに、朝ドラが大好きだという山田邦子(60才)にもコメントをいただいた。山田:以前、出演させていただいたこともあって、朝ドラはずっと見ています。『エール』は笑っちゃうシーンと、心に刺さるシーンのバランスが絶妙ですね。きっと撮影現場の雰囲気がいいんでしょうね。できることなら私もドラマの中に入ってみんなと一緒に歌いたいくらい、大好きな作品です!――好きな登場人物は?山田:裕一と音はもちろんだけど、風間杜夫ファンとしては茂兵衛さんにもっと登場シーンを! 久志の歌声も大好きです。―― 好きなシーンは?山田:音が音楽学校を退学するとき環に「夢も子供も、夫婦で育てていきます」と言ったのがよかった。いつの時代も女性は子供と仕事や夢の狭間で悩むけど、両方取ると言い放った音は、人間として大きいと思いましたね。――このあと気になることは?山田:音が歌手としてステージに立てるのかどうか。華ちゃんがどんな子に育つのか。続きを楽しみにしているので、大変だと思うけど体に気をつけて頑張ってください!【プロフィール】◆山田邦子/やまだ・くにこ。1960年6月13日生まれ。タレントとして活躍するほか、女優としてはNHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』『あぐり』などに出演。※女性セブン2020年7月30日・8月6日号
2020.07.17 07:00
女性セブン
カメラに向かってポーズを取る山田邦子
独立・山田邦子が明かす「芸人のギャラ」と「月収1億円時代」
「辞めた理由なんてないのよ、飽きちゃったの」──40年間所属した太田プロダクションから独立した理由について、そう語るのはタレントの山田邦子(59)。今年7月に晴れてフリーの身となった。「サラリーマンのみなさんだって、たいていは40年くらい勤め上げたら会社を辞めるでしょ? 私も、いい加減もういいんじゃないって思っちゃったの。数年前に太田プロも社長が代わって、お笑い芸人以外にも、歌手の方やアイドルやら、いろんな人が入ってきた。もともとお笑いの事務所だったのが、だんだん芸事を重視しなくなってきて、そこに違和感はありましたね。だからここ20年くらい辞める、辞めないの話し合いをしてて、なんだかんだ先延ばしになっていたのが、ようやくまとまった形です」(山田・以下同) デビュー当時、素人参加型番組の常連だった彼女は、複数の事務所からの誘いを蹴って尊敬していたビートたけしが当時所属していた太田プロに「女性タレント第1号」として入社する。「最初、『(月収)20万円でどう?』って言われたんだけど、すでにフリーでそのくらいの金額いただいていたので、お断りしたの。そしたら『ちょっと待って!』と言われて、1時間後に『もう10万上乗せして、30万円でどう?』って提案されたんです。契約書もなく口約束で、当時どこの事務所もそうだったんじゃないかな? でも、本当は他にもやりたいこともあったし、1年頑張ったら辞めるつもりだったの。そしたら1年経たないうちにすぐ(月収が)100万円になって、辞めるきっかけがなくなっちゃった」 そんな彼女が今年の7月に独立。奇しくも時を同じくして、吉本興業では宮迫博之、田村亮らの契約を巡って騒動が起きているが、そんな彼らを彼女はどう見ているのか。「詳しい事情はちょっと分からないけど、辞めたいんだったら、辞めればいいのにね。吉本の芸人は可哀想よね、たぶんあまりお金もらってないんだろうし? それこそ『(オレたち)ひょうきん族』(フジテレビ系。1981~89年)の時代も、みんなでギャラの話になったときに、たけしさん(北野武)が、(明石家)さんまちゃんの給与明細を見て『おまえ、これ日払いか?』って聞いたの。でも、本当はそれで1か月分(笑)」 当時、明石家さんまのような人気タレントでも、吉本と、それ以外の事務所ではそれだけギャラに違いがあったのだ。「でも、それからは番組のクレジットに、さんまちゃんの本名の『杉本高文』って名前が入るようになって、作家料をもらえるようになったの。積極的にネタづくりをしていたから、それもたけしさんが口利きしてくれたんじゃないかな? もう笑い話だけどね」◆月収1億円以上あった その後『ひょうきん族』でも確固たるポジションを確立し、人気急上昇中だった8年目。転機が訪れる。「ある時、ひょうきん族の楽屋に当時の太田プロの社長と副社長がやってきて、いきなり『今までどうもありがとう』って土下座してきたのよ。わけもわからず、クビを覚悟したら『来月から歩合制になるから』って言われた。その時は『わかりました』って答えたけど、震えが止まらなくなっちゃって。すぐにたけしさんの楽屋に行って、『大変です! クビかもしれません』って言ったら、ちらっとこっち向いて『来月になったらわかるんじゃね?』って笑い飛ばされて相手にされなかった」 それから1か月後、彼女の給料は6倍になっていた。何をやっても月500万円が最大だったのが、歩合制に変わった途端、3000万円になっていたのだ。「そこからはバンバンバンって上がってね、当時は月収1億円もらっているなんて言われてね。大阪の番組でポロっと言ったのが広まっちゃって、なんで馬鹿正直に言っちゃたかって後悔しましたよ。まぁ、本当はもう少しもらっていました(笑)。そのかわり、気絶したまま歩くぐらい働いていましたけど」 自身の冠番組も持つなどタレントとして大成功を収めた彼女は、「唯一天下を取った女性ピン芸人」とも言われる。しかし実は、父親から芸能界入りを反対されていた。説得にあたったのは、あの大御所。「芸能界の仕事は1年で辞めるつもりだったし、25歳までに結婚するつもりだった。だから、父からは『おまえ、もうそろそろいいんじゃないか』と、常に言われていました。そもそも芸能界入りの時に相談に乗ってくれたのが関口宏さんで、父が立教大学の水泳部の選手だった時、関口さんのお父様が選手の面倒をみていてくれてね、家にも泊まり行かせていただく間柄だったの。それから今でも大切にお付き合いさせていただいているの。梅干しが大好きな方なので毎年、贈らせていただいているんですよ」 他人との付き合いを大切にする彼女は、自嘲気味に「私は古いタイプの芸人だから……」と語る。そんな彼女のもうひとつの転機となったのが2007年に乳がんの手術を行ったことだ。「ピン芸人って孤独で自分と向き合って仕事をしていて孤独を愛するって感じで、ちょっとした変態なんですよ(笑)。だから収録後にみんなで食事とか行くのが大嫌いだったんだけど、乳がんを患ってから、その考えが180度変わったの。病院の先生・スタッフにお世話になったことで『人間は一人では生き延びられない』ことに気づいた。 それでチャリティー団体“スター混声合唱団”をつくって仲間で活動をするようになったんです。今ではみんなで温泉行ったり、ディズニーランド行ったりしていますよ。これからもいろいろなご縁を大切にしていきたいと思っています」 現在、ラジオ番組『DNA先端医療presents 山田邦子のルーズベルトな夜』(渋谷クロスFM)出演や、ライフワークとなった長唄の会、演劇・舞台などに力を入れている。「ラジオ番組もそのひとつで独立前からお声がけいただいていたのを、今でも続けさせていただいています。ドラマや映画もしばらくやっていないから、代表作になるようなことを仕掛けて行きたいと思っているの。 有難いことに独立して、他のタレントさんたちから“山田邦子事務所”に入れてくださいって連絡がすごく多い(笑)。でも、せっかく40年ぶりに1人になって、さっぱりしたから『申し訳ないけど、みなさん少し待ってくださいね』ってお伝えしています」■取材・文/水口航太、撮影/渡辺秀之
2019.08.16 07:00
NEWSポストセブン
【動画】山田邦子、所属事務所との最悪関係告白「末期症状なの」
【動画】山田邦子、所属事務所との最悪関係告白「末期症状なの」
 山田邦子さんがブログで突然綴った太田プロへの“絶縁宣言”が波紋を広げています。きっかけは、芸能生活40周年を迎えた山田邦子さんが長唄で名取を襲名する公演に、事務所スタッフが来なかったこと。山田さんを直撃すると「20年ぐらい前かな、事務所の様子が変わっていってしまった。恩義のあった前社長が引退して会長になり、その息子が新社長になってからマネジャーが動いていない状態なんです。私、今もひとりでしょ? もう末期的なのよ」とのことです。
2019.05.18 07:00
NEWSポストセブン
『女性セブン』の直撃に応える山田邦子
山田邦子騒動から考える芸能界のマネジメントの重要性
「こうやって板の上で原点に返る。令和になって心機一転また頑張れるな、という感じなんですけども」。5月10日、新宿・末広亭の舞台に立った山田邦子(58)は、立ち見も出るほどの満員の観客の前でこう話し、漫談を始めた──。 山田邦子の独立騒動が勃発している。4月29日のブログに、〈39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした〉と綴り、事務所への不信感を募らせた。 その真意について、『女性セブン』が直撃すると、〈恩義のあった前社長が引退して会長に、その息子が新社長になってから、私のマネジャーが動いていない状態なんです〉〈事務所は私に全然関心がないの〉などと本音を漏らした。 末広亭で騒動について語ることはなかったが、デビュー当時のバスガイドネタやジュディ・オングの大ヒット曲『魅せられて』の替え歌など約15分にわたって漫談を披露。デビュー当時に親交のあった桂竹丸(当時の芸名は、あらポン太)の誘いを受けて実現したという舞台で、観客を爆笑の渦に包んでいた。 山田邦子は、女性芸人のパイオニア的存在である。NHK放送文化研究所が主催していた『好きなタレント調査』で1988年から1995年まで8年連続1位に輝き、1990年代前半『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)など複数の冠番組を持つ超売れっ子だった。しかし、1995年頃から不倫騒動などでバッシングを受け、人気が落ちていく。2000年代に入ると、レギュラー番組もなくなり、テレビで見かけることも少なくなっていった。テレビ局関係者が話す。「太田プロダクション側の意見もあるでしょうし、双方の言い分があるはず。ただし、一般論としてはこう言えます。芸能人は急に売れたり、突然露出が少なくなったりします。その責任は本人にばかりあるように思われますが、最も大きいのはマネージャーの力です。どんな人が担当してくれるかで、芸能人生は大きく変わる。これは間違いない。ネットでは、事務所の大きさが注目されがちですが、今回のように大手であろうと問題は起こるし、小規模な事務所で売れている芸能人もいる。事務所の大小以上に、マネージャーのやる気や戦略、人柄でタレントの運命は決まるんですよ」『女性セブン』の直撃に、邦子は〈私は、朝ドラも大河も映画もバンバン出てたんだけど、今は事務所の“役者部”が何にも動いていないのよ〉とも語っていた。1988年のNHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』、1995年のNHK連続テレビ小説『あぐり』、大河ドラマ『八代将軍吉宗』をはじめとして、1990年代までは民放でも頻繁にドラマ出演をしていた。これだけ輝かしい経歴を持つ芸能人に、本当にオファーがなかったのだろうか。芸能関係者が話す。「大物タレントになると、本人の耳に届く前に、スタッフが勝手に判断して断っている可能性もある。本人の知らないところで起こっていることって、結構あるんですよ。大物になると、受ける仕事だけでも食べていけるし、別にテレビに出なくても営業などで十分なお金が手に入る。その状況に、スタッフが甘えることは珍しくありません」 テレビやネットではタレントだけが矢面に立つため、マネジメントに光が当たるケースは稀だ。「スタッフがアンテナを張っていないとチャンスを逃しますからね。受ける仕事ばかりだと、やがて縮小していく。でも、長期的な戦略的を持って仕掛けられるスタッフはごく一部。たとえタレントがドラマに出たいと思っても出られないケースなどは、マネジメントにそういう発想がなかった側面もあり得ます」(同前) 能力は別問題として、中には芸能界にいるだけで“勘違い”してしまうマネージャーもいるという。前出・テレビ局関係者が語る。「大物に付くと、自分も大物になったような態度を取る人も見掛けます。そういう人は敬遠されがちですし、噂は業界に拡がるので、自然とタレントに仕事が来なくなります。でも、世間にはそこまで伝わらない。すると、ファンはそのタレントが売れなくなった理由を他に探し求めます。ネット上にいろんな噂が上がりますが、そこに真実はないですね。単にマネージャーが良くないだけの場合がほとんどです。巨大な見えない力よりも、足元に問題がある。だって、仮に本人を使いたいと思っても、マネージャーが嫌な人なら起用したくなくなる。人間同士が仕事をするわけですから。どんな世界でも同じ話じゃないですか」 山田邦子は39年所属していた太田プロダクションからの独立も視野に話し合いを続けているとも報じられている。「もしそうなったら、どんな人を側近につけるのか。単なるイエスマン、邦子さんの顔色ばかり伺っている人ではダメでしょう。58歳で実績のある彼女に物申せる人を側に置けるのか。物事の価値をきちんと判断できるか。関係各所との調整力も必要ですし、頭を下げるべき時に下げられるか。自分以上にタレントに愛情を持てるか。口では良いこといっても、いざとなると保身に走る人もたくさんいる。側近次第で、一気に状況は変わっていくと思います。誰を選ぶかは邦子さん自身ですから、最終的には本人次第です」(同前) 山田邦子は今、芸能生活の大きな岐路に立っている。
2019.05.13 16:00
NEWSポストセブン
『女性セブン』の直撃に応える山田邦子
山田邦子、所属事務所との最悪関係告白「末期症状なのよ」
《39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした》 山田邦子(58才)がブログで突然綴った“絶縁宣言”が波紋を広げている。 太田プロは多数の人気タレントを抱える芸能事務所。片岡鶴太郎、有吉弘行、高島礼子、故・川島なお美さん。最近は前田敦子、大島優子、指原莉乃らも所属する。「ビートたけしさんも元々は太田プロ。常に人気タレントを多数抱えていました。なかでも邦子さんはいちばんの古株。まさに“ミセス・太田プロ”です」(ベテラン芸能記者) 今年は山田のデビュー40周年の記念イヤーでもある。「邦子さんはデビューから40年、ずっと太田プロ。いったい何が起きたのか…」(前出・ベテラン芸能記者) 山田が「誰ひとり見てくれなかった」と不満を口にするのは、4月27、28日に歌舞伎座(東京・銀座)で行われた「長唄杵勝会」。山田にとって芸能生活40周年に名取・杵屋勝之邦を襲名する特別な公演だった。「確かに邦子さんにとってその日は大切な舞台でした。でも、彼女がその1回だけでキレたとは考えにくい。一時はテレビ界のクイーンといわれ、好感度タレント調査でもダントツの1位だった邦子さんのテレビ出演が激減したのは20年近く前。しかし、邦子さんの芸は今もピカイチです。それなのに依然として燻っている状況が続いていることに根深い問題があるのではないでしょうか」(事務所関係者) 都心に構える豪邸に、真っ赤な車を運転して帰ってきた山田に話を聞いた。 山田は少し上を向きながら、「20年ぐらい前かな、事務所の様子が変わっていってしまった」と話し始めた。「恩義のあった前社長が引退して会長に、その息子が新社長になってから、私のマネジャーが動いていない状態なんです。ほら、今もひとりでしょ? もう末期的なのよ」──事務所とうまくいっていない?「事務所は私に全然関心がないの。(今回の舞台も)私のプライベートなことだからって。でもさ、芸事でしょ?」──5月22日からは40周年記念公演『山田邦子の門』が始まりますが。「それも太田プロは関係ないの。何十年来っていう長年のつきあいがある仲よしのプロデューサーがお祝いで考えてくれたことで。だけど、事務所にはお金を落とすじゃない? 昔から30%は落としてきたから。現場に若手のかたがちょろっと見に来ていたけど、GWに入ったら全然来ないし(苦笑)。後輩にも仕事を流してあげてるのよ? だから、話し合いよ、話し合い」── 一度も話し合いはない?「今年に入って一度は“どうします?”“私のとこ、動いてないですよ”と。ただ、話をしてみると思いを抱えていたのは私だけじゃなかったみたいだったの。うちのタレントみんなが“邦子さんよく言ってくれました”って。ほかの事務所も同じようなことを聞いたから、いい機会だなって。こういううるさい人間が波風を立てるのもね」 恨み節を語りながらも終始笑顔だった山田は、こんな“夢”も語った。「私は、朝ドラも大河も映画もバンバン出てたんだけど、今は事務所の“役者部”が何にも動いていないのよ」 今だからできる役もある。そう水を向けると、「そうでしょ、樹木希林さん枠が空いたでしょ~(笑い)。って、全然足元にも及ばないけどもね」とニヤリ。 かつてない話し合いになりそうだ。※女性セブン2019年5月23日号
2019.05.10 07:00
女性セブン
不倫の慰謝料100万円時代に 離婚裁判で勝っても割に合わない?
不倫の慰謝料100万円時代に 離婚裁判で勝っても割に合わない?
 25年過ごした妻と“離婚約”をしていることをブログ明かし、大炎上したお笑いユニット『インスタントジョンソン』のじゃい(45才)。“離婚約”とは、じゃいの造語で、それぞれの家族の事情を鑑みて“期限”をつくり、表面上はごくフツーの夫婦生活を続けた、あるいは続けている夫婦の状態を指す。 そんな“離婚約”や離婚時の慰謝料について、2児の父でもあるじゃい、9才年上の夫と結婚17年目の山田邦子(57才)、3年前につちやかおりと離婚、3児の父である布川敏和(51才)、既婚で1児の母であり弁護士の堀井亜生氏(40才)、の4人が語り合った。布川:つちやさんがデート写真を撮られた時、おれの弁護士の友達は絶対勝てるからって裁判を勧めてくれました。堀井:慰謝料は、損害や心の傷を金額に直して裁判官が認定するのですが、この10年間でかなり安くなりました。多分、社会的に「不倫」が増えて、心の傷としてみなされる額が少なくなったからでしょう。昔300万円だった慰謝料が200万円になり、今100万円切るかもしれないっていわれているんですよ。仮に不倫の慰謝料が100万円だったら時間と裁判費用かけて、割にあいませんよね。布川:そうそう、とったところでそれぐらいかって思っちゃったもん。時間とお金かけて、相手との溝も深まって…。30年間、おれのこと面倒みてつきあってくれたんだから、彼女が再スタートきって幸せならそれでいいかなと。山田:別居してたのもよかったんじゃない?布川:そうね、一緒にいたら冷静になれなかったかも。洗濯なんて初めてやるわけだし、離婚までの勉強期間みたいなもの。別居って「離婚約」に近いような気がする。じゃい:ぼくみたいに何もできない人は、いきなり「離婚だ」って言われても、離婚後どうやって生きていけばいいかわからない。結婚前に婚約したり同棲して準備をするように、離婚するときも一度離婚約を結んで、別居するのがいいかも。──とはいえ、じゃいのように子供が小さな場合、親権問題は深刻だ。平成27年離婚件数のうち、未成年の子がいる離婚は全体の58.4%。その中で親権者が妻となる割合84.3%。夫となる割合12.1%。夫妻が分け合う割合は3.6%だという(平成29年・厚生労働省調べ)。そんな背景もあって、この5月ココリコの田中直樹(46才)が小日向しえ(37才)との電撃離婚を発表した際、2人の息子の親権を田中が持つことになったことも衝撃をもって受け止められた。田中と小日向の間ではいまだ条件面での協議が続いているともいわれている。堀井:親権争いになったときは、最終的に裁判所が決めるのですが、以前は「母親が優先」という考えが中心で、ほぼ親権は母親でしたが、今はそれだけでなく、監護をしていた人(実際に面倒を見ていた人)という考え方になってきました。共働きも増えて父親が監護するケースも増えたので父親が親権者になるケースも増えました。子供の件は、布川さんのところはどうでしたか?布川:うちは戸籍上はおれなんだけど、監護権はつちやさんにということになりました。当時は娘が思春期の高校生だったので、新たな男性の出入りだけはやめてほしいとお願いしました。じゃい:離婚に関する法律で今と昔で変わったことってあるんですか? 堀井:離婚に関する法律自体は昔も今もまったく変わっていませんが、解釈がずいぶん変わってきました。例えば、別居期間。以前は5~10年といわれていましたが今は3~5年で離婚が認められます。子供の面会も「母親が嫌がれば子供をお父さんに会わせなくていい」という考え方が普通だったんです。 「男性には愛情がないから、会わせる必要がない」って裁判官に言われて、ものすごく腹が立ったこともあります。今は夫婦がいがみ合っていても「子供のために会わせるべき」と裁判所が考えるようになって、一歩前進ですね。山田:で、フッくんは今、つちやさんとどうなの? 布川:いい友達ですよ。ぼくが仕事で泊まりのときは犬を預けたりね。この間は高校生の子供の運動会に行って、つちやさんと一緒にスタンドで応援。まわりはビックリしただろうけど(笑い)。ホント、ぐちゃぐちゃにトラブってけんか別れしなくてよかったな…って、しみじみ思いますよ。堀井:こういういい終わり方をする人は理想だけど、少ないのが現状です。別居という離婚約によってお互いが冷静になれて、お子さんのことをちゃんと考える時間が持てたのがよかったのでしょう。山田:それにしても時代よね、こうやって離婚についてしゃべるなんて。浅丘ルリ子さん(76才)と石坂浩二さん(76才)や、野際陽子さん(享年81)と千葉真一さん(78才)がツーショットで離婚会見をやった時代は、すごく珍しくてそれはカッコよく感じたわよねぇ。布川:そうでしたね。昔は離婚とかしゃべっちゃいけない空気がありましたよね。山田:時代は変わったわけですからどんな夫婦も1度は、お互い「離婚約」について真剣に話した方がいいかもしれないね。布川:確かに。突然、さよならされる前にね。じゃい:さっそく家に帰って、嫁と話し合ってみます!※女性セブン2017年7月13日号
2017.07.05 16:00
マネーポストWEB
離婚時の財産分与、ローンが残っている家の場合は?
離婚時の財産分与、ローンが残っている家の場合は?
 かつては、ひとたび愛を誓えばそれは永遠で、離縁ともなれば、当人同士ではなく、ひいては親の育て方などにも問題があったかのように白い目で見られてきたもの。しかし時代は変わり、2分おきに1組の夫婦が離婚しているといわれている。離婚を考えるとき、さまざまな問題が頭をかすめる。『女性セブン』では、25年過ごした妻と“離婚約”をしていることをブログ明かし、大炎上したお笑いユニット『インスタントジョンソン』のじゃい(45才)、9才年上の夫と結婚17年目の山田邦子(57才)、3年前につちやかおりと離婚、3児の父である布川敏和(51才)、既婚で1児の母であり弁護士の堀井亜生氏(40才)の4人の座談会を敢行。その中で、山田と堀井氏が「財産分与」について語り合った部分を紹介する。山田:私の身の上を話すと、まず、私は後妻で、主人は子供や孫もいるという状況。でも私には子供がいなくて子育てをしていない。結婚してから17年経つけど、お互いの財布の中身はいまだに別々。私はほとんど家事をやらず、彼が全部やります。それで、大きいお金を出すのは全部私なんです(笑い)。──2000年に9才年上の男性と5年の交際を経て結婚した山田。彼は人気バラエティー番組を多数手がける制作会社の代表をつとめるイケメンで、当時は大きな話題となった。山田が2007年に乳がんを患い闘病生活に入ると、彼は発覚から克服するまでつきっきりで看病し、山田の心の支えとなったという。しかし…。山田:まあ、お互い飽きてるといえば飽きていて、一緒にいる理由もよくわからない。だけど別れる理由もない。こんなんだったら離婚した方がいいんじゃないかって1000回ぐらい話してるんだけど、彼が離婚を経験しているので面倒くさいらしく。なので、私は離婚というより、未亡人を希望しているんです(笑い)。それでたまに考えるのよ、財産分与。旦那は私が買った家に一緒に住んでいるわけで、離婚したらどうなるんだろう…って。 それで、ずいぶん昔、母に相談したら、「今住んでいる家は、私(母親)の名義になっているからとられないよ」って。ただセカンドハウスは主人と一緒になってから買ったもので、主人の名義になっているものもあるので、これはあげるんだろうな…って。堀井:お母さん名義の家でも邦子さんの結婚後の稼ぎで買った場合には、夫婦の共有財産と判断されます。ご主人名義のセカンドハウスも同様です。「名義」は誰でもお金の出どころが結婚後の夫婦からのお金であれば共有財産になります。邦子さんがもし離婚した場合、財産分与の対象になるのは結婚後に増えたものだけです。 山田:ローンが残っている家の財産分与は? 堀井:これは厄介。住宅ローンが残っている家の処理を巡って協議が難航するケースがよくあります。家の価値が高く売却額がプラスであれば、差額を夫婦で分けるというのが基本です。 ところが、「マイナスの場合は、夫婦共有財産でも分けない」というルールがあります。例えば、邦子さんが購入した家で、名義がご主人という場合。その家の価値が1000万円で、ローンが2000万円残っているとします。このマイナス1000万円の家は「経済的価値なし」と判断され、財産分与の対象にはなりません。 家を購入してもしばらくはローンの方が高いので、財産分与でプラスになる家は本当に少ないんです。山田:やはり未亡人を希望します(笑い)。 堀井:『女性セブン』の読者には妻が専業主婦で収入がないかたも多いかもしれませんが、その場合でも、家事労働により資産形成に貢献したと考えられ、財産分与を請求することができます。※女性セブン2017年7月13日号
2017.07.03 15:00
マネーポストWEB
「離婚約」宣言のじゃい 布川敏和、山田邦子と語り合う
「離婚約」宣言のじゃい 布川敏和、山田邦子と語り合う
《じつは今、嫁と“離婚約”をしている。(現在、2歳の息子が小学校に入る)4年後、嫁は息子2人を連れて出て行くらしい。(嫁さん曰く)慰謝料や養育費はいらないが、今まで嫁に渡したお金は貰うんだと。息子と会うのは問題ないが、家には来ないでくれと言われている。嫁は再婚する気でいる。まあいいでしょう》(本文ママ) お笑いユニット『インスタントジョンソン』のじゃい(45才)が、自身のブログで綴ったこの文が大炎上している。「不愉快極まりない」「子供の気持ちを全然わかっていない」などと厳しい意見が。その一方で「別れる前にいろいろ決めておいたほうがよい」「無理に結婚生活を続けるのは子供にとってもよくない」と共感の声も駆け巡った。 離婚約──初めて聞く人も多いだろう。これはじゃいの造語ではあるが、形としては、いわゆる仮面夫婦の1つ。彼のように“子供が〇才になるまで”というケースもあれば、両親がそろっていることが暗黙の了解である“私立のお受験が終わるまで”など、それぞれの家族の事情を鑑みて“期限”をつくり、表面上はごくフツーの夫婦生活を続けた、あるいは続けている夫婦の状態を、じゃいは“離婚約”と呼んだのだ。 かつては、ひとたび愛を誓えばそれは永遠で、離縁ともなれば、当人同士ではなく、ひいては親の育て方などにも問題があったかのように白い目で見られてきたもの。しかし時代は変わり、2分おきに1組の夫婦が離婚しているといわれている。今や、バツイチくらいならばもはや珍しくもなく、むしろ“バツイチモテ”とまでいわれるようにもなったほどだ。このように夫婦のあり方が多様化しているゆえ、じゃいの発信した“離婚約”という言葉は多くの人の胸に響いたのだろう。 そこで、じゃいに加えて、3年前につちやかおりと離婚した布川敏和(51才)、9才年上の夫と結婚17年目の山田邦子(57才)、そして既婚で一児の母である堀井亜生弁護士(40才)の4人で、結婚や離婚について語ってもらった。山田:ずいぶん、ブログが炎上したみたいじゃない。じゃい:そうなんですよ。まずヤフーニュースになって「不愉快」「子供がかわいそう」と、反応が穏やかではなくて、もうビックリですよ。布川:奥さんとうまくいかなくなったのは、どうして?じゃい:ぼくが子供の面倒を見なかったり、家事をしなかったり、帰りが遅かったり。嫁の負担が大きすぎたんでしょうね。山田:きっかけはあったの?じゃい:結婚記念日がバレンタインデーなんですが、4年前のその日にラインを送ったんですよ。「今日は結婚記念日だね。これからも幸せでいようね」って。でもそれが既読スルーだったんです。このへんから、向こうがイラッとすると離婚の話を持ち出され、それがどんどん具体的になっていったんです。堀井:具体的とは?じゃい:「4年後に離婚しよう」「引っ越し先決めている」「お金はこうしよう」と。山田:あぁ、信号はちょいちょい出てましたね。その時、彼女はちゃんと向き合ってほしかっただろうし、「そんなこと言うなよ。おれが悪かったよ」なんて言葉も欲しかったと思うよ。それがなかったからバーンと爆発した。じゃい:ぼくは典型的なダメ夫で、夫スキルはほぼゼロ。でも、ぼくだってぼくなりにやっているんですよ。この間はおみそ汁も作ったし。山田:具は?じゃい:わかめとねぎです。山田:それって奥さんが好きな物?じゃい:…どうだろう。女性陣:あ~わかってない!堀井:それにしても、奥様に言われっぱなしなんですね。反論はしない?じゃい:自分からは何も言わないですね。昔から何か言われるとすぐちゃかすところがあって。嫁が「再婚したい」って言うと、「君はモテないから見つからないと思うよ」なんて言ったり。布川:でもさ、じゃいさんは今でも好きなんでしょ?じゃい:もちろんです。ぼくはもし別れても再婚する気ないし、彼女もいらない。嫁以上に好きになる人って現れないと思うし。でもつい先日、アウトだなと思う出来事があって。嫁はずっと前から頭痛持ちで、長いこと悩んでいたんです。それである日、「私、頭痛の原因がわかった。お前だ!」って言われて。ぼくがいなくなって、頭痛がなくなるんだったら離婚を選んだ方がいいかもしれないって思ったんです。ぼくは心の底から彼女には幸せになってほしいんです。それが「愛」っていうもんじゃないですか?女性陣:うざ~~いっ! きれいごとっ! 山田:じゃいさんは正しいことを言っているつもりかもしれないけど、その発言、女子はちょいちょいイラッとくるんだよね(笑い)。そこが女と男の難しいとこね。布川:男ってバカだから気づかないんですよ。ほら、おれも3年前に同じだったじゃん。ちょうど6月23日に離婚してから、丸3年なんだけどさ。おれの場合は向こうから“いつ離婚します”っていうのはなかったんだけど、2~3泊、地方ロケ行って帰ってきたら、嫁さんがすでに荷物持って出ていってた…っていうパターンだから。◆布川敏和、つちやかおりとのやり取り語る〈布川は1991年に高校の時からつきあっていたつちやかおり(52才)と結婚。1男2女をもうけるも、2013年から別居。2014年5月につちやと都内割烹料理店店主の手つなぎデートが『週刊新潮』に報じられ、その1か月後、23年の結婚生活に終止符を打った〉じゃい:布川さんがアウトだと思ったのはどういうときだったんですか?布川:おれもじゃいさんと一緒で、家事はほぼ丸投げ。しっかりした奥さんだったから安心しきって家のことは全部任せっぱなしだったんだよね。そのうち、なんとなく夫婦の間に距離が生まれてギクシャクしてきて…。いつしか、手料理じゃなくて、お総菜が並ぶようになりましてね。山田:離婚あるあるね。布川:それでお互いギクシャクした流れで、ある日、ぼくの車でお盆の墓参りに出かけたんです。そのとき彼女が助手席ではなくて、後ろの席に乗ったわけですよ。おかしいでしょ、後部座席って(笑い)。それで息子が20才を超えたころ、ふたりの間で楽しい会話が一切なくなったので、ぼくから「もう仲よくしようよ。おれに悪いところがあったら、全部直すから」って言ったのよ。そうしたら彼女が、「いや、今、直してもらうことない」と。全員:爆!布川:その時、上の子が20才で下が高校生。子育ても一段落。彼女は子供とおれの面倒を一生懸命30年もやってきて、亭主といえば家のことなんて何もやらない。「自分はこの先、このままでいいのかしら」って、人生の再スタートを考えても当然だよね。それに彼女は20年ぶりに芸能界復帰して、今までの平和なママ友から、シングルマザーの友達が増えて、そりゃあたくさん離婚のアドバイスももらえる。夜の外出や朝帰りも増えてついに別居。で、おれは世間体もあって、別居していたのを周囲に黙っていたんですよ。いつバレるんだろうって、ドキドキしながら。そうしたら、彼女が男の人と手をつないでいるところをスクープされて。山田:まさに再スタートね。女って逞しいなあ。堀井:離婚の計画を立てるのは女性です。女性は「子供が○才になったら、こういう条件で離婚したい」と、将来を見据えた相談が多い。一方で男性は「今、離婚したい」「離婚しようか迷っている」と、“今”の悩みがほとんど。女性は子供を中心に考えるので、計画的なんだと思いますよ。じゃい:男は今のことでいっぱいいっぱいですから。彼女の考えを理解する余裕がない。堀井:どうやら、布川さんもじゃいさんも、奥さんの不満をキャッチできなかったんですね。「もっと男らしくしてほしい」とか、「もっと話を聞いてほしい」と、たくさんSOSを出していたのに、まったく受け止めてこなかった。布川:もっと男らしくって何? 「おれについてこい!」って力こぶ出せばいいの?女性陣:違~~うっ!(怒)堀井:離婚するならするで、しないならしない。「きみの好きなようにしていい」「きみが幸せならそれでいい」って曖昧に言われるのがいちばん、女子は嫌いです。山田:男って女の不満の限界を理解できないんだなぁ。堀井:ちなみに口頭での約束はもちろん、書面での約束であっても「離婚約」に法的な強制力はないんです。その時こういう条件で離婚したかったという以上の意味はありませんし、将来離婚したくないとか、その条件は嫌だと言うこともできます。じゃい:確かに嫁もそうです。最初は「4年後」って言ってたのに、ついこの間は「夏までに別れる」って言ってきて…。住むところも近所のドラッグストアの2階とか、ものすごくリアルに話してきました。山田:薬局なら頭痛が起きてもすぐに薬も買いに行けていいんじゃない?(笑い)堀井:ですから真剣に考えているのであれば、後でもめないよう、お互いのために書面は残しておいた方がいいかもしれませんね。それはきちんと代理人を立てたり、公正証書である方がベターです。※女性セブン2017年7月13日号
2017.06.30 11:00
女性セブン
故川島なお美さん 5千万円の墓にはロマネコンティ像
故川島なお美さん 5千万円の墓にはロマネコンティ像
 梅雨の合間の突き抜けるような青空の下、参列者のワイングラスに注がれたのは「Chateau Le Pin POMEROL」の1992年物。年間8000本ほどしか生産されない希少な赤ワインで、1本40万円前後とされる。「墓前には白菊ではなく真っ赤なバラ、それに参列者で一緒にワインを飲む納骨式は初めてでした。でもそれって川島さんを偲ぶのにはぴったりだなって」(参列者の1人) 350年の歴史がある東京・麻布十番のある古刹。6月10日、昨年9月24日に胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)の納骨式が執り行われた。 参列者はおよそ50人。夫でパティシエの鎧塚俊彦氏(50才)のほか、川島さんの親族、愛犬のココナッツ、そして生前親しかった山田邦子(56才)や作家の林真理子氏(62才)、作曲家の三枝成彰氏(73才)など。彼女が憧れていた女優の倍賞千恵子(74才)は挨拶で、「これからもっと親しくしたかったのに、私よりも若くておきれいな川島さんが先に逝ってしまうなんて…」と言葉少なに故人を偲んでいた。 納骨式でひときわ視線を集めていたのは、個性的な墓石だった。 鏡のような輝きとともにそびえ立つ黒い石の塔には丸く大きな穴が空いている。その竿石のてっぺんには、今脱いだばかりのように見えるつばの広い帽子がデザインされ、さらに、石塔の手前には、川島さんが愛したワイン「ロマネコンティ」の1960年物(川島さんの生まれ年)のボトルが精巧に作られている。 香炉が乗った石の台には『YOROIZUKA』の文字と共に、ワイングラスを握った2匹の犬が、仲がよさそうに顔を寄せ合っているイラストが刻まれている。それはおそらく、参列したココナッツと、彼女が亡くなる直前にこの世を去った愛犬シナモンだろう。「鎧塚さんがデザインしたそうです。当日の挨拶でも、“亡くなった後も女優としての魂を大切にしているので、こういうお墓を作った”とお話しされていました。普通の墓石なら1か月ほどでできるそうですが、鎧塚さんはデザインを何度も修正し、職人が手作業で石を彫り込んだので、発注から完成まで4か月以上かかったそうです」(夫婦の知人) 一般に納骨は四十九日の法要の後に行われるが、川島さんの場合は9か月も要した。 最愛の妻とまだ離れたくない、側に置いておきたい、そして美しい妻らしいお墓に入れてあげたいという鎧塚氏の思いが、墓石へのこだわりと長い制作期間に繋がったのかもしれない。「このお寺のお墓の1区画は1m×1m。川島さんの場合はそれでは狭かったので、1.5区画を使っています。永代供養料や年間管理費を合わせると1000万円を超えます。それに墓石の額を加えると、費用は5000万円近くになるのではないでしょうか」(寺院関係者) この寺を永遠の眠りの場として選んだのは川島さん自身。親交のあった奥田瑛二・安藤和津夫妻や三枝氏がここに墓を持っていることから、死後も“墓友”として近くで過ごせるよう、購入を決めていたそうだ。「川島さんは生前、鎧塚さんと一緒に下見をしていました。それから、このお寺は春になると桜がきれいなのですが、その時期に奥田さん夫妻と一緒にお花見を楽しんでいたこともあり、楽しい思い出のあるここを選んだのでしょう。生き残った側が、先に亡くなった側にお線香をあげて供養したり、お墓の掃除もしたりしようという話もされていたそうです」(別の寺院関係者)「もし私が先に逝ったら、墓石にワインをかけてね」と“墓友”に語っていたという川島さん。天国に届いた芳醇な赤。生前の元気な彼女が目に浮かぶ。※女性セブン2016年6月30日号
2016.06.17 07:00
女性セブン
『笑っていいとも!』の公開生放送が行われていたスタジオアルタ(公式HPより)
スタジオアルタ休業 公開生放送減少などTVの危機との指摘も
 3月31日でスタジオとしての営業を休止することが明らかになったスタジオアルタ。1980年4月にスタジオとして稼働が始まり、『笑っていいとも!』などバラエティーの公開生放送のスタジオとして数多くの歴史を刻んできたが、このほど36年の歴史に幕を閉じることになった。このニュース、単なる一スタジオの営業休止ととらえられているが、「テレビの危機がある」と指摘するのはテレビ解説者の木村隆志氏だ。スタジオアルタ閉鎖から見えてきたテレビ界の現状と課題とは? 木村氏が解説する。 * * *『笑っていいとも!』が終了して早2年、やはり「スタジオアルタの休業」というニュースには隔世の感があります。休業に至った理由は、「施設の老朽化」とされていますが、実質的にはテレビ業界を取り巻く変化によるところが大きいでしょう。 真っ先に挙げられるのは、テレビ番組の制作費削減による影響。各局とも自前のスタジオで撮影を行うことで、設備費、警備費、観覧者対応スタッフの人件費などが削減できます。 次に考えられるのは、公開生放送の番組が減ったこと。かつてスタジオアルタは、「公開生放送の聖地」と言われ、関東のみならず全国の人々が憧れを抱いていましたが、現在は公開生放送の番組自体がほとんどないのです。 かつて公開生放送の番組は、熱心なファンが集まって独特のムードを作り、爆発的な盛り上がりを見せる「テレビ番組の華」でした。しかし、最近はかつての『8時ダョ!全員集合』(TBS系)、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)、『笑っていいとも!』のような「この番組が本当に好き」「ぜひ生で見たい」という熱心なファンのいる番組が少なくなっています。 生放送の番組自体は増えているものの、報道番組や生活情報番組ばかりで、「何が見られるんだろう」とワクワクさせるタイプのものがありません。『笑っていいとも!』終了後、スタジオアルタをレギュラー使用できる公開生放送の番組がなかったことが、それを証明しています。 たとえば、『バイキング』(フジテレビ系)は「生激論」企画などで攻めの姿勢を見せていますが、熱心なファンを入れて華々しくやるような内容ではなく、『ヒルナンデス』に至っては生放送なのにVTRがほとんど。コンプライアンス、BPO、ネット批判を気にするあまり、制作側は無難な企画に走り、出演者も無難なコメントに留めがちなため、「何が起きるか分からない」「ドキドキハラハラする」生放送の醍醐味があまりないのです。 思えば、スタジオアルタの人気に火がついたのは、『笑っていいとも!』の前に放送されていた『笑ってる場合ですよ!』でした。漫才ブームを背景に、ツービート、B&B、紳助・竜介などの人気者がそろい、山田邦子さんやダウンタウンを輩出した『お笑い君こそスターだ!』のようなコンテスト企画や、『勝ち抜きブス合戦』のような驚愕の素人参加企画など、各コーナーが生放送らしいハラハラドキドキであふれていました。『笑っていいとも!グランドフィナーレ』があれほど支持されたのは、そのような生放送らしいハラハラドキドキが詰まっていたからです。 スタジオアルタに話を戻すと、12時からの『笑っていいとも!』と、13時からの『いただきます』(フジテレビ系)は、観覧者を変えずに続けて生放送していました。そのため、『笑っていいとも!』レギュラーの明石家さんまさんがそのままステージに残って、『いただきます』司会の小堺一機さんと話し出したり、スタッフによるセットチェンジが映ってしまったりなどの臨場感やハプニングがありました。 そんな公開生放送らしい臨場感やハプニングは、「VTRを流してそれをスタジオで見る」「ワイプ、テロップ、笑い声などの演出を多用する」昨今のバラエティー番組では得られないもの。ステージの上だけで勝負しているから、出演者も観覧者も集中力が上がり、「面白ければ爆笑が巻き起こるし、つまらなければ沈黙されてしまう」という緊張感が生まれるわけです。 生放送ではなく収録にして観覧者を呼ばなければ、先に挙げた経費削減のほか、個人情報の取り扱い、乱入や暴言などのリスクはありませんが、それを気にするあまり「テレビ番組が無難なものばかりで、どのチャンネルも大差ない」という方向に進んでいるのが気がかりです。スタジオアルタで行われていた公開生放送は、テレビ番組を代表する面白さの1つだっただけに、それが失われてしまうことに危機感を抱かずにはいられません。 だからこそ3月31日に行われる、「スタジオアルタ最後の公開生放送」には注目しています。番組は、独立局ならではの過激さが売りの『5時に夢中』(MXテレビ)。「現在の生放送番組では最もコアなファンが多い」と言われる番組だけに、ハラハラドキドキのフィナーレを飾ってくれるのではないでしょうか。【木村隆志】コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者、タレントインタビュアー。雑誌やウェブに月20~25本のコラムを提供するほか、『新・週刊フジテレビ批評』などに出演。取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーでもある。1日のテレビ視聴は20時間(同時視聴含む)を超え、ドラマも毎クール全作品を視聴。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。
2016.03.19 07:00
NEWSポストセブン
アンジー、アグネス、邦子、希林… 乳がんと闘った女性たち
アンジー、アグネス、邦子、希林… 乳がんと闘った女性たち
 健康そのものの北斗晶(48才)が、ブログで6366字の衝撃の告白を、病床から綴ったのが9月23日。乳がんに侵され、右乳房摘出手術を受ける前日のこと。 七夕の夜に胸の細胞からがんの陽性反応があり、セカンドオピニオンでも乳がんは陽性。それから彼女の葛藤が始まった。「元気な埼玉のおばちゃんだから仕事があるのに…」と病気のことを秘密にしようと考えたが、主治医に「胸の事より今は5年先、10年先を生きることを考えましょう」といわれ、「私だからこそみんなが乳がんの話に耳を傾けてくれるかもしれない」と公表を決意する。そして手術は、無事終了した。これから北斗の長い闘病生活が始まるが、家族の支えでその日々を乗り越えてくれることを信じたい。 女性の12人に1人は罹るといわれる乳がん。有名人の中でも、乳がんと闘った女性は少なくない。 たとえば母が乳がんにかかり、10年近く闘病生活を送った末に逝去した過去を持つアンジェリーナ・ジョリー(40才)。変形遺伝子の検査を受け、将来乳がんになる可能性は87%と知らされ、予防のため2013年2月、両乳房の切除手術を受けた。精密検査の結果、病巣はなく乳首・乳房を温存できることが判明。3か月、4回の手術でインプラントを詰め込む乳房再建手術も完了。当時まだ結婚はせずパートナーだったブラッド・ピット(51)がずっと病室につき添っていた。 山田邦子(55才)は、がんを発症しやすい家系に生まれたのだという。自分で触診をしていたときにシコリを感じ、乳がんの検査を受けたところ2007年に3つのがん細胞が見つかった。2度の摘出手術の後、ホルモン治療を続けた結果、5年後に乳がんを克服。乳がんの早期発見、早期治療を呼びかけている。 樹木希林(72才)は、2005年に乳がんの切除をしたが、2年後くらいから数か所に転移。医師から、“全身がん”と説明され、ピンポイントで放射線治療をしている。死への覚悟は常にあるそうで、「孫の声の聞こえるところで死にたい」と娘婿の本木雅弘(49才)に伝えてある、とテレビ番組で明かした。 2007年、体内の粘液の中にがんが浮いているという乳がんにかかり摘出手術を受けたのは、アグネス・チャン(60才)。三男のスタンフォード大の入学式から帰り、北斗の乳がん手術について聞かれ、「精神的に負けないこと。元気になったら早めに仕事復帰すること」とアドバイスをした。 麻木久仁子(52才)は、2012年に人間ドックでマンモグラフィーと超音波検査を受け、早期の乳がんと判明。特に右乳房はがんが乳首の近くだったので再手術となり、ギリギリのところで乳首は残った。今もホルモン治療と3か月に1度の検診を受けている。※女性セブン2015年10月15日号
2015.10.02 07:00
女性セブン

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