カラー化される前のきのこ雲
このプロジェクトがスタートしたのは2017年。渡邉教授が取り組む「ヒロシマ・アーカイブ」の証言収録など平和活動に積極的に取り組んでいた庭田さんと出会い、自動カラー化の技術を教えたことがきっかけだった。広島で生まれ育ち、平和学習に触れてきたという庭田さん。幼い頃は戦争がもたらした悲惨な光景を受け止めきれず、どこか遠い異世界で起きた出来事のように感じていたと明かす。
「ところが小学5年生の時、現在の平和公園の様子と原爆投下前の様子を見比べられる資料を目にして衝撃を覚えたんです。公園がある場所にはかつて中島地区という繁華街があって人々の暮らしがあったのに、戦禍でその日常が一瞬にして奪われてしまった。当時の写真を見たことで戦争を自分として想像することができました。そして広島に生まれた者として被爆者の思いを受け継ぎ、伝えていきたいと考えるようになったんです。
高校1年生の夏にはドキュメンタリー番組で紹介されていた、かつて中島地区に生家のあった濵井德三さんと出会いました。そして戦前に撮影されたご家族とのしあわせな日常を写した白黒写真を見せていただくことができました。奇しくもそのタイミングで渡邉先生からカラー化した写真を見せていただくと、過去の人々がまるで今この時代を生きているかのように感じられました。どうか被爆者の方々にも『亡くなられたご家族をいつも近くに感じて欲しい』と願って、戦前・戦中のモノクロ写真をカラー化する活動を始めたのです」(庭田さん)
カラー化した写真をもとに対話することで、様々な“奇跡”が生まれてきたという。
「濵井さんはカラー化された家族写真を見ながら『家族がまだ生きているようだ』と話され、当時を振り返るうちにモノクロ写真では思い出すことのなかった家族の記憶が呼び起こされました。
また、認知症を患い、写真を見てもご自身が写っているかどうかわからない様子だった中島地区の元住民のかたはカラー化した写真を見て微笑み、その後、写真が撮られた際の想い出を活きいきと克明に語り始めました。その様子にはご家族も驚き、とても喜んでくださいました。お話をする中で、私が花や葉の形からシロツメクサだと思って白くしていた花が、実はたんぽぽだったことも教えていただき、その『記憶の色』をもとにひとつひとつの花を黄色く補正し直しました」(庭田さん)