買い物がはかどったとみられる中島
前述の通り、中島が母親について語ることはきわめて少ない。だが約40年前に母親と東京で暮らし始めた頃、彼女は新居について問う『週刊宝石』(1982年10月16・23日号)の取材に、めずらしくこう答えている。
《仕事はやはり東京が多いので、母親も年をとったし、1日でも一緒に住みたいっていうところです》
しかし2014年に母親の体調が急変した。一日でも長く一緒にいたいと願う娘の必死の介護も及ばず、この年の末に母親は息を引き取った。中島は母親に残された時間を感じていたのかもしれない。
「2014年の『マッサン』の主題歌を最初は引き受けるか迷っていたみたいです。みゆきさんの曲は、さわやかな朝には向かない人の本質を描くような作品が多かったですから…。
でも、物語のすばらしさと、お母さんが大の朝ドラファンだったことが決め手のひとつになった。故郷の北海道を思わせる『麦の唄』は、お母さんの介護をしながら、家族4人で幸せに暮らしていた頃を思い出した彼女なりの郷愁だったのかもしれません。
夜型だったみゆきさんはこれまで一度も朝ドラを見たことがなかったみたいですが、お母さんがあまりにうれしそうに見るので、一緒に見て感想を話したりしたようですよ。でもお母さんは『マッサン』の最終回を迎えることなく、亡くなってしまって…。
みゆきさんは決して人に明かしませんが、大きな悲しみを背負ったはずです。2017年に発表した『慕情』もお母さんへの思いをしのばせるような内容の歌詞です」(前出・中島の知人)