特にテレビ出演は希少で、2002年の『NHK紅白歌合戦』で『プロジェクトX』の主題歌だった「地上の星」を歌い、2014年の紅白でNHKの朝ドラ『マッサン』の主題歌「麦の唄」を熱唱した以外はほとんど出演していない。
また、プライベートも秘密のベールに包まれている。1980年代後半に、あるギタリストとの“朝帰り”を写真誌に撮られ、2003年に舞台演出家との交際が報じられた以外は、恋のウワサもほとんどなく、古希を控えた現在も毅然として独身を貫く。
だがそんな中島の人生に大きな変化があった。
「実はいまから6年前の2014年末、みゆきさんは最愛の母を病気で亡くしています。彼女はそのことを公表していませんが、いまも毎日、亡き母親を胸に思い浮かべながら過ごしているんです」(中島の知人)
これまで中島は母についてほとんど語っていない。
「彼女は産婦人科医だった父親についてはたまに口にすることがあり、1976年に父親が逝去したのちは『まつりばやし』という歌で父への思いを明かしました。1994年出版の自著『ジャパニーズ・スマイル』(新潮社)では『私はファザコンである』と宣言しています。しかしその一方で、みゆきさんが母親について公に語ることはほとんどありません」(中島を知る音楽関係者)
中島は北海道生まれ。父、母、弟の4人家族で、幼い頃は産婦人科医だった父の勤め先の都合で道内を転々として育った。
「父親は厳格なかたで、子供たちを厳しくしつけていました。母親は山形の名家の出身で、近所でも評判の美人。幼いみゆきさんは両親を『お父さま、お母さま』と呼んでいたそうです」(前出・中島の知人)
2010年頃、母親が自宅で転倒してひとりで歩けなくなり、車いす生活を強いられるようになった。
「みゆきさんは忙しい毎日のなかでもヘルパーや家政婦を雇わず、自分の手で率先してお母さんを介護していました。タクシーで一緒に出掛けるときには、折り畳み式の車いすを出し入れしてお母さんに寄り添っていました。彼女にしてみれば、苦楽をともにした母親を、何があっても最期まで看取るつもりだったのでしょう」(前出・中島の知人)