光秀ゆかりの城も(写真は福知山城/共同通信社)
コアなファンからも、心配の声がある。定年退職後は城巡りが趣味だという60代男性はこう話す。
「石垣といっても、自然の石をそのまま積み上げた『野面積(のづらづみ)』、ある程度加工した石を積む『打込接(うちこみはぎ)』、均等な大きさに整形した石を使う『切込接(きりこみはぎ)』など加工の違いがあるし、積み方にも色んな種類がある。石垣を見れば積まれた年代がわかるし、『扇の勾配』などの独特の積み方、石材の大きさや高さで時代背景や大名の威勢もわかる。どういった経緯で天守が失われたのかを調べてみたり、当時の石垣だけが残っているほうが、その城の歴史を楽しめると思うのですが……」
1991年に国が城の天守などを復原する際の基準が設けられるまでは、史料がないのに、観光客目当てで、そもそもかつて天守があったのか不明であるにもかかわらず建てられたものも全国に50以上ある。かつてのように安易な復元が行われてしまうおそれはないのか。
建造後に図面が見つかったら?
文化庁の担当者は「石垣が保護されるかといった点はきちんとチェックする。1991年以前のようなルーズな状態にはならない」と説明する。ただ、「復元的整備」を認めるかの判断は専門家が担う。
文化審議会専門委員などを務めてきた中川理・京都工芸繊維大学教授(建築史)に話を聞いた。
「今回の新基準は文化財を“保存”するだけでなく、“新しくつくる”という方向に踏み出したもの。これまでの文化財行政にはなかった画期的なものだと思います。
ただし、個別の事業ごとに注意は必要です。たとえばすでに具体化している名古屋城(愛知)の木造天守の復元計画は残された精緻な図面に基づくものですが、これから出てくる他の事業は正確な史料が残っていないケースがほとんどのはず。新基準は史料が十分でない場合、多角的に検証して再現するとしますが、行政が観光誘致の目的を優先して、歴史的証拠に基づかない“なんちゃって天守閣”にお墨付きを与えることがないよう、慎重さが求められます」
当然、各自治体は復元に前のめりになる。名古屋城以外にもすでに再建計画は数多くある。
「高松城(香川)はかつて海に面して建つ四国最大の天守だったが、1884年に老朽化のために解体された。市は再建に向けて発掘調査などを行なってきたが、内部の設計図が見つかっておらず、懸賞をつけてまで情報を集めようとしてきた。CGの復元画像を載せたパンフレットを作るなど、再建は市をあげての悲願だっただけに、新基準は朗報だ」(地元紙記者)