千葉:生きるというのは無意味だからこそ無限の意味があると、仏教では説いています。人が人である理由は無意味だからこそあるわけで。暇をつくって、雲が流れるのを一日眺めているような日も大切ですよ。
室井:役に立つとか、立たないとかを考えることなく、ただ雲を眺める。
千葉:意味を求めなくていいし、勇気が要ることですが、何もしない時間があってもいい。人はメリットや重要性を求めたときに人間性を失っていくものなのです。初恋の人がそばにいるだけでドキドキしてやるべきことが手につかず、何の役にも立たない時間を過ごしたものですが、だからこそ心がときめいて輝いていたし、初恋に意味など求めなかった。そうでしたよね(笑い)?
室井:そうでした(笑い)。年を重ねると若い人の面倒になるのは嫌だからと高齢者の施設に入ろうとして、「私は何の役にも立たないから」みたいなことをご自身でおっしゃるかたも多いですよね。
でも、私は何の役にも立ってなくても本当は構わないと思うんです。ただ一緒にいるだけでいい。ウチも呆けたばあちゃんと暮らしましたが、頭がシャッキリしているときに「私は何の役にも立たない」と言っていたんですよ。自宅で面倒を見るのはそりゃあ大変なこともありましたけど、それでも私は祖母がずっとそばにいてくれてありがたかった。
千葉:誰もが老いますし、大事な人を迷惑だなんて思いません。生まれるとか死ぬとか、年老いるということにもっと正直になっていいと思いますし、それこそ剝き出しに、心を裸にしていただきたい。人は誰しも存在そのものが揺るぎない現実であって尊いのです。
現代人は先の見えない時代に不安もあるでしょう。でもどうかそれだけに心を奪われず、剝き出しになった自分がこうして生きていることに喜び、わくわくも感じてもらいたいなと願っています。
自己満足を追求してみる
室井:役に立つか、立たないかの話で思い出したんですが、90才近いけど足腰がとても丈夫で毎日家の裏山を登っているというおばあちゃんをテレビで見たんです。その山に何かがあるわけではなく、頂上でボーッとして帰ってくるのが日課だそうだけど、午前中も登って、午後も登っているの。山に登ることで誰かの役に立つわけではないし、体力的にはきついこともあると思うけれど、山があるから登るんですって。