「上手さよりも強さ」目指したプロ時代
翌2006年、楽天イーグルスからのドラフト5位指名を受け渡辺はプロ入りする。
指名の打診を受けた時、「主力の自分が抜けてチームは大丈夫なのか?」とプロ入りを迷う渡辺の背中を押したのは、同期入社の三垣勝巳(現・東京農大北海道監督)と五嶋貴幸が掛けた「悩む必要なんてない。行けよ」という言葉だった。
プロ入りを目指していた二人には、複雑な感情もあったはずだ。同時に、自分の夢を託す思いもあったのかもしれない。それを聞き、渡辺は「勝負を懸けてみよう」と決意する。
プロ入りに際し、監督の垣野が送った言葉は「郷に入っては郷に従え」というもの。垣野自身も、選手たちにそれを求めてきた。
「どこのチームでも、トップのやり方、求められることを理解し、集中できないとレギュラーにはなれない」と渡辺は言う。
それが出来ていたからこそ、楽天で野村克也監督に出会い、社会人時代とは違う“つなぎ役”としての仕事を要求されればそれに応え、トレードで横浜DeNA、西武と所属チームが変わっても、常にそこで必要とされる選手になれたのだろう。
渡辺はプロ入りの時、「プロで活躍したい」というのはもちろんだが、「三菱ふそうの看板を背負って行く」という意識が強くあったという。
当時、まだ金属バット時代のなごりが残っていた社会人野球の打者は、プロから低く評価されることが多かった。そうした話題になると、よく三菱ふそうの選手の名前が挙がっていた。自分が活躍することで、そうした評価を覆したいという目標があった。
引退を決めるまで渡辺がずっと持ち続けたのは、社会人時代に身についた“上手い選手”より“強い選手”という思い。
「僕はプロの中では身体が小さいほうだし、なにか凄い武器があるわけでもない。それでも“強さ”では負けない自信がある」
そんな選手が、スター選手揃いの松坂世代の中で、野手ではいちばん最後まで現役を続けることになった。
渡辺がプロ入りした2年後、2008年限りで三菱ふそう野球部は休部となり、その歴史に幕を閉じている。渡辺の引退をいちばん寂しがっているのは、当時のチームメイトたちかもしれない。
●やざき・りょういち/1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てスポーツライターに。細かなリサーチと“現場主義”でこれまで数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)、近著に『松坂世代、それから』(インプレス)がある。