岸部さんはザ・タイガースのボーカル、“ジュリー”こと沢田研二 (72才)とも長らく距離を置いていた。
「そもそもジュリーにとってシローは、あくまでも“サリー(一徳)の弟”。解散後は、ほとんど交流はなく、2人で話すような機会はなかったでしょうね」(音楽関係者)
カネを失い、仕事を手放し、肉親にも頼らない。そんな岸部さんが強くこだわったのが、ザ・タイガースの再結成だった。2000年代初頭に始めたブログでも、たびたびその情熱を語っていた。その思いを密かに受け止めていたのが、沢田だった。
「ジュリーの頭の中で再結成はあったようですが、一歩が出なかった。そんな中、シローの思いに触れたんです。当時、ラジオ番組で“シローがもうすぐ60才になるから集まってやってもいい”と話し、再結成をにおわせたと聞いたシローは泣きながら喜んだ。ジュリーは交流の途絶えていたシローのトラブル続きの人生を傍目に見て、心配もしていたのでしょう。再結成はジュリーの“真心”なんです」(前出・音楽関係者)
再結成コンサートへの具体的な計画は、岸部さんの体調も考慮しながら進められた。熱意は実を結び、2012年1月、日本武道館の沢田のコンサートの舞台に、ザ・タイガースの二期のメンバーが揃った。普段はひょうひょうとしている岸部さんも、この日ばかりは感無量だったようだ。
「今日このステージに登れるのは全部ジュリーのおかげです。ありがとう!」
そう言って泣きながら沢田に抱きついた。
沈黙する沢田は、メンバーで最年少だった“弟”の死を、静かに悼んでいるのだ。
※女性セブン2020年10月8日号